そしていつか、答え合わせを共に①

千冬がタイムリープする話。ばじふゆ

 もっと怖いかと思っていた。
 死ぬ瞬間ってどんな感じなんだろうと、考えたことがある。それは、もし日常生活を普通に生きていたらあまり考えることのないことだっただろう。死ぬと言ってもいつかの話。今はまだその時じゃないから考えない……多くの若者が、無意識にそんなことを思って生きているに違いない。同世代の若者たちは、明日が普通に来ると信じて疑わない。けれど、彼が生きている環境は残念ながらそんなマジョリティには存在していなくて、常に生と死の狭間にいた。だから、自然とその日の事を想像する機会が多かったように思う。
 きっと、その瞬間はとてもおぞましくて途方もないほどに苦しくて辛いに違いないと、そう覚悟していた。だって、そのような終わりをいくつも見て来た。夥しい血を流して、人の形がなくなるまでいたぶられ死んだ幾つもの亡骸を目の当たりにしてきた。そんなものをいくつも見ていたら、マイナス的な考え方しか浮かばないのは当然だ。生きることは、人間の本能だ。人も生き物なのだから。生存本能というものは当然のように持っているはずだから。そう思わないはずがないだろうと。……自分の中に生存本能なんてものが存在しているなんて思ってもいないくせに、そんな風に考えていた。
 でも、いざ銃口を突き付けられて。
 怖くないと、彼、千冬は思ったのだった。
 この引き金が引かれたら、呆気なく命が終わるというのに。何度も考えてきた己が最期が、これで良かったとさえ思えてくる。正直言って、随分と綺麗な死に方が用意されるようだから、ほっとさえする。脳髄はぶちまけることになりそうだけれど、交通事故死を装って、全身がバラバラになるわけではなさそうだ。業火の中で刻一刻と生きたまま身が焼かれるその瞬間を待つわけでもない。きっと、一瞬で終わる。
どうせ自分は長生きできるような人間じゃないのだから。その日が、今日だった、それだけだ。

「東卍を頼んだぞ、相棒」
「千冬―!」

 ただただ一つの目的のため、走り続けてきたそのゴール。テープを切ることは残念ながらできなかった。自分自身で叶えたいと思って来た目的を果たせなかったのは確かに少し悔しいけれど、決してこの選択を後悔しない。そう思いきることができた。あの日、相棒である彼の為なら真実を隠すこともできると思った。その選択を、後悔しない。あの日自分の前に提示された真実は地道に積み上げてきたものが無駄になることを示していたけれど、大切にして来たはずのそれが壊れても構わないと思った。そう思える相手が今もこうして、死を前にしてさえ隣にいてくれる。その相棒にこの先を、願いを託して、逝くことができるのだから、むしろ最高の最期だろう。
 タケミチお前、なんて顔してるんだよ、お前ほんとに泣き虫だよな。そう思ったときには、衝撃。
 ああ、撃たれた、そう認識したのは、なけなしの生存本能が働いたからだろうか。
 松野千冬、享年二十五歳。銃殺により死亡。
 きっと、この国の平均寿命を考えると相当若死にだ。でも、不思議ともっと生きたかったとか、そんなことは思わなかった。自分の人生が終わってしまうよりもよっぽど、やってきたことを最後まで見ることがないまま終わってしまった方が残念だ。そして、彼を残して逝ってしまう。残された側がどれほど辛いかを知っている自分が。
 人生のほぼ半分を共に過ごしてきた相棒が自分の死を目の当たりにして泣き叫んでいたけれど、もう聞こえなかった。

 遠くで、声がする。
 何故か、声が聞こえると、そう認識した。
 そして形になってくる、声? なぜ? という思い。
 その疑問が湧きあがると同時に、よく知った声が、耳に入ってきた。これは?

(誰の声だ?)

 再び、疑問。どこかで、いつか、聞いたことのある声だとそう思った。けれどそれが誰だったのか、いつの事だったのかを思い出せないのだ。東京卍會の最高幹部に近い千冬へ気安く話しかけてくる人物なんて限られている。最初に浮かんだ人物は、黒髪を後ろに撫でつけた自分の上に当たる同い年の男だったけれど、十二年ほぼ毎日のように会話してきたからこそわかる。彼はこんなに低い声ではない。
 そこで、思い出す。自分の身に一体何があったのか、そうやって記憶を辿ろうとした。そして、ハッとする。せっかく閃いた割には、導き出された回答が最悪だった。

(オレは、そうだ、稀咲に殺された)

 殺された、そうなのだ。裏切りがバレて、散々の拷問を受けたその末命を奪われたのだった。そこまで、思考が帰ってくる。

(これは、どういうことだ?)

 それなのに、声が聞こえる。死んだはずなのに。脳を撃たれたはずなのだ。助かったのかと思ったけれど、すぐに違うと考えを捨てる。衝撃だけならなんとなくまだ、身体に感覚が残っていた。ほんの数秒の、最悪の瞬間が記憶の中に残っているなんて最悪だ。でも、だからこそわかる。あの状況で生きているなんてあり得ない。それなのに誰かと誰かが話をしているのだ。その声が、聞こえてきた。

(誰と、誰が?)

 次の瞬間、千冬はその声が誰であるか、そして今どんな状況に置かれているかを理解した。周りの景色が、一気に目というレンズを通して脳に入ってくる。

「壱番隊隊長、場地圭介だ!」
「ば、じさん……」

 意識しないでも声が漏れた。まるでそうするべきだったかのように、彼の名を、呼んでいた。
 これは、どういうことだ。

「千冬ぅ、何ぼーっとしてるんだよ、やっぱ頭でもやられてたのか?」
「あ、いや、それはないっス……」

 これは一体、どういう事なんだろうか、千冬の脳内は未だ混乱していた。必死で今起きていることと、さっきまで起きていたであろうことを考え続けることでかろうじて正気を保つ。
 自分は、稀咲鉄太に殺されたのだ。何度も自問自答する。問い、何があった? 回答、殺された、と。幹部会で彼に呼び出され、相棒であり上司でもある花垣武道と共に応じることになった。その時点で嫌な予感はしていたけれど、彼に逆らうことは絶対にできない。だって相手は、姿を見せないトップに変わり実質組織を牛耳る存在。だから揃って付いていった。それに、自分は優秀な護衛だ。相棒であり上司でもある武道に何かあってはならない。けれど全ては裏切り者である千冬を始末するためのシナリオで、逃れられるはずなんてなかった。裏切りが知られ稀咲の始末対象リストに載った時点で、千冬が明日を迎えられるはずなんてないのだ。
 そんな中で稀咲のシナリオとして想定外……相棒である武道に東京卍會の未来を託せたことは、唯一の抵抗となったけれど。結局千冬は彼の描いたシナリオの通り最期を迎える。その手によって脳髄を撃たれた。どう考えても即死意外に考えられない状況だったはずだ。……千冬とて、反社会的勢力に身を置く存在。銃を持ち、脳をぶち抜いた経験だって当然あった。だからこそわかる。千冬は二度と目覚めないはずだった。この約1時間ほどで、何度ここまで記憶をなぞっただろう。
それなのに、今こうして。

「あ! オイ! 二口目いっただろお前⁈」
「あッ、すいませんッ!」

 考え事をしていたら、うっかり半分コのルールを破って二口目に入ってしまったらしい。一口食べたら相手に渡すべきなのに。これではいつだか半分コをしようとしたのにいつの間にか全てを食べ尽くしていた武道へ抗議したのを言えないだろう。
 千冬は慌てて箸を器の中へ突っ込む。間違っても渡す時に落とすことがないように、しっかり入れるのは忘れなかった。そして食べていたもの、ペヤングを場地の方へと渡した。
 その器を満足そうに左手で受け取った場地は、今千冬へ抗議をしたことなんてすっかり忘れたかのように、千冬が突っ込んだ割り箸を右手で取って一口分。麺を啜った。ズズ、という音が聞こえてくる。
 千冬は彼のそんな様子を、床に座った姿勢のままぼんやりと眺めた。寝床にしている押し入れにいる場地を見ようとすると、自然と首が上を向いた。

(場地さんだ)

 この数十分で何回考えたことだろう。少なくとも、回想を繰り広げる以上に、そして片手では足りないくらいに同じことを考えた。これが、今目の前で起こっていることなのだろうかと自分自身で確かめたくて、頭の中に刻み込むように。

(……場地さんが、生きてる)

 場地圭介。彼は松野千冬の人生から、決して切り離すことのできない人物だった。
 だって千冬は彼のために生き、彼のために死んだのだから。場地はそんなこと望んでいなかったかもしれないから、これは千冬のエゴでしかないのだけれど。遠い秋の日に亡くしてしまった大切な人。まっすぐ走り続けた最高の人。仲間のために命を張れる、そのためのチームを取り戻すため暗躍した場地の意思が、東京卍會壱番隊副隊長松野千冬の意思そのものになった。
 あの日志半ばで策略によって奪われることになった命。その彼の無念を晴らすべく、その宿敵を追い出すために、この十二年間茨の道を駆け抜けてきた。
 結局、残念なことにリベンジを自分の手で果たすことのできないまま千冬の人生も終わってしまったけれど。
 そこまで考えられれば、なんとなく見えてくるものだ。

(これが走馬灯ってやつか)

そう考えると納得できる。
 まさか本当にあるなんてな、と少し不思議な気分になると共に、やっぱり自分は死んだんだなという実感さえ沸いてきた。
 受け取った襷を握りしめてひたすら駆け抜けてきた人生だった。躓いたり転んだり、道を外したりしたけれど、憧れた人の、もう二度と見ることのできないその背中をずっと追い続けた。人生の最後は、場地があの日意思を託した相棒さえ信じていいのかわからずに途方に暮れる夜もあったし、場地の意思を忘れていないのは千冬たった一人になってしまったのかと、暗い気持ちが影を落とす瞬間だって当然あった。もちろん、数は少なくても千冬に協力してくれる人がいてくれたから、東卍の意思を失っていないのが千冬だけでないことは十分わかっていた。けれど、本当に一人ぼっちになってしまったわけではないと理解していても、光を見失いそうになる瞬間の絶望は今でも忘れられない。
 そんな足元の見えない人生を送ってきたから、その最後に、ちょっとしたプレゼントなのかもしれない。これまであまりにも暗い世界に身を置いていたから神様なんて信じたこともなかったけれど、今この時だけなら。死の間際、今だけなら信じても良いのではないだろうか。そう思うことにする。犯してきたことを考えると千冬はきっと天国には行けないから、せめて最後に一目、場地に合わせてくれたのかもしれない、と。

(まさか、半グレの俺が天国とか地獄とか、死んだ後に考えてるなんて馬鹿馬鹿しいに程があるけどな)

 そんな風に自分へ呆れる理性が残ってることくらいは許されたい。

「ちーふーゆー」
「っ、ハイ!」
「お前、さっきからぼーっとしてるけど、マジで大丈夫か?」
「だ、大丈夫っス!」

 脳天、ぶち抜かれた後だけど、とは言わないでおこう。この状況において、あまりにもめちゃくちゃだ。せっかくいい走馬灯を見ているのだ。改めて死んだことなんて今は考えたくない。

「ほれ、次お前」
「あざっス!」

 半分コは一口ずつ。それは、場地のルールだったことを思い出す。何度も、こうして一つのペヤングを半分コしたから、あっという間に千冬自身の身にも馴染んでいった。彼と過ごした時間はたった一年半だったけれど、当然のように千冬の習慣になった。そしてこれは相棒となった武道とラーメンを半分コしてから、今度は武道と千冬の間でも当たり前のことになっていった。そうやって、場地によって千冬の人生における大事な価値観とか方法は、作られていったのだ。

「うめえ」
「だよな! やっぱケンカしたあとはこれだワ」
「わかりますよ、ご褒美っスよね。オレも、ケンカした後はこれ喰わねえと落ち着かないってか、なんていうか」
「お、わかる? お前とは気が合いそうだなァ」
「ウッス!」

 場地さんに褒められた! と叫び出したくなるのを耐えて、再び器を場地に返す。十二年ぶりの彼の楽しそうな声。ああ、何もかもがこんなに懐かしい。

(死んだ甲斐あったかもしれねえ)

 自分自身に対して不謹慎だけれど、ついそんなことを考えてしまった。 
 亡くしてしまった大切な人がこうして、再び千冬に笑いかけてくれている。彼の人生の最期は、険しい表情の方が多かったのだ。最後の最期には千冬へ感謝を告げながら笑いかけてくれたけれど、一人で戦い続ける固い表情をどうしても思い出してしまうから。
 屈託なく笑うその表情を目の当たりにして、この十二年が浮かばれるような、そんな気持ちだったのだ。

「はい、次場地さん」
「おー」

 心はこれだけ暖かくなれる、

「いつ、終わるんだろう」

 なあ? ペケ。
 千冬が自室のベッドの上に寝そべった瞬間に愛猫は腹の上によじ登ってきた。こうやっているとペケJがよじ登ってくるのを知っているから、それを期待して千冬の定位置もベッドの上であることが多い。その体温を感じて、漫画でも読みながらその背を撫でるのが、好きだった。
 千冬の愛猫ペケJは数年前、寿命で死んだ。この子の最後の日は、よく覚えている。いつものように、遊んでくれ撫でてくれと愛らしく千冬に擦り寄ってきて。その日一日甘えるように千冬から離れなかったのだ。年を取ってから、こんなに積極的に構ってほしいと来ることは減っていたから、ああ、今日がその日だとなぜか分かってしまった。だから千冬は大切な小さな命を、昔よくやっていたように膝に抱えてその背を撫で続けた。そのまま一人と一匹のかけがえのない時間を過ごして。そして、眠るように逝ってしまった愛猫に、1人涙した。最後短くミャオと泣いたのは、きっと千冬を慰めてくれたのだろう。人生において千冬が覚えている限りの、一番穏やかだった日の最後だ。
 そのペケまで、千冬に会いに来てくれたらしい。だから、かつてのように堪能してやろうと決めて、撫でるのだ。
 そうして左手を動かしながら、脳内はせわしなく考え続ける。
 随分と狭い部屋に住んでいたものだと、ぼんやり思う。二十五歳になった千冬は、東京卍會の最高幹部補佐になっていた。住んでいた家は自身の上司たる武道の住まいの近く。何かあった時いつでも訪ねられるようにと構えたその居は、都内でも一等地にあった。当然、敷地面積だって今いるこの部屋の何倍だって広い。
 それでも不思議と、ここがやっぱり落ち着くと、そう思った。

「これが走馬灯っていうならさ、オレ、寝なければ、明日場地さんと学校行けんのかな」

 走馬灯はいつ終わるのだろう。それは分からないけれど、きっと眠ったその瞬間に最後の瞬間が訪れるのだろとそう思った。それなら、眠らず朝を迎えたいと、それくらいのわがままなら認められたいと思った。

(と、思ったんだけどなあ)

 翌朝。千冬は未だ、走馬灯の中にいるようだ。昨日、結局ケンカ疲れで気づいたら寝落ちていたのに、目が覚めてまだこの世界が続いていることにびっくりした。ついでに、昨晩はこの夢のような時間が終わってもう千冬の行くべき場所にいると思っていたから風呂なんて入っていなかったことに気づいて。慌ててシャワーから出てきたのが、今だった。
 ペケは、ベッドの上で丸くなっている。それを横目で見ながら、千冬は当然のように中学の制服を手に取って、着替えた。

「うお、こんな時間だ」

 必要最低限のものだけポケットに入っていることを確認して、千冬は家を飛び出した。その玄関で母親に捕まって、おにぎりを差し出されて足を止めるなんて展開になったけれど。昔の千冬だったら、いらねえよなんて言っていたかもしれない。でも。自然と受け取っていたのは、縁を切ったとはいえならず者になった挙句二十五歳で死んだことをいつか知ることになる母親につい申し訳なさを感じたからに他ならなかった。小学生のころからやんちゃのし通しだった息子をなんだかんだ気にかけてくれる良い母親だった、と思い返す。千冬がおにぎりを素直に受け取ると、母親は一瞬だけ驚いた表情を見せた。それが何だか照れくさくて、結局短くサンキュ、とだけ告げる。
 そう、千冬はここまで来たら開き直って、この走馬灯を楽しもうと思えてきたのだ。
 深呼吸を一つ。そして、告げる。

「いってきます!」

 叫んで、飛び出す。
 あの人に、。早く逢いたい。

「あれ、千冬」
「場地さん、おはようございます!」
「待っててくれたン? よく時間わかったな」
「はい! 一緒に行きたくって!」
「なんだよそれ。まあいいわ、行くぞー」
「はい!」

 二人揃って、歩き始める。

「そういえばお前、リーゼントはどーしたよ。寝坊?」
「え? ……ああ、イメチェンっすよ。場地さんは今日もぴっちり決まってるっスね!」

 そういえば中学に上がりたての頃は、毎朝髪をセットしていたのだったか。すっかりその習慣が無くなっていたものだから、そのまま出てきていた。過去であれば、もう少し後の時期に、セットしても場地に崩されるからと下すようになるのだけれど。誤魔化すように、話題を逸らす。

「あー、これな。オレのダチがさ、まずはカタチからっていうからやってんだけどよぉ」

 ショージキ、めんどい。そんなことをいうものだから。千冬は笑った。場地圭介はそういう男なのだ。義理堅くて、友達想い。きっと東京卍會総長であり幼馴染の万次郎あたりが、からかいついでに言った事だろうにこうして従っているのだから。

 千冬が走馬灯と思っている現象が始まって、数週間が経っていた。最近では、これが走馬灯だったことさえ忘れている時間のほうが長いかもしれない。まるで、人生をやり直している気分。
 そのうちに、思った事がある。

(もしかしたら、あの最悪のハロウィンを変えられるかもしれない)

 もし、人生のリベンジを今できているという事なら。

(場地さんの生きている、二千五年十一月一日を迎えたい)

 そんなことができるのか、わからない。それでも、一度願い始めたら気持ちは止まらなかった。

「オレは、あの日の続きを、場地さんと迎える」

 そう決意したのだ。
 そのためにできることは何だろう。やるべきことは何だろう。
 幸いにも、千冬にはかつての記憶がある。完璧に思い出せないことだって正直あるけれど、あの日をどう迎えたかくらいはまだ残っているはずだ。それに、死ぬまでの人生分の経験だってあるのだから。あの時の無力だった中学二年生ではもう決してない。

「何があっても、場地さんを守ってみせる」

 今度こそと、思っていることを口に出してみる。そうやって自分自身に言い聞かせるのだった。

(さて、どうすっかなあ)

 悩み始めて、はや一年。もうそんなに経つのか、と驚くことにさえ慣れてしまったと思う。何度も考えたことを、再び思い浮かべる。
 未だに、千冬はこの世界の住民だ。こうなってくると、もうこれが走馬灯なんかではないことくらい分かってきた頃だった。はじめの一週間くらいは、いつこの夢が覚めてしまうものかと不安な夜を過ごしたけれど、すぐにこの生活に慣れて行った。
 朝起きて学校へ向かうために家を出ると、かつての待ち合わせ場所には場地がいて。元気いっぱいに「おはようございます! 場地さん!」と挨拶すると、朝からうるせー、もーちょいボリューム落とせなんて言われる。そのまま二人で一日を過ごし、放課後は集会へ向かう。しばらくするとそんな日々にすっかり慣れて、十二年後の事なんて忘れる瞬間も出てきた。……もちろん、意識の下にはあるのだけれど、向こうが夢だったのではないかと。そう思うのも無理はないのではないだろうか。
 それでも、何度も考える。
 今過ごしている世界は、一見して何も変わらずにあの時と同じように過ごしているように思えて、実はそうでないことに千冬は気づいている。もちろん過去のことを一言一句違わずに覚えているわけではないけれど、絶対に過去言わなかったことを口にしたなと思う瞬間はいくつもあるのだ。
 それでも、この世界は過去をそのままに流れていることは理解できた。
 十二年前、場地と出会ったその日からと何ひとつ変わらない日常がここに在ったから。
 そうなると、確実に分かることがある。

(血のハロウィンで、今度こそ場地さんを死なせねえためにはどうしたらいい)

 未来がこのまま進行していくのであれば、絶対にあの日は訪れる。千冬にとっての人生は、
二度大きな出来事に直面した。一つは、場地との出会い。もう一つが、場地との別れだ。
 一度も忘れたことのないあの日。千冬が稀咲に撃たれたのだって、稀咲を東京卍會から追い出しあの日の復讐を果たすという目的の為だったのだから。
 その日に今度こそ場地が死なないためには、どうしたら良いのだろうか。そう考える。

(時間はまだある)

 そう、幸いとしてはそこだった。悪夢のようなあの日まで、まだあと半年以上の時間があるのだ。もしかしたらその間にこの時間が終わってしまうかもしれないと不意に不安が襲ってきたりもするけれど、その時はそれでも構わない。ここまで再び場地との時間を過ごすことができた。これ以上は、時の流れに身を任せるのみだ。

「千冬う、待った?」
「いえ! 今来たとこっス」
「さっさと行こうぜー。今日は後ろ乗ってけよ」
「まじすか、あざっス!」

 もう留年できないからと、それなりに真面目に学校へ行っていた場地と千冬は、その年何の問題もなくひと学年進学した。二年になっても残念ながらクラスが違った点は残念だけれど。不良のわりにちゃんと学校へ通う真面目さを見せたかと思ったら実際は特攻服を着た暴走族のメンバーだったりといろいろちぐはぐな二人ではあるけれど、東京卍會の構成員であることは、千冬にとっての誇りだった。人生を捧げた組織だからという事もあるが、何よりも。

(東卍は、場地さんが作ったチームだから)

 構成員たちが信じ付いていくのは、当然総長たる佐野万次郎だ。それは千冬にとっても変わらない。未来で姿を見せなくなったとしても、彼が頭にいる限り、千冬は東京卍會の壱番隊副隊長であることを辞めないと決めていた。でも、千冬にとって東卍はそれだけではない。あの日知った大切な真実。東京卍會は、場地圭介の一言とその信念によってスタートしたその事実を、ずっと宝物のように大切にしてきた。

(どんなに腐っちまっても、根っこはこの人に繋がってるんだ)

 そう信じ続けることができたから、十二年走って来れた。そして今、千冬が無くしたくなった組織は確かにここに在ったと実感している。

「乗ったか?」
「はい、乗りました」
「落ちんなよー」
「場地さん、毎回それ言いますよね」
「ハハ、そーだった? 悪ィな、癖だわ。昔マイキー後ろにのっけた時、あいつ寝やがったんだよ」
「マイキー君らしいや」

 さて、二年になったからと言って、何か生活が変わることはなかった。変わったことといえば、東卍の規模だろうか。場地と再開したときは、総長副総長の下には、五つの部隊長だけだった。それが、この一年で、各隊の中に副隊長を置く規模にまで成長したのだった。

「そういえば場地さん、乗せて貰っちまったんすけど、今日って集会終わった後幹部会あるって言ってませんでした? 先帰った方が良ければオレ自分の単車で行きますけど」
「あー、今日、お前も参加だってドラケンが言ってたわ」
「……初耳っス」
「言ったつもりになってたんだよ。今日は副隊長も連れて来いってな」

 三ツ谷んとことかも全員来る、と場地は続けた。
 遥か彼方、昔の記憶の中に同じようなやり取りがあったかもしれない。そうか、今日かと千冬は一人納得する。この日を境に、幹部会にはまれに副隊長まで参加するようになっていくのだ。
 それは大きな抗争を前にした時や、重要なことがあるたびに。

(こうやって、東卍はデカくなってったんだな)

 最後に相棒であり上司である男と共に幹部会へ足を運んだことを、ふと思い出した。
 あの後、相棒は、そして東卍はどうなったのだろうか。もう千冬にはわからないことだし知ることもないのだと分かっているのだけれど。
 意識がしばらくかつてのことに戻っていた千冬の耳に、場地の声が聞こえてきた。

「……お前を下に置いて、よかったワ」
「……え?」
「いや、なんでもねえ」
「すいません、聞いてました。場地さん、オレ、嬉しいっス」

 バイクに乗っているから小さな声だと聞き取れないことだってあるのに、なんでこの人の声だけはいつだってはっきり聞こえてくるのだろう。思わず千冬は口元を緩ませた。

(後ろで良かった、こんな顔見せらんねえ)

 昔、場地にこんなことを言われただろうか。そんな疑問は少しだけ、残っている。彼に言われたことならどんなことでも覚えていたはずなのに、思い出せない。でも、そんなことはどうでもよくなった。大切なのは、今だ。
 その時千冬は、まだ年が変わる前の話。二度目の任命式をなぜか思い出した。今日オレは、場地さんに副隊長として認めてもらうんだ、と引き締まる気持ちのまま迎えた数ヶ月前の出来事。
 今でも覚えている、大切な日だった。さらに遡ること数週間前の集会で、総長が告げたのだ。次の集会で、各隊の副隊長を命ずる。全員必ず参加するように、と。それを聞いた時、千冬は思わず涙しそうになった。場地と過ごしたいくつもの大切な時。そのうちの一つが、この日だ。憧れるあの人自らが千冬の名を紡いでくれたあの瞬間を、もう一度与えてくれるというのか。

「よォしオマエら! 集会はじめっぞ!」
「ウス!」

 心なしか、副総長龍宮寺堅のコールへ対する全員の返事はいつもよりもさらに活気あるような気がした。そのはずだろう。今日はある意味東卍にとっての組織変更のようなもの。大きくなったチームが、さらに飛躍していく象徴となる日だ。

「全員集まったな! 今日は総長から大事な伝達がある! しっかり聞くように!」

 未来にどんな半グレ集団になろうと、東卍の原点は彼らにある。総長をはじめとしてこうやって走り続ける大きな背中に憧れて、みんなここにいるはずだ。

「ウス!」
「前も言ったが、今日は各隊の副隊長を任命する! 呼ばれた奴は前に出ろ! まずは壱番隊」

 千冬は、ごくりと唾を飲み込んだ。ここで呼ばれることを知っている。知っているけれど。

「松野千冬」

 総長の、いつもより何倍も気迫のある声にそう呼ばれて。なぜこんなに泣きたい気持ちになるんだろう。

「……はい」

 前の時は、もっともっと力強くできたはずの返事が震えた。ああ場地さん、お前なに泣きそうになってんだよなんて顔で見ないでください、追い討ちっスよ、なんて考える事で、涙が溢れないように耐える。生憎千冬はこの先に出会う、相棒と呼んだあの男と違って、人前で簡単に泣いたりするのはできる限り避けたいところなのだ。
 千冬はぐっと拳を握ると、前へ出る。今度こそ場地と視線が合った。場地はなにも言わなかった。代わりに、前を見てろとジェスチャーされる。実際はジェスチャーなんてものはなかったけれど、彼の考えていることはなんでもわかる。些細な仕草でも、どうするべきか見える。ずっと、見てきたから。
 八戒が、名前を呼ばれて嬉しそうに顔を煌めかせる。ぺーやんもだ。肆番隊伍番隊は東卍への入り方的に少し特殊だったので実質副隊長がいたようなものだったから、ソウヤと三途は特になんの表情も見せなかったけれど。

「各隊の副隊長に、隊長から一言くれてやれ。最初は壱番隊隊長場地圭介から」
「ああ」

 万次郎を見ていた場地は、彼にそう言われるがままに千冬の方へ振り返った。

「松野千冬」
「……ハイ」
「よろしくな」
「場地さんに、一生尽くします」
「……おう」

 一瞬、場地が目を見開いたような気がした。しかしそれも束の間、すぐにもう一度「よろしくな」と返ってくる。千冬は深く頷いた。
 かつて同じ日を迎えた時は、一体何と言っただろうか。よく覚えている日のはずなのに、自分が話した言葉だけが上手く思い出せなかった。もしかしたら、オレでいいんですかなんてちょっとダサいことを言っていたかもしれない。でも、今の千冬にはもうやるべきことがはっきり定まっているのだ。誰に伝わらなくてもいいから、千冬の正直な気持ちを口にしておきたかった。
 そのまま次は弐番隊隊長三ツ谷から副隊長となった八戒への言葉になって、千冬の副隊長任命は終わったのだった。
 そんなことをぼんやりと思い出していたので、千冬と呼ばれて一瞬返事が遅れた。

「千冬!」
「へ? あ、ハイ?」
「あー、ビビったわ、マジで寝たかと思った」
「イヤそんな危ねえこと、しねぇっス」
「ハッ、どーだかな」

 あ、場地さんひでえ、と冗談交じりに言うと、向こうからも笑った声が返ってくる。

「で? なに、考え事でもしてたン?」
「考え事って程じゃないっスけどね。任命式、思い出してました」
「ん?」

 千冬は正直に、自分が副隊長に任命された時の事を思い出していたのだと伝える。さっきの話しながら思い出しちゃって、と。すると場地は、ふうん、と返してきた。任命式なんて半年は前になるはずなのに今頃と思われただろうかと、珍しく千冬は不安になる。でも、そんなの一瞬で、彼が千冬の話を聞きだしたかと思ったら次の話に繋げないことなんていつもの事だったと思って開き直った。

「ね、場地さん」
「あン?」
「なんでオレだったんすか」

 そういえば、理由については一度も聞いたことがなかったと思い至る。その気持ちのままに気づいたら尋ねていた。尋ねなくたって、喧嘩の腕を買われたからとか、簡単に分かりそうなものなのに。
 でも、場地の口から聞きたいとつい欲が出たのだった。

(まあ、答えてくんねえ可能性も高いけど)

 もし仮になんで聞くんだよ、うぜえと言われても千冬的にはそれで構わないのだけれど。
 でも、案外予想というものは外れるというもので、場地はしばらく口を閉ざしていたけれど、ぽつりと零した。

「お前意外、いねえだろ」

 たった一言。それだけだったけれど、千冬にとっては充分すぎる言葉だった。口元が緩むのを抑えられない。もし今、この表情を見られたら確実に殴られていた気がするから、ここが単車の上で良かったとさえ思う。そうやって、ちょっと気を紛らわせないと思わず叫んでしまいそうなくらい、それくらい嬉しかった。それでも、素直に気持ちは伝える。

「場地さん、オレ、幸せ者っス」
「ハハ、大げさ」
「大げさじゃないんスよ、オレにとっては」

 彼の口から聞けたことが全てなのだ。かつての人生でも一度も聞けなかったことだと思う。前の時はそもそも聞こうとも思わなかったというのもあるけれど。全てを場地圭介に捧げてきた千冬にとって、これ以上の理由はないのではないだろうか。

「場地さん」
「あ?」
「一生尽くします」
「おー、頼んだワ」

 真っ直ぐ進行方向を向いたまま、場地はそう言う。

(今度こそ)

 目の前の大きな背中を見つめながら、千冬は改めて心に誓うのだった。

(そうか、今日だったよな)

「また会えて嬉しいぜ、相棒」

 その日、万次郎が武道を連れてきた。
 本当は今すぐにでも話しかけに行ってその肩に腕を回したい気分だったけれど、ぐっとこらえる。千冬が武道と初めて言葉を交わすべきは今ではないことをよく知っていたから。
 花垣武道。千冬が十二年を捧げた男だ。東京卍會の最高幹部の一人。いつだか、なぜ東卍に入ることになったのかを聞いたことがある。その時彼は笑いながら相当の無茶をした話を聞かせてくれたっけ、と思い出す。下っ端にされていた不良のボスへ挑んで行ってタコ殴りにされていたところへ万次郎と堅が来たのだと聞いて、武道らしいやと思ったのだ。その通りに、遠目から見た彼は顔にいくつも絆創膏を貼っていた。

「場地さん、マイキー君が誰か連れてきたみたいっスよ」
「あー? ……きょーみねえ」
「ハハ、そっすよね」

 場地は基本的に他人に興味がない。他人にと言うと語弊があるけれど、自分に直接関係ないと思った事に関しては面倒くさそうに振舞うことが多かった。当然千冬にはそのことが分かっていたけれど、それでも今回は思わず言いたい気分になったのだった。

「……なに、あいつの事気になんの」
「え?」
「いや、なんでもねえ」
「気になるって言ったら……まあ、タメらしいんで」

 本当の理由なんて言えるわけないから、建前上はそういう事にしてみる。まさか場地から尋ねられるなんて思ってもいなかったのだ。

「……もしかして、妬いてくれました?」
「……悪ぃか」
「は?」

 これ以上同じ話をしていたらうっかり話の中で相棒と口にしそうで、話題を若干逸らすために冗談で尋ねたことに対して素直に戻ってきた回答に、千冬は思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
 場地と千冬の関係性が隊長副隊長兼友人から変化したのは、少しだけ前の話だった。春と夏が入り混じる時期に二人は恋人となっていた。
 それは学校の屋上で。駄弁りながら、かったるいっスねー、なんて笑い合っていた時に。
 先に気持ちを告げてきたのは、場地の方だった。オレ、お前のこと好きだワと言われたのが、その始まりだ。珍しく照れた表情でそう言われて、千冬自身の秘めていた想いを告げないほうが無理だという話。そうして二人は付き合うことになった。

「なんだよ」
「いや……へへっ」

 二人の会話なんて誰も気にしていないだろうけれど、周囲には伏せている関係性だ。チームで集まっている中で場地からこんな答えが返ってくるとは珍しい。もしかしたら、過去よりも少しだけ、彼の心の中を覗こうと踏み込んでしまうからだろうか。記憶の中にあるよりずっと、彼からの愛のようなものを受け取る機会が多いように思える。

(ちょっとくらいは我慢しないといけねぇのに)

 そう思っていても、彼の心の中を、千冬への気持ちを知りたいと思ってしまうのだ。場地にとっての千冬が本当に大切な存在であったことを、自覚したい。
 本人を喪って十年以上抱え続けた傷は、我慢しようと意識したとてそれをあっさりと壊していってしまうものだから困る。

「お前らー、集会はじめっぞー」

 副総長の号令が耳に届いてきて、千冬はハッとする。いつまでも気を抜いているわけにはいかない。

(これだけで、十分だ)

 場地と付き合い始めてから何度も繰り返したそれ。再び言い聞かせる。
 何よりもこの関係は二人きりの秘め事だと、心に刻む。

(こっからが、本番なんだから)

 今日は、七月二十日。その日が来るまで、あと約三か月だ。
 場地との関係性がこの三カ月で終わってしまうと知っていても、不思議と悲しさは感じなかった。

(あー、痛ッてェ)

 歩く気力もなく、地べたに寝転がる。廃ゲーセンから這いつくばるように外へ出てきたところだった。過去もこうして同じ場所で大の字になっていた気がする。
 踏み絵とはよく言ったものだと思う。信じたものを裏切るなら、その絵を踏め。元は江戸時代、キリスト教が禁止されていた時代にイエスを踏ませることで潜伏しているキリシタンを暴き出すことに由来していたはずだ。東京卍會の神は、総長佐野万次郎。その神を裏切るのだからと、千冬が連れてこられた。
 千冬は、場地にとって尤も信用できる部下という事になっている。それはチーム内でもよく知れた話だし、当然他のチーム内にだって噂くらいは伝わっているだろう。もし場地圭介が東卍からのスパイであるなら、腹心の副隊長はそれを知っているはずだ。その公式が成り立つからこそ自分が呼ばれた。
 当然、千冬は今日ここで自分が何をされているかわかっていた。どんな目的があるのかも知っていた。でも、わかっているということは時に、何もわからないよりも恐怖心を煽る。過去に感じた痛みも、場の空気も、何もかもをよく覚えていたから。それでも、あの時の方がもっと痛かったと思う。かつては彼の真意がはっきり見える前だった。信じているという言葉に間違いはなかったけれど、自分が本当に腹心と称されるべきなのか自問自答だって当然した。場地は今尚東卍のために動いていると、確信に変わるまでの時間はとてつもないものだったのだから。

(今は、怖くねぇ)

 場地がなぜ芭流覇羅へ入ったのか、その全てを知っている。全ては首のない天使の素性を暴くため。今の千冬はもう、その後ろに控えた首も、彼がその首をどうするつもりだったかに関しても知っているのだ。
 アジトから出てどれくらい経っただろうか。正直、まだ起き上がる気にはならなかった。顔を中心に殴られたから、頭がジンジンする。あの力で殴られ続けてよく脳が割れなかったと、そうやって半分笑い飛ばしていないとやっていられないくらいに痛い。それでも、心が痛まないだけでこんなに楽だということを、知った。

(今のオレは、場地さんと同じ目的で動いてる)

 今度こそ間違いなく、彼と同じ目的で動いていると分かっている。稀咲を愛する東卍からはじき出すために、そのためにここまで来たのだ。

(場地さん、やぱり辛そうだったな)

 やはり考えることは、場地の事。これは前回だって感じていたことだ。彼は基本的に人を殴る時に笑っていることばかりだ。元々喧嘩が好きなのだ。ずっと見てきたから知っていた。その場地が、あんな無表情で千冬に拳をぶつけてきた。まるで心を殺しているようだと思っていたそれが、今日確信に変わる。何も言わずにチームを辞めたことも破局を選択したことにも、ちゃんと意味があったと。
 全ては、東卍の為に。

(オレは、場地さんを守るためにここにいる)

 何より、千冬の軸だって変わることはないのだ。
 そう。彼のためにここにいるのだと、もう一度自分自身に言い聞かせた。

 初めて会った時から、絶対に気が合うと思っていた。何故とか、そういうことは一切わからないけれど、友達にだったら絶対なれるなとそう確信していたから、協力してもらおうと思ったのだ。

「よろしく頼むぜ、相棒」

 もう一度こう呼べる日が来るなんてと、千冬は少し感慨深い気分だった。
 やっと彼をこの愛称で呼ぶことができて、千冬の気分が上がる。そのまま武道と傘を差して並んで歩く。話をしながら不意にいつ東卍に入ったのか聞かれたので、一年の夏前だと伝えた。

「へー、一年の時から東卍にいるんだ!」
「場地さんが誘ってくれたんだ。オレ、場地さんと同中でさ」

 誘ってくれたというが、気づいたら構成員になっていたというのが正直なところではあるのだけれど。今日からこいつ、壱番隊にいれるワと言われるがままに、ハイ! と勢いよく返事をしたものだった。

「へー、先輩から誘われるってすごいな」
「まーな。学年はオレらと同じだけど」
「え? だって、場地君って三年生だろ?」
「いや、二年」
「え!?」

 はは、と千冬は笑う。誰だって、中学生で留年しているから年齢よりは一つ下の学年ですなんて言われても最初理解できないだろう。

「場地君って、マイキー君の親友なんだろ? 年下ってこと?」
「創設メンバーはみんな同い年」
「ますますわけわかんねえ……」

 真剣に悩み始めた武道を横目に、千冬は笑う。きっとからかわれていると思っているだろうけれど、残念ながらここまでの話はすべて本当の事だと伝えたら、さらに驚いてくれるんじゃないだろうか。
 いつだって真っ直ぐで、どこまでも純粋なこの人が、場地とはまた違った意味で千冬は好きだった。
 そんな話をしながら、分かれ道になるまで歩いていく。その途中で千冬は大事なことを思い出した。

「あ、そうだ、相棒」
「な、なんだよ?」
「連絡先、教えて」
「ああ」

 一緒に行動をするなら、気軽に連絡が取れたほうがいい。連絡先を知っているつもりになっていたから、忘れるところだった。今日ここで武道の連絡先を知ってから、十二年にも渡りほぼ毎日やり取りをするようになるのだから、驚く。

「千冬の待ち受けの猫、可愛いな」
「これ、ウチの猫。ペケJ って言うんだ」
「へー、猫飼ってんだ。なんかいいな!」
「サンキュ」

 じゃ、これオレの番号ね。メルアドはこっちと伝えて、二人は別れた。先に歩いていく武道の背を見送る。

(相棒はあの後、どうなったんだろうな)

 先に撃たれて死んだから、何もわからない。もしかしたら、協力人がなんとか間に合ってくれたかもしれないけれど。

(タケミっち、もうお前がヒナちゃんを殺す未来なんて、ぜってえ来ねえからな)

 ハロウィンを無事に終え、稀咲を東卍から追い出せれば。それは絶対に叶うだろう。

「場地さん……」

 目的は、二つ。一つは場地の助けになること。もう一つは、稀咲を東卍からはじき出す。場地の目的は二つ目の事なのだから、結果としてやるべき事はたった一つだ。 

 いずれ通ることになるこの日の事は、何度も考えた。
 絶対に避けて通れないのが血のハロウィンだが、千冬にとってはその前日だってとても印象に残る、大切な日だったから。

「タケミっち、ちょっと付き合え」

 ここ数日当然のように行動を共にしていた武道が不思議そうな顔をしていた。明日がいよいよという話をしていたところで突然言われたのだから、当然の反応だろう。
 付き合えと言った割に、千冬は彼にどこへ行くのかを伝えられないまま歩いていく。武道も武道で、千冬が何か思考の底にいることを感じ取っているのだろう。時間にして約十分、向かうは歩道橋の上だった。

(帰りに絶対二人で通ってたのに、もう十日、あなたが隣にいない)

 この先を真っ直ぐ行くと、二人が住む団地に至る。放課後集会がない日、よく歩道橋の上で足を止め、流行く車の動きを見ながら駄弁ったものだ。

「急に呼び出してすいません」

 正直、昨日時点でかなり悩んだのだ。前の時に、決戦前日場地に会おうとしたのには当然訳があった。あれほど信じていると言い続けていた千冬だったけれど、それでも一抹の不安は残っていたのだ。ないと分かっていても、もし本当に場地が東卍を裏切るつもりでいたとしたら。その、僅か一パーセントにも満たないであろう可能性が恐ろしくて。もしかしたら、今なら引き留められるかもしれない、本心を知れるかもしれないと、そんな期待を抱いたのを否定できなかった。だから、夜遅くに一通「話したいことがあるので夕方四時ごろ、歩道橋へに来てほしい」とメールを打ったのだった。

(でも、今回は、必要なかったはずなんだ)

 これまで、過去となるべく同じ行動を取ってきた。本当に変えなければいけない瞬間を、確実にするために。でも、場地がどんな目的で単独動いているのか分かっている今としては、わざわざ本心を探ろうとしなくても、いいはずだ。今日彼を呼び出さなくても、正直明日の出来事に影響はしない気もしていた。
 それでも、今日彼をこの場に呼び出したのは、このやり取りを武道に見て欲しかったからなのかもしれない。もしあの日も今日も千冬だけで彼に会っていたのなら、会わなかったかもしれないけれど。

「千冬ぅ、殴られ足んねーの?」
「場地さん、稀咲のシッポは掴めましたか?」

 相変わらず、多くの人からは何を考えているかわからないと言われるその表情を崩さない。でも、千冬は今度こそ確信をした。千冬が何も言わずとも場地のことを信じていると確信してくれていたから、これを貫き通していたのだと。千冬に真実を告げなかったのは、彼なりの不器用な優しさだった。
 言葉のやり取りは続く。あの日はとても緊張していたから、正直一言一句を覚えてはいなかった。うろ覚えの中で、場地に対して告げたことを思い出しながら、説得を試みる。

(これで場地さんが戻って来ねえのは、知ってる。でも、今だって気持ちは変わってねえ)

「千冬……いつも口酸っぱくして教えてきたろー?」

 仲間以外信用するな、これが場地のくれた答えだったのだ。初めて出会った時に千冬の事を仲間と呼んでくれてから、場地にとって千冬はずっと仲間だった。それはつまり、千冬にとっても場地はずっと仲間であり続けるという事なのだ。

(場地さん、ありがとう。オレに、大切なことを教えてくれて)

 なんて大きな背中を追ってきたのだろう。そんな存在に出会えたのだろう。二十五歳になっても、こんな存在にはなれなかったと思うからこそ、場地圭介という存在がこんなにも大きいままだ。

(タケミっち、聞いてくれたか。オレたちの原点はここにあるんだ) 

 ある時から、稀咲の手によって場地に託された方向から少しずつ逸れてしまった相棒だけれど、彼が彼なりに必死になってくれた時代を、千冬は忘れていない。

「場地君と二人で話してもいいか?」
「ああ」

 真っ直ぐ場地を見つめる武道の目を見て、千冬はそう思うのだった。
 そしてそのまま離れて二人を見守る。一体何を話しているのかなんて、そんな野暮なことは考えない。武道は不思議なやつで、なぜか東卍に入る前から、誰よりも東卍の事を案じてくれていた。この先の未来、それこそ明日の決戦の時だって、武道がいてくれたから最悪の結果の中にも希望が芽生えたのだ。何故彼がこれほど必死だったのかは、結局何一つわからずじまいだったけれど、場地の意思を継いだのが彼で良かったのだと、そして何より、千冬の最期においても未来を託したいと思えたのが相棒でよかったとそう思っているのだった。
 場地が武道に背を向ける。それを見送った彼は、千冬の元へ戻ってきた。

「千冬、お待たせ」
「おう」
「……悪いんだけどさ、オレマイキー君のところに行かなきゃいけないんだ」
「場地さんが戻らねえって、言いに行くんだろ」
「……そうなんだけど」

 きっと言いにくかったのだろう、回答が半秒遅れる。それは、千冬に対する気遣いでもあったのかもしれない。

「ハハ、どっちにしてもオレもやることあるから、ここで解散な」

 場地さんが戻らないって言ってるなら今じゃねえってことだろうよ、と武道に伝える。そのニュアンスの中に、東卍が敵であると言ったのは偽りだと含めながら。

「場地さんは、仲間だ」
「千冬……」

 きっと、場地を連れ戻せなかったと千冬に告げることが心苦しかったのだろう。誰よりも、人の気持ちを考える、そういう男だから。それを知っているから、あえてはっきり伝えた。戻って来いと先に行ったのは千冬の方だけれど、場地にとって東卍に戻るときにはまだ早いのだ。

「それじゃ相棒」

 またまたあとで、決起集会でな。そう言って二人は別方向に向かって歩き始めた。

「千冬!?」

 真っ先に聞こえてきたのは、武道の声だった。同様に驚いた声が、いくつも千冬に向かって飛んでくる。
 ああ痛え、そう思った。
 全く、綺麗に進んだシナリオだったと思う。抗争が始まり、乱闘になる中で場地を追いかけた。彼を止めようとして止められなくて、そのうちにあの瞬間が訪れた。
 あの瞬間、すなわち、一虎が場地を刺すその瞬間。
 訪れるべき時まで、ただあの日をなぞり続けた日々。

(ずっと考えてたんだ、どうしたらいいかって)

 簡単な答えだった。場地が刺されることを一つ阻止できれば、万次郎が一虎を殴り殺そうとすることはない。そうなれば、場地が自死を選ぶ理由もない。と。
 この抗争で起こる全てが分かっている千冬なら、万次郎が痛めつけられることすら回避できたかもしれない。しかし千冬はそれを選択しなかった。全ては最悪のその瞬間を塗り替えるために他ならない。
 そして今漸く、過去に起こした行動とは異なる手を打つ。
 場地に向けられたその刃の間に、滑り込むことができたのだ。

(前にタケミっちが教えてくれたんだ)

 なぜ、あと一歩で稀咲をやれるというその瞬間に場地が宿敵を前にして血を流していたのか。その真実を教えてくれたのが、武道だった。だから、ずっとこの瞬間が来たときどうするかをシュミレートし続けたのだ。

「千冬!?」
「一虎、くん、駄目っすよ」

 場地を抑えている武道を左目に捕らえると、千冬は向かってきた一虎に視線を向けた。
 堂々と虎に向かい合う形で入って行ったために、ナイフは千冬の腹にずぶりと刺さった。割り込むことに必死だったからどこに刺さるかなんて考えてもいなかったけれど、臓器にまで至っている可能性も捨てられないなと、脳内奥、どこか冷静な部分が残っているのが不思議な気分だ。半グレ集団の最高幹部補佐として生きる中で、刺されかけたことはあったが、ここまでの経験はさすがになかった。素直に、痛いと思う。

「お前、なんで、なに、」

 ナイフを握る一虎の手が震えているのを刺さっている部分から感じる。

「思い出してください、場地さんが、いつだってアンタの味方だったこと。手紙を、ずっと送ってたこと」
「なんでてめえが、そんなこと……」
「今まで、一虎君と一緒にいた場地さんより、半間の言う事なんか信じるんスか」
「は……?」

 一虎の顔にはっきりと、なぜそのことを知っているんだという表情が浮かんだのを千冬は限界の意識の中でも見落とさなかった。この抗争の中でずっと場地に張り付いていた千冬に、一虎と半間が電話をしていたことを知れるはずがないのだ。

「一虎君と、場地さんを、割るための作戦だったら、どうするんですか」
「オレは、オレは、マイキーを殺さなきゃ、場地までオレを裏切った、」
「千冬、千冬! 一虎の事はオレに任せろ、」
「……たら、……すか」
「は?」
「任したら、場地さん、どうなるんスか」

 混乱をした一虎の手から、ナイフが離れる。その衝撃による痛みで思わず後ろへ倒れた千冬を、場地が抱き留めた。どうやら武道の拘束を振りほどいたらしい。今止血するから喋るなという言葉を遮って、尋ねる。
 あとは任せろと言って、その末に彼が再び命を失うことがあるとしたら。そんなことはあってはいけない。

「お前、何言って」

 場地の困惑に答えることはせず、千冬が今話しかけるべきは一虎だから、彼の方へ視線を向ける。オレの目を見ろ一虎と念じると、何かを感じ取ったのか、本当に目が合ってほっとした。千冬はいつもオレの目見て話すよなと言ったのは、未来の彼だった。

「一虎君、地獄へ一人で行くつもりですか」
「な、てめえ、一体……」

 ああ、もう少しだ。千冬は確信した。
 血のハロウィンによる悲劇は、死傷者が出たこと。それが双方場地だったことが原因だと、千冬は冷静に分析していた。勿論、最初からこんな風に達観した考え方ができていたわけではない。彼を失った世界で戦い続けてきたから、そうやって考えられるようになった。大元を辿れば、稀咲哲太が裏で全てを操っているのが悪い。けれど、一虎によって刺されたのが場地でさえなければ、状況は確実に変わっていたのだ。
 場地にとって万次郎がかけがえのない存在であるのと同様に、万次郎にとっての彼もそうなのだから。子の瞬間さえ回避すれば万次郎が正気を失い、一虎を殴り殺そうとする状況だって起こらなくなるはずだ。
 そして全ては、一虎が正気を取り戻せばよい話なのだと。

(未来の一虎君が、そう言っていたから)

 もっと早くに、大事なことに気づいてれば良かった。そう千冬に零したのは、出所した後の彼だった。過ごしていく中で徐々に落とされていった、深い後悔。自分に話してくれたそれを千冬は忘れていない。

「なんだかんだ、一緒にいてくれたのが、場地さんっしょ?」

 一言一言話すのが辛くなってきた。それでも、あと少しだと千冬は信じる。一虎は、未来で千冬の協力者になってくれた。一人一人と仲間たちが今日この日に心に刻み付けたはずの東卍の意思を、場地の意思を失っていく中で。一人戦っていた千冬を、支えてくれた。だから、知っているのだ。
 一虎は、利用されてしまうくらい純粋なのだと。良い方にも悪い方にも、簡単に流されてしまうくらいに。

(稀咲は今日、場地さんを死なせるために動いている)

 全て、彼の思い描いているシナリオなのだ。彼は、それに利用をされただけ。そのきっかけを、崩してさえしまえば。きっと未来は明るくなる。

「一虎君」

 場地さんを見て。その言葉は、きちんと届いただろうか。

「千冬!? 千冬‼」

 長い長い走馬灯が、今終わる。

続き*https://yukitake634.fc2.page/?p=123

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