黒猫は今宵壱等星の夢を見る

【一章】


 やけに騒がしいな、最初に場地が思った言葉はそれだった。常に人の多い場所だからいつだって誰かしらの気配は感じていて、誰の気配も感じないなんてことの方が珍しいのだけれど。それでも、今日はやけに外の様子が気になった。本来場地は静かな空間よりは少し騒がしいくらいが得意な性格だから、普段であれば気にしなかったであろう、外の様子。彼のいざという時に頼りになる勘が、何かイレギュラーなことが起こっていることを告げている。
 なんだか常と違うという感覚は、その空気が少し張りつめているだけでも不安になるというもの。かつて、こんな感覚を覚えた時に起こった出来事が脳裏に過ってしまって、一抹の不安が胸を襲ってくる。
 場地は今、自身が所属している組織の本部の三階にいた。立場上個別に与えらえている執務室。この組織の№3として日々やることが沢山あって、面倒だと思いながら片付けていたところに例の騒ぎが聞こえてきた。そんなわけで気になって出て行くことにしたのだ。
 場地は今年、十八を迎えた。この国の成人年齢となり、立場も責任もより大きくなってきた頃。数年前から肩より少し長いくらいに髪を伸ばし、何年も前にこの世を去った亡き父を知る人達からは、圭介さんますますお父上の生き写しのようになって、なんて言われて少しだけ面映い思いをしている頃だった。とはいえ、じっとしているよりは動いているほうが得意な方なのは少年時代とさほど変わることがなく、丁度、苦手な書類仕事が本格的に飽き始めた頃。ペンを置きつつ、少し外の空気を吸って気分転換をするのもありだろうなんて自分自身に言い訳をしながら部屋の外へ出たのだ。どうかこの底知れぬ不安を否定してほしいと願いながら。
すると、扉を開けた先で丁度見知った顔が目に入る。
「万次……マイキー? なんか騒いでねェか」
「場地」
「どーした?」
 どうやら館内が騒がしいと思ったのは場地だけでなかったらしい。普段はこの建物の一番奥の部屋にいる人物までが、外に出てきていた。彼、マイキーは場地の所属する組織、東京卍會のトップを務めている。つまりはこの組織の№1であり、ここの建物の最高責任者。何か重大なことが起きたのであれば部屋で待っていてもそのうち報告が行く立場なのだけれど、その前に自身の目で起こっていることを確かめたいと思ったらしい。
 彼は場地同様、待っているよりは動く方が好きな質だ。
 普段はふんわりとした明るい色の髪の前髪だけ後ろに結いつけているというのに、その結び目が緩んでしまっている。きっと少し前までうたた寝でもしていたのだろう。場地は彼の髪を指さすと事情を伝えて結い目を整えてやった。このまま出て行こうだなんて、下に示しが付かないだろう。普段こういった気遣いや世話事は場地ではなくて他の隊員がやっているのだけれど、その人物の姿が見えないから場地が変わってやるのだ。そうやって彼の身なりを整えながら、形だけ何があったのかという質問を投げかけてみた。尤もこの様子だときっと場地の欲しい返答は返ってこないだろうけれど。
 案の上、戻ってきたのはわかんねえという返答。
 彼の元にさえまだ情報が上がっていないという事はやはり、急なトラブルと見て間違いないだろう。
「窓から外見た感じだと、誰か急いで馬飛ばしてきたらしい、オレもこれから確かめに行く。あと場地、今は万次郎でいいんだからな」
「ハハ、悪ィ」
「別にいいけどさ! ……あれ、ケンチン! どうした?」
 訳ありで本来の黒が地の髪を明るく染め、通称と本名を使い分けている場地の上司は軽い口調でそんなことを言って寄越す。きっと今場地が働いてくれた世話に対するちょっとわかりにくい彼なりの親愛の情と感謝の気持ちなのだろう。場地は決して人の気持ちに敏感とかそういう事はないけれど、マイキーもとい佐野万次郎は小さい頃から知っている関係だからなんとなくそう思った。
 この時はこんな会話ができるくらいまだ余裕があったのだ。
 さて、階下へ向かおうと二人して脚を進める。国の中でもそれなりに大きな組織であるから、建物の作りはそれなりに豪華だ。もちろん、立ち位置的には兵団組織と言っても過言ではないから、パッと見たところはシンプルなのだけれど。階段の手すりの素材だとか、夜間館内を照らす燭台の作りは設計士のこだわりがあるなんて話を耳にしたことがあった。階の中間にある踊り場に敷かれた絨毯も似たようなもの。丁度その階段で別の人物と合流した。万次郎と場地は、三階と二階の間にある踊り場で足を止める。下から上がってきた堅は、同じように踊り場まで辿り着くと足を止めた。
 万次郎の姿を認めたその相手は、ひとつ深呼吸すると口を開く。
「マイキー、場地。落ち着いて聞いてくれ」
 万次郎へそう告げたのは、東京卍會、略称東卍の№2である龍宮寺堅。普段万次郎の右腕として動く人物だった。そう、先のように少しだけオンオフの境目がなさすぎるトップに何かしら世話を焼いているのがこの男である。小柄な万次郎に対して、体格に恵まれた人物が多い隊員の中でも特に上背の高い堅が世話を焼く姿は、もはや組織のお約束。黒の髪を辮髪に結い、自身の家名にちなんだ龍の入れ墨を米神に宿した堅が溜息を吐きながらも上司へ構う様子は東卍の風物詩とも言えるだろう。
一見強面ながら兄貴肌であるそんな堅が固く低い言葉で万次郎へした報告は、場地の思考を停止させるには充分すぎる情報だった。
 その時の事を、場地はこの先も良く思い出すことになる。普段冷静で、幹部の中では誰よりも大人びている彼堅が、やけに焦っていたのをよく覚えていた。
 ちらりと場地を一瞬見た彼は、絞り出すように声を出す。
「一虎が、やられた」

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