碧色の瞳に瑠璃を重ねて【四章】

 大学に行くとき、バイトに行くとき、あとは友達と出かけるとき。これまで身支度ってものを考えたことがあまりなかった。というか、人生で初めてこんなに朝からどうしようって考えてるかもしれない。……正確には、昨日からなんだけど。
 別に今まで服とかファッションに全く興味がなかったってわけでもない。得意な系統だってあるし、ほどほどに好きなブランドだってある。それでも、組み合わせをどうしたいとか、どこかに行くからそのために着るものを考えるってことはしたことなかったんだ。
 話はこの前、場地さんと出会ったその日にまた戻るんだけど。
 連絡先を交換したその後、オレはバイトの時間まで場地さんの撮った写真をじっくり見せてもらってた。そう、じっくりと。なのに体感時間は今考えてもあっという間だったから、数日たった今でも本当に驚いてしまうんだけど。
 その日撮ったやつはどうしても取り込みができないから、前別のところで撮ったやつ、ってことで場地さんの働くペットショップの仔猫と子犬がちょうどデータに残っていたからって、見せてもらってたんだ。
 あのカフェを、また思い出す。
「データ基本的にPC入れちまうからこっちに残ってねえんだけどさ、少しだけスマホに残ってたワ」
「え、良ければ見たいっス」
「ん。これ、ウチのショップにいる奴。最近来たんだけど可愛くてサ」
「柴犬っスね。うわ、小せえ~!」
 場地さんがスマホの画面をこちらに向けた。
 液晶いっぱいに写ってるのはケースの中にいる子犬。まだ生まれたばかりというのが一目瞭然だった。丸っこくって、毛並みがふわふわしてるのが伝わってくる。猫派のオレでもあまりのかわいさに目を奪われてしまうほど、愛らしい生き物が画面の向こうにいた。
 動物のチビって、いいよな。
 場地さんは嬉しそうにこの柴犬について教えてくれた。先日は、エプロンを噛んだまま離してくれなかったんだって。見た目はかわいいけどやんちゃなヤツで、噛む力も強かったからしばらく動けなかったって笑いながら話してた。子犬だしあんま引っ張ったりしちゃいけないし、って。……とここで、オレは場地さんが仕事中はエプロンをしているという事実の方を脳内にメモしたんだけど。
「めちゃくちゃ人懐っこいヤツでさ。ケースの前行くと遊んでアピールがすげえの」
「なんか想像できました」
 カメラが趣味、ということで、店に来た新入りの紹介写真係になっているんだって。さっき図鑑に載ってるみたいって言ったけど、実際にペットショップで写真使ってるってことはやっぱりプロじゃん。任せてもらえてるって、できることを認めてもらってるってことだよな。また場地さんへの尊敬ランクが一上がった。
「あ、そっか。サイトに載ってたワ。これ、ウチのホームぺージ。そーいやこの写真はほとんどオレが撮ってたな」
 閃いた、といった様子。データがあまり手元にないと言っていたけれど、ホームページにあげている写真があることに気づいたらしい。
 そのついでに店舗情報を教えてもらって、オレはちょっと叫んだ。
「え! 渋谷の中! オレ、大学近いっス」
「マジ? やっぱ遊びに来いよ!」
 URL送っとくワ、とすぐにメッセージが飛んできた。上のタブに通知が表示された瞬間開いて、ブックマークを忘れない。うん。絶対に行く。
「ハイ、行きます! あ、フード、値引きしてくださいね」
 最後のはもちろん冗談だったけど、場地さんも面白がって友人割引考えておく、千冬専用に手書きの券作っとくかあ、なんて言ってくれたり。
 場地さんの友人っていうのはなんか、恐れ多すぎるけど。
 さて、オレは期待してますなんて言いながら再び、場地さんの手元を見る。
 ふわふわの毛玉が、タオルの端っこを噛んでいた。今にも首をぶんぶん振ってタオルをめちゃくちゃにしそう。静止画なのに躍動感が伝わってきた。
「こいつは、最近お迎えになったやつ。タオルが好きなヤツで可愛くってさ。で、こっちも」
「みんなカメラ目線ばっちりっスね」
「おー、撮るぜ、って言うと向いてくれるんだワ」
「場地さんってやっぱ動物に好かれるタイプっスか」
「多分なー」
 うちにペケがいるおかげで良く分かる。犬も猫も、後その他の動物も、人間をよく見てるんだって。当然、好かれるタイプとそうじゃないタイプの人間がいる。動物って実は人間の感情に敏感だから、生き物好きな人には寄ってくるし、逆は警戒するんだよね。オレはたぶん、生き物との相性はいいと思ってるけど、場地さんもそんな気がする。
 まあ、動物に関わる仕事してるって時点で、充分動物との相性はいいはずなんだけどさ。でもなんていうか、タイプは違いそうかなという思いがある。オレはきっと、オレに出された餌を食べてもとりあえず無害だと思われてるタイプ。場地さんは……それこそ動物たちのボス的な? 餌あげなくても寄ってきそうって勝手に思ってる。まだ生き物に触れてる場地さんをちゃんと見たわけじゃないけど、間違ってないんじゃないかな。
 ――さて、場地さんのスマホを覗いてたオレだけど、上に表示されてる時間はずっと気にしてた。ちらって見るたびに、平気で五分くらい経ってるから、時間が進むのが早すぎてビビってたんだよな。
 ぎりぎりまでいようと思ってたけど、そろそろタイムオーバーだ。
 名残惜しいってこういう事なのかな。
「あの、すんません、もうちょい話したいんスけど……」
「あ、時間?」
 バイトまで。と伝えていたことをちゃんと覚えてくれていたらしい。言いたいことにすぐ気づいてくれた。
 なんで今日バイト入れちまったんだ、オレ! って言いたい気分だったし、なんなら急遽今からでも風邪かなんかを理由に休みって言いたいところだったけど、そこはぐっと堪えた。今いる店の店長もほかのスタッフもいい人しかいないから、さすがに仮病使って休むのはなって。
 適当に生きてはいるけどさ、こういうところは、真面目なんだぜ。
 残ったコーヒーを一気に飲み干すオレに、場地さんが質問をする。
「バイト、何してんの?」
「フツーに居酒屋っスよ」
「へー。学校近くだったりする?」
「ハイ! 良かったら今度、ウチの居酒屋にも来てください」
「めちゃくちゃ行くワ。店送っといてよ」
「やった。後で送ります」
「トモダチ割り、期待してんぜ」
「ハハ、枝豆くらいならタダにしますよ?」
「そこはビール一杯くらい欲しかったナア」
 オレに合わせて場地さんも店を出てくれるらしく、会話を続けながら一緒にカップを片した。
 そういえば出ようとした瞬間にもう一度店内を見たら、レジはさっきよりもさらに混雑していた。席が取れたのはやっぱり運が良かったらしい。
 そのまま二人揃って駅まで向かう。どうやら、場地さんはこの先にバイクを停めているということで、丁度行く方面が一緒だったからという話。カミサマありがとう! なあんて、都合のいい時だけ信じてみたりした。だって少しでもこの時間を続けたいオレからしたら最高の帰り道だ。
 さて、帰りたくない気持ちが駄々洩れだったらしいオレに、場地さんはとんでもない提案をしてくれた。
「なー、またさ、どっか行かねえ? 千冬と話すの楽しいし。来週埼玉の方の動物園行こうかなって考えてるんだけどさ、一緒に行かねえ?」
「え、いいんスか。行きたいです、めちゃくちゃ、興味あります!」
「後で休み連絡するワ。予定合うなら行こうぜ」
「バイト、基本夜なんで! あと、今春休みなんで、基本的には空いてます!」
 全く、なんて人を誘うのが上手な人なんだろう! と内心で素直に感服した。すごく自然に立てられていく次回の予定に、体温がぐっと上がった。
オレ、ものすごく食いついてるなって自覚はあった。でも、何としても次の話が欲しいんだ。
 場地さんはそんなオレの下心的なものに気づいていたのだろうか。気づいてないんだろうな。でもオレはこの勝負的な何かに勝った。だって彼がオマエ元気だな、って笑いながら、最高の約束をくれたんだから。
「ん。じゃ後でオレのシフト送る。楽しみだワ」
 空いてるところで合わせようぜって。そしてすぐに改札前に着いて、その日は解散した。
 って。やり取りをしたのが、その時です。すぐに言ってた通り連絡が来たから、バイトの前に慌てて返したんだ。
 それで、話はさっきに戻るんだよな。
 浮かれてるオレ、若干寝不足ってことで察して欲しいんだけど、今日はその埼玉のほうにある動物園に行く日! 今日までの約一週間、本当に長すぎたけど、やっとこの日が来た。
 それなのにオレは朝から鏡と友達になっている。
 だってあんなにカッケエ人と出かけるっていうのに適当な格好じゃ出れねえじゃん? って気づいてしまって、困り果ててしまったんだ。この前の場地さん、ストールをおしゃれに使う時点でお察しってくらいにどこからどこまでもカッコよかった。絶対鍛えてるのにそれを感じさせないスマートな服の着こなしで、ドキドキしたもん。絶対におしゃれな人だ。説明はできないけど、その辺の人とは違うって確信してる。 
 その人と出かけるのに適当な格好できる? 自分だけなら好きな格好すればいいんだけど、隣歩いてくれる場地さんに迷惑はかけられねえ。
 まあ結局、最近買った春服というところでなんとか落ち着いたんだけど。
 ついパーカーばっかり集めてしまいがちだけど、これが似合うのは知ってるからきっと大丈夫。
 さて、時計を見ると出る時間が近づいている。時間ギリギリになるわけにはいかないと、大学だったら遅刻常習犯のオレが予定していた十分前に家を出ていたんだから、ぜひ褒めてほしい。
 出る最後に、鏡の前で前髪をチェックするのも忘れなかったし、完璧だ。
 そして、少し早めに着いた待ち合わせ場所へ場地さんがやってきたところ。
「千冬」
「場地さん、おはようございます」
 朝から推しが眩しい。今日もいい天気で当然太陽は眩しいんだけど、その比じゃない。さっきまで感じてた寝不足なんてどっかに飛んでた。
 だって待ち合せ場所に現れたそのオレの推し(場地さん)だけど、なんとバイクで来てくれたんだもん。乗せてやるよって言ってたのがまさかこんな早々に叶うなんて、運良すぎねえ? 
 休みが終わって大学で会ったらたらタケミっちに自慢でもしようかなって思ったけど、一体どこからこの奇跡を話せばいいんだろうか。
 なあんて考えてる場合じゃない。
「んじゃ、行くか!」
「ウス!」
 今日は思いっきり楽しむって決めてるんだ!

「そうだ、この前送ってもらった写真、ペケに見せました」
 バイクで走ってる時に会話するのは難しかったけど、信号待ちの今なら大丈夫だろう。別に走ってる時話しかけたとしても、場地さんは聞き流してくれればそれで良かったんだけど、何せオレは後ろから場地さんの運転姿を眺めるのに必死だったんだ。……正確には見惚れてたって言った方がいいのかな。本当に一個上なのか、もっと上なんじゃない? って今更疑いたくなるくらいに大人びてて、何もかもがスマートで。
 全身で風を切る感じとか、とにかく……かっこいい以外の言葉が、出てこなくて、ずっと見てた。でも、生き物の話するときはああオレと同年代だなって思う瞬間もあって。そんな場地さんに、ドキドキさせられっぱなし。
 信号で止まった瞬間にハッとして、オレはそういえばと思い出したことを口にしたのだった。
「ハハ、マジで?」
「っス。そしたら、チーターより自分の方が強いって言い始めて面白かったです」
 もちろんペケは猫なので、たぶんだけど。
 スマホ画面をじーっと見つめた後に、ぷいってされたんだ。機嫌を損ねたのは間違いない。だからオレは目一杯のフォローとして、この前茶トラの野良猫から縄張りを守ったんだもんな、って、覚えてるよって言ってあげた。
「今日もカメラ、持ってるんスか?」
「おう。途中結構撮ってる気がするけど、大丈夫?」
「オレ今日の目的は、動物もそうっスけど、撮ってる場地さん見る事なんで」
 これは、先日メッセージのやり取りをしていた時でも伝えてたこと。写真撮るのに集中するかもしれないけど大丈夫かって聞かれたから、正直に答えた。写真撮ってる場地さんが見たいんです、って。
 だって、そもそも場地さんの予定にオレがくっついて行ってるわけだし。好きなことしてほしい。その気持ちを正直に返したところだ。
 わざわざ聞いてくれたのは、どうやら普段場地さんがご友人達と出かけるときは、カメラ持っていかないらしいから。騒がしい奴らだから落ち着かない、っていうのと、うっかり壊されるのが怖いから……らしい。そうやって聞くと、一体どういう交友関係なんだろう? ってちょっと気になったけど、やり取りする中で場地さんはご友人をめちゃくちゃ大事にしてるみたいだったから、いい人たちなんだろうなって勝手に思ったり。
 友達の少ないオレに対して、場地さんは顔が広そうだ。
 そんな推しの一日を独占できる……これは最大限楽しまないとな。なんて。
 さて、信号は青になった。
 オレはまた、しばし彼の背を見つめる時間を堪能することにする。
 そんな感じで、単車で走ること一時間とすこしくらいで目的地に着いた。正確には、場地さんに走ってもらってオレは乗ってただけなんだけど。
 さっきの会話の後にすぐ高速を走ることになったから、しばらく止まることもなくて必然的に話すタイミングもないまま到着したって感じ。高速から降りた後の最初の信号で声かけようかな、なんて思ったりもしたけど、わざわざ話をしなくても落ち着くなって思ったり。
 そういえば、バイクでニケツ、高速乗る時って運転手は成人してる必要があるんだったよな。ってことをうろ覚えの知識で思い出したりした。それで、やっぱり場地さんってオレより年上なんだなあって改めて思ったり。
 ……もしこの人が中高時代の先輩だったら。ちょっと想像して、想像の中の自分が羨ましくなったり、した。
 そして着いた目的地。今日も平日という事があって、そこまで混んでいない様子。……とはいえ、オレでも知ってる有名な場所だから、車はそこそこ止まっていた。バイクで来る人はあまりいないのか、入り口に近いところへ止める事が出来たのはラッキーだったかもしれない。
「は~! 着きましたねえ!」
「もうちょい遠いかと思ってたけど。意外とかかんなかったな」  
 降りるなり、グーッと伸びをする場地さんへオレはできる限りの感謝を込めて頭を下げる。多分人生で一番きれいなお辞儀ができたんじゃないかな。
「運転、お疲れ様っした!」
「久々に後ろに人乗せたワ」
「途中で変われれば良かったんスけどね。座ってるだけになっちまって、すんません」
「ん? 乗るの趣味だし気にすんなって。途中話しかけてくれて楽しかったよ」
 笑顔が眩しい。
 この瞬間オレが脳内で思っていたのは、うわあ、なんて気遣いができる人なんだ、っていうこと。場地さんとの時間が増えて行けば増えていくほど、さらに好感度が上がって行くものだから恐ろしい限り。こんなカッケエ人、いるんだ……って謎の感動をしているところだったりする。
「ふは、何オモシレエ顔してんの」
「いや、推しが尊いなって思って……」
「ナニソレ。良く分かんねえけど、行こうぜ」
「ハイ!」

続き
前話

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。

inserted by FC2 system