碧色の瞳に瑠璃を重ねて【三章】

 春先の居酒屋。日中は日差しの温かさを感じられるようになってきた今日この頃だけれど、夜はまだ寒さの残る時期。そんな中で、店内をばたばたと駆けまわっているオレは制服になっている半そでのポロシャツでも少し暑いくらいだった。
「松野ー、コレ三卓に持ってってー!」
「ウス!」
「あ、すいませーん、注文いいですかー!」
「はーい! 今行きますんで!」
 まだ平日の真ん中にも関わらず、今日も店は繁盛していて忙しい。
 大学近くにあるバイト先の居酒屋は、大都市渋谷の近辺にあることもあって、いつでも混んでるんだ。開店時間からちらほら数組、二十時近くなれば満席状態がずっと続く。仕事を終えたサラリーマンと合コン中らしい複数名の大学生グループ。デート中らしいカップルに女子会? みんな楽しそうにビールやらチューハイやらを煽っている。一日終わりの酒、いいな。……オレは未成年だから表向きにはまだ酒なんて飲めないわけだし、多分ね。ってことにしておく。今年の冬に二十歳になるから、あと少しでこうやって外でも、飲めるようになるわけだ。
 そんな様子の店内で大量の注文をさばきながら、脳内で考えてるのは今日の日中に起こったこと。そう、こんなに忙しいのに、全然関係ないことで頭の中はいっぱいだった。
 大学の課題をやりに慣れない美術館なんて行って、その後近くにある動物園へふらっと入った。
 ここまでは正直どうでもいいんだ。美術館は案外楽しめたし、動物園だって楽しかった。普通にいい日だったと思う。でも、大事なのはその後。……というか、それまでのことが薄れてしまうくらいに衝撃の出会いだった。
 つまり、オレは今日出会ったばかりの人を、忘れられずにいる。
(場地さん、カッコ良かったな。写真もすごかった。オレと一個違いとか信じらんねえや)
 思わず、口元が緩んでしまった気がする。いけないいけないと脳内反省して、今さっき入ってきたサラリーマンたちの席にお通しを持っていく。
 でもさ、ほどほどに器用にできてる人間の脳ってやつは、やるべきことをしながらも違う事を考えられちゃうんだな。
 良く動物園へ行くという彼は、なんとフリーのカメラマンもやっていたんだ。……尤も、趣味の範疇でって話だったけど。
 あの後動物園を出てすぐのところにある某大手のコーヒー店に入って、運よく席が空いてたからおしゃべりしてもらった中で知ったこと。ちなみに平日でもほどほどに混んでる店舗らしくて、座れるかどうかは勝率二分の一……らしい。「千冬運いいよ」なあんて言いながら笑った彼の八重歯がチャーミングで、そう、オレ今結構ドキドキしてる、って思った。一個上の同性相手に何を考えてるんだろうって感じなんだけど、だってマジで、見れば見るほどカッケエんだってあの人。
 これはアレだ、多分推しってヤツ。今日オレは、偶然知り合た場地さんのことが推しになってしまったんです。
 ――三卓に注文を運んで、十卓に呼ばれたから行かないと。
 そうやって一応は今やるべきことが順番に見えてるのに、その片隅で浮かんでくるのはやっぱりさっきの事ばかり。
 コーヒー片手に追加で話をした一時間ほどを回想中。
 本当に一時間も話せてたのかな。体感としては十五分くらいだったんだけどな。場地さんと話してるとあっという間に時間が過ぎたから、スマホに細工がしてあって四倍速くらいになってるんじゃないか? って驚いたんだ。
「席取っといてくれてサンキューな」
 場地さんはそう言いながら机の上にマグカップを置いてくれた。甘いドリンクも気になったけど、ホットの方がいいから普通にブラックにしてもらったんだ。
 そういえばこのチェーン店って、店内だとこうやってカップで出してくれるところもあるよな。いつもは講義の前に買ってそのままテクアウト、紙カップで大学に持っていってしまうから忘れていた。
「いえ、空いててよかったっス」
「ここ、席空いてんの勝率半分ってとこなんだワ。千冬運がいいよ」
「そうなんスね。今日くらいの気候なら外にあったベンチとかでも全然いけそうでしたけど、良かったっス」
 広い公園が近くにあるから、ところどころにベンチがあるのは見ていた。三月も末となればもう春だし、あと少しで桜だって咲くころだ。天気も良かったから犬の散歩らしい人が休憩しているのと、本を読んでいる人は目にしていたんだよな。オレ的にも場地さん的にも正直座れればどっちでも良かったけど、ここからまた探しに行かなくていいのは助かった。
 だって、今は少しでも多くの話がしたかったから。一分一秒が惜しいってやつ。 
 さっき出会ったばっかりの人だけど共通点が多くて楽しいし、何よりも、共通点以外にも彼の事をもう少し知りたいっていうのも本音。
「な、ごめん、今後ろから、スマホのホーム画面見えちまったんだけどさ。それが千冬の猫?」
 さて、オレの目の前に座った場地さんは、丁度オレが机の上に置いたスマホをちらっと一瞥してそう聞いてきた。置いた時に明るさを切ってるから、待ちながら弄ってた時かな。相棒から来たメッセージを返していたのが見えたらしい。
 オレのスマホのホーム画面とロック画面、あとメッセージアプリの背景は、ベストショットのペケJと決めている。今ホーム画面にしているのは、猫じゃらしで遊ぶペケがナイスジャンプを決めた一瞬だった。連射しまくった中にあった一枚。確認した時にあまりのナイスショットで、思わず本人ならぬ本猫に見ろよこのペケ最高だろ! って見せたら照れてたな。
 トーク背景はこれと同じ。それで、ロック画面のほうは肉球のアップ写真だったりする。
 思いつく限りの知り合いにウチの愛猫がどれほどかわいいかについては話し尽くしてしまったから、新しい人にも見て貰えるのは嬉しい。
 オレはスマホのロックを外すと、写真フォルダを開いて本体ごと場地さんに渡した。
「あ、全然気にしないっスよ。見ます?」
「マジ?」
「はい。このフォルダ、全部ペケなんで」
「じゃ、見せて貰うワ。黒猫いいよなー。ガキん頃実家によく猫が来ててさ。黒猫もいたな。懐かしいぜ」
 クールそうに見えて結構表情豊か。言葉通り、懐かしいって思ってるのがこっちまで伝わってきた。動物本当に好きなんだな。
「へー。飼ってたとかじゃ、なかったんスか?」
「おー。なかなか飼うまでは機会がなくてさ。だから、今こんな感じになってる。……窓の外にちょっと餌とか置いてたな、野良とかと遊んでた」
「すげえや」
 こんなこと、というのは仕事のことだろう。好きなことを職業にできるって、なんか素敵だ。
 それにしても窓の外に餌か。猫たちにはオアシスだったに違いない。うちは団地の二階という事もあって、窓の外に餌を置いたとしても残念ながら野良猫は来れないだろうけど。……いや、案外よじ登って来れたりするのか? まあ、うちはペケの縄張りになってるわけだし、他の猫が来た日には威嚇するんだろうな。それはそれで面白いかも。
 場地さんは、そのまま画像をスライドしていく。その目元がとても優しそうで、まだ会ったことのないうちのペケもかわいがってくれているんだと想像するだけで幸せな気分になった。手を机の上に置くようにして見ているから、角度的に逆からオレにも画像が見える。スクロールの瞬間、これはこういう時に撮ったやつでと説明してみると、興味深そうに聞いてくれた。
 今は丁度、風呂に入れてやった後ぐしょぐしょになった写真。この日は珍しく濡れるのを嫌がるもので、大変だったんだ。
 猫らしくなくって、って言うのはなんか違うかもしれないけど、うちのペケは水に濡れるのをあんまり嫌がらない猫なんだ。もしかしたら自分のこと、人間と勘違いしてるんじゃない? って疑ってしまう時もある。けどこの日は、野良猫と喧嘩をしたのか引っ掻き傷ができてしまって。それに染みるのが嫌だったんだろうな。オレも怪我してる時に風呂入るの痛いからなるべく濡れないようにしたいもんな、とか思った記憶。怪我については念のため動物病院でも見てもらったけど、結局すぐに治る程度の傷で安心したなあ、っていうのはオレの中の記憶。
「ハハ、確かにめちゃくちゃ嫌そうな顔してるじゃん」
「わかります? このあとおやつで何とか和解したんスけど、シャワーぶっかけるまでめちゃくちゃ家の中駆け回るんで大変でしたね。でも、濡れた後のしょげ顔が可愛くて、それがコレっス」
 自分で言うのもなんだけど仲はマジでイイオレたちだから、逃げられるってことは普段あんまりなくて、正直凹んだのは秘密だ。
 我ながらなかなか親バカ? 兄バカ? なことを言っている自覚はあるけど、場地さんは楽しそうに聞いてくれるからつい自慢してしまう。
「ペケJはどうやって千冬んちの子になったわけ?」
 肉球がどアップになってる次の画像(ロック画面の写真のやつだ)を見ながら、場地さんはそう尋ねてきた。目が合って、ほんの少しだけ胸が高鳴る。だって顔がいいんだもん、って誰に言う事でもない言い訳を並べてみた。
 ペット業界にいる人だし、気になるんだろうなって、気を紛らわせた。
 オレは今でも、ペケがウチに来てくれた日のことをよく覚えてる。
 目が合って、ミャアって話しかけてくれたことも、その後一緒に風呂に入ったことも。泥んこだったから真っ黒に見えるのかと思ってたけど、洗っても結局真っ白にならなくて笑ったんだ。
 そのあと母ちゃんに怒られて、戻して来いって言われたりして。今では母ちゃんもペケの事可愛がってるから、あの日戻しに行かなくて本当に良かったな。
 そう、ペケとの出会いはペットショップとかじゃない、普通の道での話だったんだよね。多分オレたちの出会いは必然だった。
「ペケは、捨て猫だったんスよ。その日……ちょっといろいろあってオレ雨なのに傘がなくてびしょびしょになってたんスけど、ふって横見たら段ボールの中にいて。目ぇ合っちまったら、こいつとウチに帰らないといけねえ! って思って」
 喧嘩して地面に転がってたオレと、汚ねえ段ボールの中にいたペケ。二人揃ってぐちゃぐちゃで可笑しかった。多分親近感? てやつが沸いたんだろうなあ。
「オマエいいヤツだな」
「へへ、なんか照れちまいます。……元々生き物は好きだったんで、ほっとけなかったんスよね。それからは家族っス」
 うんうん、ってオーバーリアクション気味に聞いてくれる場地さん。本当にこの人は動物を大事に思ってるんだなって。たった少しのやり取りでも、強く感じる。
 いいな、こんな動物に優しい人がペットショップ店員。きっとこういうのが天職ってヤツなんだな。
「あんがと。めちゃくちゃかわいい。今度会わせてほしいワ。ついでにコイツで写真撮らせてほしい」
 場地さんはオレに一旦スマホを返してくれた。袖口でスマホに付いた指紋を撮ってくれて、ちょっと申し訳ない。
 そしてさっきまで背負っていたリュックの中から何かを取り出した。なんだろうと不思議に思ったのは一瞬で、すぐに出てきたそれは、オレがペケを撮ってたスマホとは全然違うもの。
 本物のカメラ、一眼レフだった。
 昔、修学旅行とかで付いて来てたカメラマンが持ってたやつみたいに本格的なカメラ。一気にテンションが上がった。
「うわ、カッケエ! 場地さんカメラやってるんスか。すげえや」
「おー、趣味ってヤツ。今日もさ、千冬と会うまで動物撮ってたんだ」
「マジすか。え、写真見れたりします? 気になる」
「データ、パソコン繋がないとスマホに移せないからこのままだけどいい?」
「全然平気っス」
「画面小さいから見えねえかも。……どう?」
「あ、見えます。うわ、すげえ、図鑑に載ってる写真みたいだ」
 画面の大きさなんて気にならなかった。
 そこに写ってたのは、オレが撮り損ねたチーター。それも、動物園で撮ったとは思えない大迫力。本当に今さっき、あの動物園で撮った? サバンナじゃなくて? という気持ち。カメラの小さい画面でも伝わってくるから、スマホとか、現像した写真で見たらもっと感動するんだろうな。それをオレの持ってる最大の語彙力で素直に伝えたのが図鑑に載ってる、だったんだけど、場地さんは素直に受け取ってくれて喜んでくれたみたいだ。
「ハハ、めちゃくちゃ褒めてくれるじゃん」
「や、だって感動しますよ。このまま売れる。間違いないっス」
 カメラの向こう、その中にいます! っていう感じ。伝わってほしい。それくらい迫力があるんだ。もしかしたら今すぐ飛び出てくるかもしれない、なあんて、まるでファンタジーみたいなことまで考えた。
「まあそーだな、何回か個展はやったりしたことある」
「本格的なやつじゃないっスか」
「身内呼んだくらいだけどな」
「充分っスよ! うわー、次やるときは誘ってほしいくらいっス! オレ写真とか素人ですけど、こう、なんていうか、生きてるって感じで!」
 きっとこんな写真が大きく現像されて飾られたんだろう。相当すごいに違いない。
 今日ほど、もっと日本語を勉強しておけば良かったと思った日はないかもしれない。すげえ! って思うのに、伝える言葉が出てこないんだ。でもとにかく、今出てくる語彙で、あとはオーバーすぎるリアクションとパッションで、この写真に感動をしたんだってことを言いたかった。
「ハハ、ウレシーわ。あんがとな」
「オレは事実を言っただけっス!」
「マジで見てもらえてよかったワ。さっき撮ったヤツまだあるからさ、良かったら後で送るからデータ見てくんねえ?」
「はい! 実はペケに動物園行ってきたって、写真見せてやろって思ってたんスけど、いいのあんま撮れなくて。むしろ助かります」
「ん。じゃあ、メッセージアプリとか教えてもらえる?」
「もちろんス。ちょっと待ってくださいね。……QRコードでいいっスか? それともID打ちます?」
「QRで平気」
 オレはもう一度ペケに出会った日の四桁を打ち込んでスマホを開くと、すぐに緑色のアイコンをタップした。すると場地さんも自分のスマホを出して、同じようにしている。
 場地さんのスマホは、透明なケースに、ステッカーが入っているのが見えた。お寺のマークみたいなやつで、なんかどっかで見たことがあった気がするけど、なんのマークだか忘れてしまった。でもそれを聞く前に、もっと大事な事に気づいてしまったんだ。
 オレのスマホは、世の中の大勢がよく使ってるリンゴマークが特徴のアレ。尤も数年変えずに使ってるから、最新機種ではないけど。最初、場地さんも同じメーカーのやつだな、と見ていたらそれだけじゃないことに気づいてしまったんだ。
「今気づいたんスけど、スマホ機種同じっスね」
「マジだ。千冬も二個前のやつ?」
「はい! 新機種変えようかって思ったんスけど、この大きさ持ちやすくて」
「わかる。オレは慣れ過ぎて、変えらんねえンだわ」
 データ的にもまだいけるし、充電の減りが少し早くなったくらいだからまだ機種変するまでではない、という。オレもまさにそんな理由で変えてないものだからちょっと笑ってしまった。やっぱ同じような事、考えるよな。
 そんな話をしながら、場地さんのほうに自分のスマホ画面を向ける。
 すかさず表示されたQRを読み取ってくれたらしい。すぐに「バジ」さんからフレンド申請が飛んできた。そういえば、バジケイスケってどんな字書くんだろうな。松野も千冬はある程度想像しやすいだろうけど。ちなみに、数秒待たず承認をしたオレの表示名は「Chifuyu.M」なんだけどね。
「今申請来たコレっスね。承認しました。……アイコン、もしかしてゴキっスか」
「お、ペケJって言ってたからまさかって思ってたけど、やっぱバイクわかる?」
「まあ、そこそこは知ってたりします。持ってはないんスけどね。バイク男の憧れじゃないっスか」
 昔グレてたのが一番の理由、とはさすがに言わなかった。別にヤンキーイコールバイクってわけでもないもんな、って誰に言い訳をすることじゃないけれど。
 オレがちょっとバイクを知ってるってわかったら、彼はスマホから目を上げでオレのほうを見た。場地さんの目、キラキラしてるなって思ったら、とっておきを教えてくれたんだ。
「そーだよな。コイツオレの愛機」
「持ってるんか。カッケエ」
「まーな。今日もコイツで来たんだ」
「マジっすか!」
「おう。……千冬のアイコン、猫のペケもいいな」
「シシッ。あざっス!」
 ああきっとモテる男ってやつはこうやって気になった人の連絡先を簡単にゲットするんだ、なあんて考えていた。まああくまでオレのヘンケンの話だし、そもそもオレは男で、場地さんは全くそんなの計算してないんだろうけど。……計算してるのはどっちかっていうとオレのほう。
 正直、オレは場地さんの連絡先が欲しかったから、彼に言われるがままに物分かりがいいフリをして、今はゲットできたことに一人浮かれて嬉しくなっているんだけど。まさかこんな風に一つ一つの会話で必死になってるなんて、ついさっきまでは全く想像してなかった。でもさ、こんなに気の合う人、もっと仲良くなりたいって思うに決まってるじゃん。
 あの時ストール拾って、本当に良かった。
「あ、スタンプも黒猫じゃん。何ていうキャラ? 漫画とか?」
「これ、自作っス」
「まじ? すげえな。言われてみりゃ、特徴めちゃくちゃわかるワ」
「最高の誉め言葉っスね」 
 オレは場地さんにスタンプを送信すると、彼のトークルームを自分のアプリ内で常に上に表示されるよう、固定にしてみた。
 バジさん。これで見失わない。
 自作スタンプ、ノリと勢いで作ったことがあるんだけど、ペット飼ってるヤツならわかって貰えると思う。ウチの子っていうのは、世界で一番可愛いからな。オレとしては今こうやってめちゃくちゃプラスな言葉を貰って、作ってよかった! ありがとうペケ! って思ってるところだ。あの時のオレ、ナイス。
 ――ってことを、幸せに浸るって感じで思い出していた。
 そしたら。
「松野、松野!」
「ぅえ⁉ あ、はい!」
 呼ばれて、一瞬状況を思い出せずにきょろきょろする。
 あれ、なんだっけ、って頭を働かせた。
 その一、ここはどうやらカフェじゃない。その二、目の前に場地さんがいない。その三、ってところで、めちゃくちゃ大事なことに気づく。
 あ、やべってちょっと焦る。オレの脳内は今場地さんでいっぱいだけど、そうだった、まだバイト中じゃん? って。
 ここは居酒屋で、目の前にいるのは場地さんじゃなくて店長だ。
 うん、仕事中っスね。
「どーした、具合でも悪い? 反応ないからびっくりしたよ。帰る?」
「店長。サーセン! 大丈夫っス!」
 無理すんなよ、グラス落とさないように! 言われて、店内に響くくらいの大きな声で返事をしたら、近くにいたシフト被ってる先輩に元気じゃんって笑われたから安心する。自分の世界に入ってたことには気づかれてないだろう。
 この職場のちょっと悪いところは、常に忙しくてバタバタしてるってコト(たくさんのお客さんが来てくれるって意味では勿論いいこと)だけど、それを上回るくらいにめちゃくちゃいい点が多い。何よりも店長はいい人で、他のメンバーも悪い奴なんていないから恵まれてるなって思う。だって、大学で聞く話だと、いつも怒られるとか、理不尽なサービス残業の話とかめちゃくちゃ聞くし。そういうことは一切ない。
 そんな店長に対して、流石に今日出会った人に心を持っていかれてたんで、バイト集中できませんでしたなんて言えないから、ごめんなさいって思いながら、慌てて次の注文を取りに飛んでいくオレなのだった。

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