黒猫は今宵壱等星の夢を見る⑰

【十七章】


「場地。出かけんの?」
「あン? ……ソーだけど」
 好奇心で話しかけています、顔にはっきりとそう書いた万次郎が声をかけてきた瞬間から嫌な予感はしていたのだ。
 どう見たって今の場地の格好は私服。普段業務外でもつい着ていることが多いのは圧倒的に隊服だけれど、予定が予定だからやめた。それは彼にもわかっているのだろう。なんでもないと誤魔化すほうが無理な話。嫌な予感はしつつもはぐらかすことなく、質問に肯定で答えたのだけれど。
 万次郎は口角を上げながら、ますます意味深な表情を向けてくる。ついでに物理的にも近寄って来たものだから、場地は思わず後ろへ後退った。
「ふーん」
「なんだよ」
「最近、やけに私服で出ていくこと多いなーって思ってさ」
「……悪ィかよ」
「いや? べっつにー? 随分と機嫌良さそうだと思っただけ」
「人の機嫌がいつもは悪そうみたいに言うんじゃねエ」
 自分が楽しそうだと思った事は何でも知らなければ気が済まない男、それが佐野万次郎だ。場地はその昔に、四十八手っていくつか被ってるよな、なんて意味の分からないところへ興味が沸いてしまった彼のせいで散々な目に遭いかけた記憶がある。今ついでに思い出してしまったそれを、頭を振って追いやったところだ。かといって無視するとまた面倒になるのは、幼馴染ゆえによく知った事。
 いざというときは頼りになる人物だけれど、普段からそういうわけではないのが複雑だったりする。
 さてどうしたものかと思案したその時、救世主は現れた。
 耳に馴染む低めの声が場地の耳を擽る。
「うわー、場地が切れたー!」
「マイキー。そこまでにしとけー」
「……ドラケン、ナイス」
「ちぇ、照れ隠ししやがって」
 しかし堅の仲裁も甲斐なくおちょくってくる万次郎のおかげで、とうとう場地のこめかみに筋が浮いた。この反応が見たくてわざと言ってきたのだと分かっていても、簡単に乗ってしまうくらいには短気な性格なのだから仕方ないだろう。おまけに、喧嘩が好きな性分でもあるのだから。
「マイキー……喧嘩なら買うぜ?」
「ジョーダン通じねえやつ!」
「アァ⁉」
「場地、急いでるんじゃねえのか。」
 良しこれは喧嘩だ、そう思ったのだけれど、堅の一言で場地はぴたりと止まった。そうだこの後待ち合わせをしているのだと冷静さを取り戻して思い直す。首を振って、今しようとしていたことを脳内から追い払った。
 今の万次郎は場地の反応を見て楽しんでいるのだと、そうやって冷静になるべく一呼吸おいて立ち去ろうとした。方法はひとつ。無視しかない。
「ああ、場地」
 そんな場地を堅がふと思い出したというように呼び止める。背を向けかけたところ、振り向くと目が合った。普段はあまり光を宿さないその瞳が、少しだけ柔らかくなったように見える。
「エマの件。ありがとうな」
「オウ」
 結果的に、犯行グループは壱番隊によって確保をされた。隊員の報告によると何者かによって全員すでに床へ転がされていたらしい。かろうじて生きていたようだけれど、それなりに酷い有様だったと受けている。さすがに何かがおかしいと不審に思った壱番隊員達だったという事だけれど、目が覚めた彼らへ尋問していくうちにその謎は紐解けて行った。彼らは霧とは無関係のならず者一派だったこと。疑問が上がっていた通り、やはり霧の犯行というのは誤報だったという。そこまで聞けば大方、本物の怒りを買ったといったところかと想像が付く。
 黒猫始めとしてその他幹部らしき目撃情報は一切なかったけれど、どこの組織だって名前を使って好き勝手されたら良い顔はしないだろう。もし東卍の名を使って好き勝手する集団が出てきたとしたら。考えるだけで面白くない。さらに情報収集を行うと、彼らをこのような状況にした人物達は、幹部に知れてたら全員命はなかったと言っていたという事だ。もうここまで情報が揃えば、何があったかなんて火を見るより明らかだろう。
「とりあえずエマの件は一旦解決だ。これで犯人側に霧幹部が関わってたらもう少し追っても良かったけどな。それがなさそうならとりあえずいいって兄貴が言ってた」
「わかった」
「で? これからウワサの千冬とデートってワケ?」
 せっかく一瞬東卍総代表の顔を覗かせたかと思った万次郎だったけれど、すぐに場地の腐れ縁な幼馴染の表情に変わる。
 真面目な話からの寒暖差に、思わず固まった場地は何も悪くないだろう。
「マーイキー」
「なんだよ! ケンチンだって気になってる癖に」
 そう指摘されると、堅もわかりやすく黙るものだから場地は溜息を吐いた。
 先日、ずっと探していた人物に偶然にも再開したことを嬉々として話してしまったのは場地自身だ。こーゆーのなんて言うんだっけ、身から出たなんとかってやつと脳内で思い出せもしない言葉を並べながら、諦めて肯定を返す。
「千冬とだけど……別にデートじゃねえよ」
 努めて事実だけを口にする。本当にデートならどれだけいいことかと思っていたのを知られたらまたからかわれるだろう。
 けれど、冷静に振舞ったつもりでも、いずれにしても効果はないようだった。
「うわ、顔真っ赤」
「殺すゾ⁉」
「オレは今相手してやってもいいけど? べつに場地が遅刻しても知らねえし」
「う……行ってくる」
 睨んだって怯む気がない。大抵の人物なら、場地の鋭い視線に睨まれた時点で降参するというのに。創設メンバーには一切通用しないのだから、困り果てる。
 相変わらず万次郎のペースに飲まれるとろくなことがないと思いつつ、場地は素直に待ち合わせ場所へ向かうことにするのだった。
「今度紹介しろよー!」
「うるせェ!」
 思わず反射的にそう返してしまったけれど、いつか本当に千冬を仲間達にも紹介できたらいいのにと、内心で密かに思うのだった。



 もう会うのはやめなければ。そう思うほどに、次の誘いを断れなくなっていく。
 千冬が憧れの人と再会して、ひと月半ほどは経つだろう。ボスへ定時連絡を寄越しながらも、すっかり王都での仮暮らしに慣れてしまっている。たった一ヶ月半で、意識していないと自分が西領の黒猫であることをうっかり忘れてしまいそうになる時だってあるくらいに。
 存在するはずのない千冬の勤め先へ来たがる場地を、彼の忙しさを言い訳にしながら躱し続けるのにもそろそろ限界が来るのではないかと思い始めた頃。
 それでもこの時間を終わらせることができないのは、場地が千冬に会うのを楽しみにしてくれていることに気づいてしまったからに他ならない。こんなにも再会できた喜びを真っ直ぐ伝えてくれる人の誘いを断るなんて。それがずっと遠くから想い焦がれてきた相手から向けられているのだから、断る方が無理に決まっている。
 そして何よりも、千冬自身がこの時間をかけがえのないものだと思ってしまっているのだった。冷酷非道と言われ続けた黒猫が、見る影もない。もっと、感情のコントロールには長けているはずだったのにと、何度思ってきたことだろう。
 あれから何度も会う約束を重ねた。忙しいだろうに、週に一度は時間を作ろうとしてくれる彼の優しさを、無下になんてできるはずなくて。……その中には、忙しさを作っている原因が自分であることや、仕方なかったとはいえ姿を消してしまった後ろめたさもあるのだけれど。
「……ッて三ツ谷が言うからよォ」
「ハハ、仲いいんですね」
「仲いい、っていうよりアレじゃね? クサリの縁みたいなヤツ」
「……もしかして、腐れ縁、ですか?」
「おー! ソレソレ! ムズカシイ言葉知ってんなア」
 場地は千冬へ東卍のことを話してくれた。最初、千冬が場地について知りたいのだという前提で探って行ったそれは、すっかり彼の方から主体的に話してくれるものになっていた。意図せず果たされていく当初の目的に最近は心のほうが付いていかないけれど、そのことすら気づかないふりで必死になる。
 今日もまたそんな一日だった。
尤も、話の内容は少しだけ異なっていたのだけれど。
「なー、千冬。来週さ、祭りがあんの知ってる?」
「祝い事があるのは、なんとなく」
 一年に一度開催される、建国の祝い日。その日は王都で国一番の踊り子が末永い国の発展を祈り、舞を演じることで有名だった。王都で暮らしたのはほんの僅かな時期である千冬は、話にだけ聞いたことがある行事。
「仕事、大丈夫だったらさ、一緒に行かねえ?」
 妙に緊張した面持ちで、そう尋ねられた。
 迎えは行くからと言われ、千冬は一瞬固まる。そうだった、今の千冬は王都の端で生活をしていることになっているのだ。間違っても本当は動物の世話焼く仕事なんてしていないし、暮らしている場所だって違うと言えるわけがない。
 一体どう答えたらよいものかと思案した千冬が咄嗟に思いついたのは、公式行事があるのに彼の仕事は大丈夫なのかという、極めて真面目な事だった。
「場地さんこそ、仕事大丈夫なんですか? そういう事があるなら警備とか……」
「今回は国家行事ってことで、第一王子付きの東卍に出番、ないんだワ」
 場地は実にわかりやすく簡単に答える。
 公的行事の際は国兵が王族の護衛に当たる。それは第一王子も例外ではないらしい。
非番を千冬と過ごしたい、暗にそう言われているのだと理解して、自然と顔に熱が溜まった。そのまま気づいた時には自然と回答が口から零れていたのだ。
「祭り、いいっスね。行きたいっス」
 もうこの際、色々懸念していることなんて頭の隅に追いやりたい。できる事なら忘れてしまってもいいくらいだった。もし黒猫として言い訳を整えるとしたら、そうだ、これは仕事だからと言い聞かせる。場地と仲良くなればそれだけ東卍の内情を知れるから、そのために誘いを受けているのだと。
 そういう事にして、抱いてしまっている醜い感情、好意という名の、自分勝手で都合の良い気持ちから目を背けたかった。
 そんな千冬の心情を知らない場地は、肯定の返事を耳にして声に喜びを混ぜる。
「マジ? 行けそう?」
「ハイ。仕事は調整できるんで。……待ち合わせどうしましょうか」
「だから、迎えに行くって」
「ダメっすよ、ウチの方ちょっと遠いんスから。来てもらったら、場地さん結局戻ることになっちまうじゃないっスか。……それじゃオレが申し訳なさで困ります」
「……じゃあ宮殿前に時計台の広場があるだろ? そこ待ち合せな」
「ハイ!」
 それで時間は、と一度決めてしまえば、話はトントンと進んだ。
 またオマエと出かけられンの嬉しいワ、そう返してくる場地の声色はどこまでも優しくて。千冬は思わず頬を染めて、そして照れ隠しに視線を逸らした。
 そんな話をしたのが、数日前の事。
 今日は、その約束の日。
「悪ィ! 遅くなった!」 
 いつもであれば時間までに来る場地が珍しく若干の遅刻で来たので、その姿を認めた瞬間千冬は少しだけ安心した。まさか約束を忘れたり蹴るような人ではないと誰よりも千冬が一番良く分かっていたけれど、なかなか現れなかった相手に対して不安にならないか否かというのはまた違った話。
「大丈夫です、今来たところですから」
「馬鹿野郎、さすがにそれが嘘ってことくらいは分かるワ」
「はは、そっすよね。すんません。……なんかあったんスか?」
「マイキー、あ、マイキーってのは、オレの幼馴染な。そいつが出かけにしつこく声かけてきたんだワ。そんで出る時間遅れた。悪かったな」
 ああ、場地が話していた東卍の総代表だと千冬は脳内で思いつく。二人が幼馴染であることは前から知っていることだったけれど、うっかりでも千冬が知っているという事を悟られないよう、大変でしたねと当たり障りのない返答をした。
「気にしてないんで、大丈夫っスよ」
「ハハ。オマエマジでイイやつだな!」
 曇りのない笑顔が千冬に向けられているのを自覚して、思わず顔が赤くなるのを感じた。これくらい何とも思わずに交わすことくらいできていたはずなのに。やはり、場地相手だとどうしても抑えが効かなくなるのだ。
 そんな千冬の様子なんてお構いなしに場地は、自身の仲間について話しを始める。幼馴染であること。東卍の成り立ち。――そして、本来はこの国の第二王子であること。
「……場地さん、いいんスか? そんな大事な事オレに話したりして……」
 流石にと思って、つい尋ねる。霧幹部である千冬は、建前上自身の敵たる組織の長が一体どういう出自であるのかについては、持っている情報網を元に調べ済みで、薄々気づいていたことではある。国軍兵の養成所に当たる訓練校に一切通った経歴がないにも関わらず、かの組織を立ち上げた人物。そんな謎に包まれた人物がどういうバックグラウンドを持っているのか。本来の千冬と同じく明るい髪をした、異国からこの国の人間になったとささやかれている人物。第一王子が持つ直属の隊を持っているその男が、世間的には数年前の事件で亡くなっている第二王子本人であることには、気づいていた。王女エマの異父兄弟であるのではないかと噂される彼が、実際はエマと異母兄弟であって、実の兄真一郎の臣下に下るために、その見た目を変えているのだというところまで、もうほぼ探れていたのだけれど。
(マイキーっていうのは組織での呼び名で、本名は佐野万次郎)
 今日、こうして確信に繋がってしまった。どうやってこれから証拠を探って行こうかと思っていたことを、関係者からこんなにもあっさりと。
 さて、千冬に話して良い話題だったのか、困惑した表情でそう尋ねられたことに、場地は不思議な顔をしながらも再びあっさりとこう返したのだった。
「オマエはオレの仲間だかンな」
 正直、この時に何と返したのかはよく覚えていない。
 だって、驚いてしまったのだ。
 罪悪感を覚えたのなんて一瞬だけ。いや、罪悪感なんて忘れてしまわないと千冬自身が耐えられない事を、どこか本能的に感じたのだと思う。
 あとあと思い返しても、言われた言葉がただただひたすら嬉しかったという事しか記憶に残っていないのだから、きっとそういう事だ。
「……っ、はやく行きましょう! 早くしないと始まっちまう!」
 思わず表情が緩んだのを誤魔化したくて咄嗟に取った行動が、先を急かすという単純な事だった。きっと、照れ隠しなんて気づかれている。そんな千冬を、場地が微笑ましそうに見ていた。
「そーだな。……ホラ」
「え?」
「はぐれないように、な?」
 彼が左手を差し出してきたのを見て、緩んだ表情を誤魔化すなんて無理だったのだと自覚する。手を差し出された喜び。その手を握ってよい事実が幸せだった。
 そうして今日目的にしていた演目を、手を繋いだまま鑑賞した。
 はぐれないように、彼がそう言っていた通りに見渡す限りの人の多さにその言葉は嘘でなかったことを悟る。それでも、うっかり相手を見失ってしまうかと問われれば少しだけ大げさな気がして。
 まだ言葉にはしていないけれど、お互いに同じ気持ちを抱いているのだという予感が千冬の胸を高鳴らせる。
(場地さん、大好きです)
 幼い日、助けてくれたあの時から。千冬の心の中、一番柔らかいところに居続けているのが彼だという事を、何度だって自覚する。
 願わくばもう少しだけこの温かさに触れていたいと思いながら、穏やかな時間は過ぎて行くのだった。

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