黒猫は今宵壱等星の夢を見る②

【二章】


 堅からの報告を受け、そのままの足で急ぎ向かったこの国一番の大病院には、情報を聞きつけた東卍隊員が集結していた。聞いた話があまりにも衝撃的で、皆いてもたってもいられなかったのだろう。万次郎が到着したことを確認した彼らは、自然と彼の周りに集まり頭を下げる。
「……どうやら一虎がやられたっていう情報は本当らしい。今、この病院で治療を受けてる。みんなが心配する気持ちはわかる。でもここはまず、オレと場地が行く。一虎を信じて待っていてくれ」
 的確な言葉で冷静に指示を出す万次郎はさすが東卍の顔だった。彼だって動揺しているに違いないのに、まずは隊員を落ち着かせるのが最優先だと考えたのだろう。先ほどまでざわついていたその場が静かになるのを場地は肌で感じた。
 先の指示を出し終えた万次郎へ、堅がもう一度声を掛ける。
「マイキー、場地。情報収集はこっちでしておく」
「頼んだ。……場地、行けるか」
「オウ」
 ここに来るまでも、正直何が起こっているのかがわからなくてずっと上の空だった。今この時だってまだこれが夢であることを祈っている部分があるくらいなのだから。
 先ほど共有を受けたその情報は、万次郎と場地に衝撃を落とすには十分すぎたのだ。堅は二人へ、一虎が何者かに襲われ意識不明となっていることを伝えたのだった。
 羽宮一虎は、場地が隊長を務める東卍壱番隊の隊長補佐だ。
 東京卍會は、主導者である万次郎、補佐役の堅を軸にした三百人以上の隊員が集まっている兵団組織だ。現在万次郎、堅の下に五つの隊が存在している。さらに、兵団扱いにはならないが東卍の下に付き、東卍の掲げる理想の元動く他部隊も複数抱えている。そんな巨大組織である東卍は、君主国であるこの国の次期国王たる佐野真一郎を守るための組織として、五年も前に成り立った。
 五つの隊は本来隊長の直属に副隊長が続くのだが、場地が率いる壱番隊は少し特殊だ。
 東卍結成に当たり尽力した人物は六人いる。万次郎と、堅、場地に一虎。弐番隊を任されている三ツ谷、参番隊の林田。本来場地や三ツ谷林田と同様に一隊を任される予定だった一虎は、東卍の中でも特殊な役回りをするという理由で壱番隊の隊長補佐という役目で落ち着いたのだった。
 そう、場地にとって一虎は誰よりも信頼ができる戦友。
 その友人が、敵襲に在ってその命さえ脅かされているという。
 決して間違ってはいけないのが、一虎は強いということ。伊達に東卍の創設メンバーではないのだ。並大抵のものでは、逆に一虎からの報復に合うだろう。稽古がてら手を合わせたことも数知れないが、実力は場地とほぼ互角。その彼が、なぜこんなことに。
「……一虎は、“霧”に入ってたんだよな」
「……あァ、そうだ。真一郎君から西領の動きがおかしいって話があった後にな」
「潜入がバレたってことか?」
「三日前の定期報告の時は、何ともなかった」
「この数日間で何かあったってことか? あの一虎が?」
 そう、一虎が隊を持っていないのにはここに理由がある。彼は所謂諜報員として国家に反逆を企む組織へ潜入し、その情報を東卍へ伝達する役目を担っていたのだ。
 相手をしているのが当然逆賊相手なわけだから、これまでだって確かに危険なこともあったというけれど、東卍№4の実力は伊達じゃない。常であれば任務を終えて戻ってきては場地や他の創設メンバーと笑いあっていたというのに。その一虎が、一体なぜ。
 万次郎と場地は、とにかく彼が無事であることを祈って彼が治療を受けているというその扉の先を硬い表情で見守った。
 閉ざされたその内側で彼が生きるために戦っている。そう考えるだけで場地も万次郎も心が張り裂けそうだったけれど、今はとにかく祈ること。それが友人に対する最大の敬意だろうと考え、待つのだった。



「マイキー、こいつが一虎を最初に見つけたらしい」
「総長、隊長。ご、ご報告させていただきます……あっ、すいません、代表……」
「気にすんなって。頼む」
 総長とは万次郎、ここでの隊長は場地のことだ。正式には東京卍會総代表という肩書であるけれど、ある時幹部が戯れの延長線上で「万次郎にはゴロツキの頭の方がよっぽどに合ってる、総代表なんて名乗らず総長のほうが似合ってるんじゃないか」なんて話が生まれたことがあって。悪ノリを好む性格の当人がこれを気に入ってしまい、隊長クラスに「総長って呼ばれないと返事しない」なんて言った事があるおかげでどちらの呼び方が本来の肩書であるかわからなくなっている隊員も多いのだった。東卍にはなにせ血の気の多い隊員が多いから、確かに万次郎が総長と呼ばれてもおかしくないだろう、というのは余談だけれど。
 一虎の治療が済んだのはそれから五時間も後だった。かろうじて一命はとりとめたものの、意識は依然として不明と医師から告げられ、場地は絶望する。そんな場地の肩を万次郎は二度強く叩いた。人一倍仲間想いの彼が、なによりも一虎へ潜入の命を下した万次郎が一番辛いはずなのに。たとえこの潜入が一虎本人の志願であったとしても、万次郎の方がよほど堪える出来事だろうに。そう思ったらここで折れているわけにもいかないと思って、場地は万次郎と一旦病院を後にしたのだ。
 そして、その二人を待っていたかのように堅が現れた。その横にいたのは弐番隊の所属であるらしい若い隊員。頭である万次郎だって実のところはまだ成人年齢である十八歳を迎えたばかりだが、それでもそんな彼について行きたいという隊員で構成されている東卍であるから全体的に若年層が多いのだ。連れてこられた隊員だって最近入隊したばかりなのだろう。真新しい黒地の生地に所属隊を示す金の刺繍が施された隊服が眩しいくらいの少年だった。
 その少年が、緊張の面持ちでこう報告してきたのだ。
「一虎君は、“黒猫”に、と言って意識を失いました」
「黒猫……」
 場地は当然その名に聞き覚えがあった。
「ケンチン」
「……ああ。西領、霧(fog)の№2だ」
 王国であるこの国には東に位置する王領の他に三つの自治領が存在している。方角に準えて、北領南領西領。ちなみにこの組織の名称にもなっている「東京」とは、王領内の王都の名称である。そのひとつである西領には数年前から領主を盲信し、彼こそを国王にと考える有志の組織があることを耳にしていた。今回一虎が潜入していた、まさに敵そのもの。
 霧は不思議な組織で、あくまで彼らが自主的に西領主を崇めているだけであるという。当の西領側からすると、彼らの存在を公的に容認したことは一切ないということなのだけれど。ある意味宗教かかった組織の成り立ち方に、強く出ることはできないというのが西領側の回答。それならそれでよかったのだけれど、東卍は霧を、そして西領を謀反疑いありと見て水面下で調査を行っていたのだ。
 東卍が、そして一虎が霧を探り始めたのは、西領主が公には認めていない霧との繋がりを暴き出すためだった。私兵を雇い、それを隠匿することで国家に反逆するつもりなのではないかと、その可能性が上がったから。
「……一虎がこんなことになったことで、一つわかったことがある」
「三ツ谷か」
「悪いな、急に来て」
「いや、問題ねえ。……お前、外してもらえるか」
「ハイ、失礼します」
 ちょうどやってきたのは№5の三ツ谷隆。彼は弐番隊を任されている。先の少年が所属する隊のリーダーであるという事だ。その後ろには林田春樹の姿もあった。常であれば三ツ谷も林田も副隊長を連れているけれど、今日はその姿が見えない。これだけの騒ぎが起きたから、そちらの収拾を任せているのだろう。
堅はチラッと集まったメンバーを確かめると、一虎の第一発見者となった隊員に席を外させた。彼は深々と頭を下げるとその場を後にする。最後に三ツ谷がねぎらいの言葉を掛けたのを聞き届け、堅は本題に入る。
「で、三ツ谷。何がわかったんだ?」
「西領は、やっぱり霧との繋がりがあるだろうってことだよ」
「……なるほどね。真一郎の見た通りか」
「どーゆーことだよ、オレにもわかるように説明しやがれ」
「一虎のことで気が立ってんのはわかるけど、落ち着けよ、場地」
「……悪ィ」
 潜入が気づかれた時点で、そこから弾き出されるのは当然だ。しかし、これ以上探られるには不都合な真実がそこにあるのも確か。それが三ツ谷の言い分だった。だって西領は霧が西領の意図するところで動いているなんて認めていないのだから。それを貫くのであれば、むしろ西領と霧に繋がりはないと証明してもらった方がいいに決まってるのだ。霧側だって、妄信する西領に迷惑をかける方がよっぽど不本意だろう。
「何かを隠してるってことの証明にはなっただろ」
「……そうだな」 
「……黒猫がやったんだよな」
「そーだろうな。そもそもあの一虎にあんな重傷負わせるとか、よっぽどの実力じゃねえとあり得ねえだろ」
 創設メンバーは、お互いに顔を見合わせて黙りこくった。諜報をしている時点で確かにある程度の危険があることは一虎だって承知の上だっただろう。それでも今回の結果になってしまった。
 黒猫とは謎多き人物だ。その見た目が黒色をベースにしているからついた通り名。一切の情報がなく、言葉通り謎の多い存在。霧の№2であることだけは分かっているけれど、出自も年齢も、性別さえ本当は良く分かっていない。わかっているのはその組織の中心人物であるという事だけだ。あと残る情報としては、残虐非道な性格をしていることくらい。どうやら仲間に対しても容赦はないらしく、裏切り者は徹底的に排除をする。霧№1の右腕。その黒猫と、一虎はやり合ったのだろう。その結果こんなことになってしまったのだ。

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