そしていつか、答え合わせを共に②

  千冬がタイムリープする話。ばじふゆ

 場地圭介には、忘れられない夢があった。
 十二歳の、晩秋の出来事だ。迎えたばかりの誕生日の数日後だったとも記憶している。

(これは、なんの夢だ?)

 三人の男が、部屋の中にいる夢。金髪の男が一人と、黒髪の男が二人。なぜか黒髪の男二人は、パイプ椅子に括りつけられていた。そんな奇妙な夢。
 なぜ自分がその場にいるのか、場地には全くわからなかった。どこからこの空間に入ってきたことさえ思い出せない当たりこれが現実でないと理解するには充分だったはずだけれど、そんなことを思いつくわけがない。そしてさらに不思議なことに、どうやら三人には場地の姿が見えていないらしかった。何故だろうと怪訝に思う気持ちはあったけれど、身体は勝手に動く。その瞬間。場地は漸くこれが夢だと認識した。
 最初は、黒髪の二人の後頭部が見える位置にいたのだ。目の前には、金髪をかっちり決めた眼鏡の男。見たことのない男だ。もしかしたら黒髪の方は知っているかもしれないと思って、そこから、黒髪二人の顔が見えるところまで歩いていく。その途中で、不意にさっきまで聞こえなかった彼らの会話が耳に入ってきた。

「場地圭介の復讐リベンジか?」

(は? オレ?)

 一体どういう事だろうと首を傾げる。自身の名が聞こえてきて、場地はもう一度、金髪の男を見た。でも、何度見ても思い出そうとしても、全く記憶にない顔。しかも相手は大人だ。十二歳の場地が知っている大人なんて、親と学校の先生以外にはよく行くコンビニの店員しか思い浮かばない。場地は勉強が得意な方ではないけれど、人の顔と名前を覚える事ならほどほどに得意なはずなのに。そうしている間に、黒髪二人の表情が見えるところまで歩いてきていたようだった。しかしその顔を見ても、やはり誰かは分からない。
 その代わり、気づいたこともあるのだけれど。

(すげえ怪我)

 そのうちの一人、先ほど場地の、と問いかけられた方の男は、酷い有様だった。黒髪をツーブロックに刈り上げているその男の頬は切れ、目からは血が流れている。どう考えたって、金髪の男に何かされたとしか思えない状況。
 そうして不思議に思っている間に状況は刻一刻と変わっていく。銃を持ち出す金髪の男、足を撃たれたもう一人の黒髪の男が泣きわめく。取り乱したその男に向かって叫び、銃口を突き付けられたまま語りかける顔に怪我を負った男。
 本当に、奇妙な夢だと思った。まるで何かの映画を見ているかのように移り変わっていくシーンを眺めながら、徐々に場地は何かを思い出さないといけないという気持ちにさせられた。

(こいつら、誰だ?)

 何度思い出そうとしても、わからない。こんな、いかにも悪い世界に身を置いていますなんて見た目の大人を場地は知らない。知るわけがない。でも、知っていなければいけないような、そんな気持ちにさせられたのだ。
 きっと場地とこの三人には、何かのつながりがあると。そんな声が聞こえた気がした。
 その時だった。

「場地さんの想いを」

 耳を擽ったのは、どこかで聞いたことのある声よりもさらに低くなったもの。
 ドクン、と心臓が跳ねた気がした。

(オレは、こいつを知ってる)

 一瞬の間に、様々な思考が一気に駆け巡る。ほんの数秒しかない出来事だったはずなのに、彼がそう言った瞬間、思い出せないことが酷く、もどかしくなった。自分は、この男を知っている。今にも殺されそうになっている、この男を。思い出せ、彼は誰だ。誰よりの近くにいて、誰よりも自分を信じてくれていた……。

「東卍を頼むぞ、相棒」

 そうだ、彼は。

「千冬―――ッッッ‼」 

 絶叫。しかし場地の声は誰にも届かない。
 だって、これは夢で、場地は本来ここにいないのだから。
 なぜ、今思い出すのだろう。どうして思い出せなかったのだろうか。一瞬のうちに、記憶が舞い戻ってきた。今なら確信できる。これは前世の記憶だ。いつも側にいて、最後まで場地に付いてきてくれた忠臣の存在を、誰よりも信用していた腹心の存在を、どうして今この瞬間まで思い出すことができなかったのだろうか。場地は確かに悔やんだ。

(稀咲、てめえはいつかオレが殺す……!)

 千冬はずっと戦っていたのだった。場地が死んだあの後、十二年にも渡ってずっと、反撃の時を待っていたのだ。しかし、この状況。彼の目的は果たされなかったことを場地は知ってしまった。それどころか千冬は、稀咲に殺されてしまった。そう、これは夢なんかじゃなく、現実で起きた出来事だったと場地は、夢の終わりで確かにそう悟った。

(オレは今日、家で寝てたんだ)

 場地圭介、小学六年生。否、今は場地圭介なんて名前ではない。今は違う名前で、ごくごく普通の小学生だ。喧嘩もバイクも、東京卍會も一切知らないし、関わりもない。でも、魂は確かに場地だった。
 そんな彼は今朝がたから体調を崩して、今日は大事を取って一日学校を休んだのだ。明日はきっと、友達に馬鹿にされると思いながら。熱に浮かされたまま、眠っていたのだ。その中で見た夢だった。
 ……否、夢だと思っていたものは、まさに今この瞬間に現実で起こっていた出来事だったけれど、そんなことを彼が知ることはないだろう。
 場地は、一度この世界で死んだ。十二年前の出来事だ。そして生まれ変わり、十二年が経っていた。そう、千冬と武道が、二十五歳となったこの世界で。そして、千冬が命を終えたその瞬間を、確かに夢の中で見届けることになったのだった。幽体離脱、そう言ったら誰が信じてくれるのだろうか。

(夢だと思った。でも違うんだな。千冬、武道、お前らは、あの日のオレの言葉を守って戦ってくれたんだ)

 目を覚ますその瞬間、場地は確かにその事実を理解した。
 しかし、誰のいたずらであろうか。目を覚ました場地は、この夢を全て忘れていた。熱が冷めたその身で、これまでの十二年間と何も変わらない世界を生きていく。
 場地がこの日の夢を思い出すのは、この日から約二年後の春の出来事だった。
 場所は、団地の入り口。時間は夕刻前。
 松野千冬が、男打羅を一人相手しているのを、影で見ていたその瞬間に時は戻る。

(どういうことだ?)

 場地は、混乱した。
 さっきまで、学校にいたはずだ。やっと放課後になったのが嬉しくて、勢いよく飛び出したのを覚えている。

(ここは、団地?)

 学校にいて、サッカーの助っ人に呼ばれて、参加していたはずだったのだ。

「これは、昔の」

 混乱するその瞬間で、一気に情報が脳内に流れ込んできた。まるで記憶を上書きされるかのように、それが正しいというかのように。
 場地圭介の、二つの人生が、脳内に流れてきたのだった。

(そうだ、オレは一度死んだんじゃねえか。稀咲を追放するため芭流覇羅に入って、一虎とマイキーのために、自分の事を刺した)

 これが、一度目の人生だった。そして、もう一つの人生のことだってまだ記憶に鮮明に残っている。

(オレは生まれ変わった。今度は暴走族には入ってねえ、チョロいガキ。ダブってねえからオフクロ心配させることもなくて、今日はダチにサッカーの助っ人頼まれてそれで)

 二度目の人生で、場地は留年することなく正しく中学二年生になっていた。少し前に何事もなく進級して、ほどほどに楽しい学校生活を送っていた。部活は特に所属していなかったけれど運動神経は良かったから良く助っ人として駆り出されてたのだ。まさに今日もそんな日で、友人からパスを受け取って間もなくシュート……と、思った次の瞬間に、ここに立っていたのだ。

(どーゆーこった、死ぬ前の、それも千冬にあった日に、戻ったってのか……?)

 正直、二度目の生を送っていたはずの今の今まで、千冬の事も稀咲の事も東卍の事も何も覚えていなかった。何も知らないまま、普通の中学生として生きていたはずだ。でも、今のこの瞬間で、はっきり理解する。確かに自分はかつて東京卍會壱番隊の隊長で、あのハロウィンの日に一度人生を終わらせたのだと。
 そこまでぐるっと思考が回って、場地のなかでストンと、今やるべきことが落ちてくる。

(…まずは、千冬、助けてやらねえとな)

 助ける、というのは語弊があるかもしれない。千冬は決して、弱くない。それは、彼を傍に置いてきた場地自身が一番よく知っていることだった。けれど数の不利は当然あるのだ。だから、これは協力というのが正しいのかもしれない。
 とうとうモップを取り出してきた下衆の後ろから、姿を見せた。

「東京卍會壱番隊隊長」

 ああ、再びこうして名乗れる日が来るとは。
 場地は今日、心が満たされるという言葉の意味を、辞書以外で初めて知った。
 あっという間に相手を片付けた場地は、くるりと振り返ると千冬を見た。彼の目が輝いているのが分かって場地の気分が上がった。前世の時だって、この時この出来事がきっかけで千冬が自分についてくると決めてくれたことは分かっていたから。あの日をもう一度経験できるなんて。そう思ったら胸がいっぱいになるのだった。
 まだ、何が起きたのかは正直よくわからない。
 それでも、この短時間で決意したことがある。
 この時間がいつまで続くかは、わからない。けれど、あのハロウィンで場地は死んではならないと誓った。

(そうだ十二の時に、夢を見た)

 なぜ思い出したのだろう。なぜ今なのだろう。数年前に熱を出した日、何か忘れてはいけないものがあったように思えていた。それを今こうして漸く、思い出すことができたのだ。
 今日はいろんなことを思い出してばかりだ。しかし、一つ確かに分かることがある。全ては繋がっているという事。
 二年ほど前に、夢を見た。何故今日この日まで忘れていたのかはわからない。忘れてはいけないはずだったのに、記憶から抜けてしまっていたのは事実だ。でも、思い出した。あの日見た夢の中で、大人になった千冬が確かに死んだのだ。自死を選んだ場地に対して、千冬はその選択肢さえ与えられていなかったように思う。
 場地が過去にあんな形で死んでしまったから千冬は場地のために生き、場地のせいで死ぬことになってしまった事を、今の場地はもう知ってしまっているのだ。

(あんな未来、起こさせねえ)

 千冬には、幸せになって欲しかった。いつだって場地の事を信じ、従い付いてきたこの世で最も信用できる男。それが場地にとっての松野千冬だ。しかし、場地が託したその結果があんな悲惨な現実を招いた。と考えると、未来が分かっている今、知ってしまった今、託すなんてもってのほかだとそれくらいは場地でもわかった。稀咲を倒さなければならない。でも、千冬にも、そして武道にも、背負わせてはいけないのだ。あれを仕留めるのは、自分自身の手でなければならない。そう誓った。

(オレは生きて、二千五年十一月一日を迎える。そんで、稀咲は俺がぶっ殺す)

 千冬はあんな形で死んではいけなかった。難しいことを考えることは得意じゃないから、シンプルに考える。かつて稀咲のしっぽを掴んで彼を東京卍會から追い出すことを考えていて、それを目的に行動を起こした。そして今、改めて場地がしたいことは何か。そう考えた時に出てくる素直な気持ち。今、場地にわかることなんてそれくらいだ。

(頭撃たれて、痛かったよな、千冬)

 あの日見た夢を思い出す。まさか、彼があんな死に方をするとは思わなかった。思うわけがなかった。背景は全くわからないけれど、稀咲哲太は場地が思っていた以上に厄介な相手だったことを、あの時に知ったのだ。
 けれど、いつまでも回想に浸っているわけにはいかない。目の前には、あの日が存在しているのだから。現実を見なければ。

「千冬う」

 名前を読んで振り返ると、未だ驚いた顔をする彼と目が合う。前もこんな表情をしてしたっけ。この日からずっと場地を信じ付いてきてくれるようになった、その最初の日の表情を改めて見ることができるなんて思ってもみなかったから、素直に嬉しいと思った。誰だって、真っ直ぐ慕ってくれる人がそばにいるのは嬉しいことだ。特に場地は昔からその性格的に何を考えているのかわからないと言われることだって多かったから。そんな場地をずっと一途に慕ってくれた千冬に対して、嫌うなというほうが難しい話なのではないだろうか。

「ペヤング好きぃ?」
「はい!」

 きらきらした目を再び真っ直ぐに受けて、場地も思わず笑顔になった。
 ああ、そういえばこの日家に帰ってせっかくペヤングを食べようとしたのに、ストックが一つしかなかったんだっけと思い出した。それでも構わない。今日この日この時から、場地と千冬の関係は始まったのだ。そう考えるとわざわざ買いに行こうなんて思わなかった。そのまま、うちはここの五階だからと告げるとうちは二階ですと返ってくる。そんなこと当然のように知っていたけれど、同じ団地かと驚いてみせる。ああ。懐かしい。よくこの団地の踊り場で、時間を忘れて駄弁っていたっけ。最初はお互いの家がある棟の階段を使っていたけれど、そのうち夜遅くまで一緒にいたいと思うようになって、声が響くのも良くないからと、入居者が少ない棟を探したりもしたっけ。と。
 心ここに在らずという表情のままの千冬を促して、場地は自宅へ足を進めるのだった。

「オレが二回目の一年に上がった時ってことか」

 あの後千冬を部屋に呼び、目的通りペヤングを半分コして食べた。そういえば、生まれ変わってからの十二年間はあまり口にする機会がなかったように思う。

(一虎は年少。あの夏は、終わっちまってるってことだ)

 あの夏。悲しい事件を起こしてしまった事は、もう消せない。残念だが、受け入れるしかなさそうだ。
 場地は、留年の本当の理由を総長たる万次郎にさえ言った事がなかった。大手向き、頭が悪かったからという事になっている。事実、勉強は得意でない。でも真実としてはあの夏の日に行き着く。
 万次郎の兄を殺めてしまった事。
 殺害が事故とはいえ、盗みに入った上にそんな事態を起こした場地には、観察期間が設けられていたのだった。観察と言っても世間的に言う法的な罰則を受けたわけではなかった。でも、事件の中心人物に変わりはない。どんな理由があれ、佐野真一郎が経営していたバイクショップに立ち入ったことは、覆せない。
 そんな場地に、学校側が下した罰則が、留年だったのだ。

(そこであいつに出会うンだから、オレはツイてんのかツイてねえのかって感じだな)

 場地さん、場地さんと慕ってくれた友人かつ、死ぬ直前の時期まで交際していた千冬の事を思い浮かべて、思わず口元が緩んだ。
 しかしそれも一瞬の話で、すぐに表情が険しくなったのを自覚する。勿論自室の中、誰かが見ているという事なんて一切ないのだけれど、もしここに鏡があったらあまりの温度差に自分自身で驚くことになっただろう。

「あいつを、東卍に入れていいのか?」

 かつて千冬をはじめに東京卍會へ誘ったのは、当然場地であった。自身が一番隊隊長を務めている、何よりも大切な組織。そこに千冬もいて欲しと思ったから、声を掛けた。いや、あれは声を掛けたというよりも、入ることが確定しているような言い方をした気もする。喧嘩の腕を買ったという事もあったけれど、なぜか千冬は東卍に入れるべきだとそう直感したのだった。
 でも夢を思い出してしまうと、自分の心にストップがかかる。東卍に入らなければ、もしかしたら銃で撃たれて死ぬなんてことは無くなるかもしれないと、そう思ってしまう。

「千冬」
「なんすか」
「お前、東卍入らねえ?」
「……入ります。入らせてください」

 結局、悩んでたことなんてなかったかのように、数日後には彼をチームに誘っていた。千冬は仲間を大切にすることがどんなに大事であるかを知っていた。その姿を見ていたから、よくわかっていた。場地さんのことならなんでもわかりますよとよく千冬が言っていたが、場地だって千冬のことをずっと見てきたのだ。
 あの頃は一匹狼に見えていた千冬に対していつか仲間の大切さがわかってくれればいいと思っていたけれど、今はそれを貫ける男なのだと理解しているからこそ、東卍にいて欲しいと思ったのだ。
 本人の意思は尊重すると決めていたけれど、千冬は入ると言ってくれた。だから場地は、すぐにとある人物に電話を入れる。挨拶はなし、いきなりの本題。

「マイキー、明日会わせたい奴がいんだけどよ」
「へー、めずらしーじゃん。誰?」
「明日の集会前に言うわ」
「おー。ケンチンにはオレから言っておく」
「助かる」

 通話は短いものだったけれど、元々携帯で話すよりは直接会って話すほうが得意な二人だ。すぐに通話終了音が聞こえてくる。そして携帯を畳んでポケットにしまうと、千冬の方へ向き直った。

「明日、マイキー……総長に合わせてやるから集会に来いよ」
「いいんスか」
「おう」

 場地が頷くと、千冬は嬉しそうな表情をした。前々から東卍のことは話題に出していたから、きっと気になっていたんだろうなと思っていたけれど、場地の記憶の中にある以上に千冬は東卍へ興味を持っていてくれたようだ。

「めっちゃ楽しみっス」

 じゃあ明日、よろしくお願いします。律義に頭を下げる千冬の髪をぐしゃぐしゃにしてやると、何するんすか! と抗議が返ってきて、それすら楽しいと思う場地なのであった。そういえば、気合の入ったリーゼント姿はこの世界で出会った最初のあの日しか見なかった気がするけれど、正直この髪型のほうが目に馴染んでいるなと、ふと思った。
 そして翌日、特攻服姿の場地は自身の愛機ゴキの後ろに制服姿の千冬を乗せ、武蔵神社へ向かった。何度も、こうして彼を後ろに乗せは知らせてきたけれど、過去に戻ってきてからは初めてである。うっかり懐かしさに浸りそうなところを必死で耐える。

「じゃ、行くぞー」
「はい、お願いします」
「落ちんなよー」

 千冬が確かに後ろへ乗ったことを確認すると、ゴキを動かす。そういえば、前世で場地が死んだあとこの愛機はどうなったのだろう。もしかしたら千冬が貰ってくれたかもしれない、そうだったらいいなとふと考える。

「……いいバイクっスね」
「おー、サンキュ。壊れてたの地道に直したんだワ」
「へー! 器用っスね、場地さん」
「まー、オレらの歳だと、譲ってもらうか直すしかねェからなあ」

 そんな話をしながら数十分のドライブを楽しんでいるうちに、あっという間に武蔵神社へ到着する。愛機を降りるや否や、真っ直ぐ万次郎に声を掛けた。

「マイキー! 連れてきたぜ」
「場地。へー、こいつが昨日言ってた奴?」
「おー」
「松野千冬っス」

 千冬が少し戸惑いながら万次郎にぺこりと頭を下げる。今まで単独で過ごすことが多かったというし、この頃はまだ暴走族にもさほど興味がなかった千冬だ。チームの総長と言われてもぱっとしないのだろう。それに、普段のマイキーからは暴走族の総長なんてオーラはあまり感じない。
 名乗ったはいいがどうしたらいいのかわからない、そんな千冬を興味深そうに眺める万次郎と、さらにその二人を眺める場地。とそこに、もう一人やってきた。

「お前珍しく早いな」
「千冬、こいつ副総長のドラケン」

 声がした方を向いた場地は、すぐ千冬にその人物を紹介した。千冬はもう一度名乗ると、頭を下げた。今度はさっきと違ってスムーズだ。堅の方が覇気を感じるからだろうかと思うと、少しだけ可笑しかった。

「あー、連れてくるって言ってた奴か」
「そーらしいよ。同じガッコなんだってさ」
「へー」
「今日からこいつ、壱番隊にいれるワ。な? 千冬」
「ハイ!」
「またお前、そうやっていつも急なのどうにかならねぇか?」
「うるせぇ。どうせ反対する気ねえだろ。いいじゃねえか、こいつ喧嘩は案外できるぜ」

 なあ千冬? ともう一度場地が尋ねると、もちろんス! と変わらず元気の良い返事が返ってきた。その様子を見て、万次郎と堅の表情が変わる。言うとすれば、面白いものを見つけたといった感じだろう。そういえば、千冬があまりにも場地を全肯定するものだから、いつしか面白がられるようになったけなとぼんやり思い出した。

「ま、いいよ。じゃあよろしくな、千冬」
「はい! あざっス!」

 喧嘩の腕前は今度見せてよと言って、万次郎は笑う。するとつられるように千冬も笑顔になるのだった。

「三ツ谷んとこ行ってくるわ」

 総長に了承を貰ったのだからもういいだろうと、場地は千冬の腕を引く。
 三ツ谷のところに行きたいのには理由がある。彼が壱番隊の隣、弐番隊長である点もそうだし、東卍のトップクは基本的に三ツ谷を経由して世話になっている仕立て屋で刺繍を入れて貰っているのだ。彼自らがその袖へ所属の隊や役職を入れたのは創設メンバーだけではあるが、入隊した構成員はまず総長と副総長、その次に弐番隊長の元へ行くが約束のようなものになっていた。

「三ツ谷ぁ」
「あれ、場地。珍しいじゃん」
「何が」
「お前最近いつもギリギリだったろ。猫見つけたから遅れたとか言って」
「お前まで、なんか文句あんのかよ」
「ハハ、煽ったわけじゃねえよ。なに、マイキーにも言われたって?」
「うるせー。笑ってるくせになんだよ。……千冬、こいつ弐番隊の三ツ谷。お前のトップクは三ツ谷に頼むから」
「おい場地、初耳だぞ」

 場地が見知らぬ人物を連れていることは当然気づいていただろうけれど、一体何を聞かされるのかと思ったらその説明もないものだから、思わず三ツ谷はツッコミを入れた。尤も、知らない人間が隊長に連れてこられているのだから、入隊だと大いに想像は付くのだけれど。三ツ谷は短く溜息を吐くと、別にいーけど、と言った。

「まァ了解。頼んどくわ」
「おー、よろしく」
「あの、オレ松野千冬って言います」
「弐番隊の三ツ谷隆。よろしくな」
「はい」 

 さて、この後どうしたんだろうなと場地は思考を巡らせる。多分参番、肆番と順に回って行ったのだったか。そんなことを考えながら、千冬に行くぞと声をかけるのであった。
 千冬ともう一度過ごすことのできる東卍での日々が楽しみで仕方がなかった。

 ぱちり、珍しく母親の怒鳴り声が聞こえてくる前に目が覚めた。

(今日だ)

 朝起きた時に、思い出した。
 否、本当は数日前から意識の中にはあったことだ。

(今日、オレは千冬に告る)

 春と夏が入り混じるその日だったことを、よく覚えていた。

(今回は、やめた方がいいのかもしれねえ)

 千冬に想いを告げることを、諦めれば、もしかしたら彼はあんな死に方をせずに済むのではないかと思ったのだ。なぜあの時、ずっと秘めたままにしておこうと思っていた気持ちを彼に告げることにしたのかは覚えていなかった。それでも、溢れる気持ちに耐えられなくなったのを記憶している。
 朝の登校は、ずっと一緒だ。この一年と少し、ずっと同じ時間に待ち合わせをした。かつての今日も、そうだった。約束している時間に千冬が来て、通学路を歩いていく。その時に、彼が提案してきたのだった。
 今日は天気がいいし屋上に行こうと。
 そんなことを思い出しながら、場地は身支度を整えると家を出た。きっと今日も二階に住んでいる千冬の方が少し早く外に出ていて、場地が来るのを待っていることだろう。昨日の夜もこの踊り場でずっと駄弁っていた。

「あ、場地さん。おはようございます」
「おー。おはよ」
「今日天気いいっスねー。よかったら昼飯、屋上行きません? 飯食った後に昼寝したらサイコーっスよ!」
「おう、いいな」
「じゃ、四時間目終わったら屋上来てください」

 空を見上げながら、千冬が笑う。どこか少しだけ、緊張して提案してきたように感じたけれど、断る理由なんてなかった。この日の昼休みに、二人の関係性が変わることを場地は知っている。だから、前の時と変わらずに今日の昼休みにあの場所へ行く理由がちゃんとできていて良かったとさえ思った。

(まァ、同じじゃないと困るんだけど)

 当然場地は過去にあった出来事、その時の言動を全て覚えているわけではない。もしかしたら同じように行動しているように思えて違う事をしている可能性だってある。でも、一番の目的であるあの日を変えるためには、なるべくそれまでの出来事は過去にあった通りに進めたいと思っていた。千冬に貸してもらった漫画で、過去を少しずつ変えて行ったら全てが変わってしまったという話を見たことがあるから、そうした方が良いと思ったのだ。本当に変えたいことの大筋は、かつてと何一つとして変わっていない。参番隊長は、何があっても林田だ。稀咲は東卍にいて良い人物ではない。ならば、あの日と同じ一日が来るために、今はまだ何も変えるべきではないのだ。
 とにかく、その目的のためにも今日場地は、屋上で再び彼への想いを告げるだろう。当然、その気持ちがあるからこそ変えたくないと思っているのだ。
 だからだろうか。昼休みになるまでが果てしなく遠いように感じた。

(まだ十五分しか経ってねえ)

 特に四時間目は長くて、退屈だった。
 初老の国語教師は、長年現場で生徒を教えてきただけあってどうやらその経験の深さでわかりやすい授業をするのだという。場地は学校でなるべく真面目なふりをしているが、その実はあまり勉学に関心がない。でも、本当に優秀な生徒たちが口を揃えてその国語教師がわかりやすいと言っているのだった。勉強の中でも特に国語が得意でない場地だけれど、確かに退屈すぎて眠くなるという事はあまりない気がしている。でも、今日だけはやけに体感時間が長くて、大変だった。

(あいつ今頃何してんだろうな)

 何をしているかだなんて、そんなの彼の教室で授業を受けているに決まっているのに、ついつい考えてしまう。

(まァ、寝てんだろーな)

 その割に、いつもだいたいテストの点数が赤点より少し上くらいは取れているから腹立たしいところではあるけれど。でもそのおかげで補講になった時、よく教えてもらってたっけ、なんてことを思い出す。

「……じ君、場地君!」
「ア?」
「次、場地君の、番だよ」

 少し考え事にのめりこみ過ぎたらしい。前に座っている男子生徒から声を掛けられて、思わず素の声が出た。クラスメイトは一瞬肩をびくつかせたけれど、すぐに次の段落、場地君の番だよと教えてくれた。

「えっと……どっから?」
「あー、ここ」

 あからさまに怖がられているのを感じながら、それでも優しく教えてくれたのだから素直にありがたいと思った。どうやら場地が脳内でこれから恋人になる人物について考えてるうちに、教科書の朗読になっていたらしい。ひと段落ずつ前から順番に読ませていくのだ。前の席が終わったのに場地が続けないものだから、寝ているんじゃないかとでも思って振り向いてくれたのだった。場地が中学生ながら留年しているのは有名な話だし、普段仲良くしているのが髪を金に染めピアスまで開けている千冬なものだから、クラスメイトからしたらただの同級生というわけにはいかないらしく、少し距離感を感じることは多々あった。けれど、いろんな怖い噂等の割には長い髪を結うなどほどほどに校則を守って、意外と授業を真面目に聞いているらしい場地に気を遣ってくれたらしい。慣れ合うつもりは特にないけれど、だからと言って邪険にするつもりもない。

「あんがとな。えーっと」

 きちんとお礼は伝えて、彼がほっとしたのを確認する、場地は目の前の難題に取り組むのだった。
 そうして長かった四限目を終えて、場地はふらっと席を立つ。目指すは当然、屋上だ。

「わりィ、待った?」
「や、待ってないっスよ」

 半分本当で、半分嘘だなと思った。チャイムが鳴ると同時に教室を出たから、場地の方が先に着くはずなのだ。千冬の教室より、場地の方が屋上へ上がる階段が近いのだから。

「お前、サボったん?」
「ハハ、バレました?」
「そりゃそうだろ。授業は出ろって言ってんだろー?」
「すいません」

 まあ、場地だって出来ることならフケてしまいたいと思っているし、強くいうつもりもないのだが。

(マイキーなんて、朝から放課後まで寝どおしって聞くしな)

 不良なんて、そういうものだ。

「場地さん、焼きそばパン持ってきたんスよ」
「マジ? 貰うわ。これ、どーしたん?」
「えっと、おふ…いや、かあちゃんが持たせてくれました」
「ふーん?」
「いや、すいません嘘っス。……オレが作りました」
「え、マジ?」
「はい。さすがに給食あんのに、作ってくれないっスよ」

 千冬は苦笑する。
 さて、二人が通う中学校は公立だ。当然、昼は給食がある。だから本来であれば自分たちで昼食を持参する必要はなかった。でも、教室にいてクラスメイトの中に混じって食べる気にならない時はこうして二人、教室を飛び出して落ち合うことが多いのだった。今日の千冬はどうやら最初から場地を呼ぶつもりだったらしい。そう考えると、なるほど朝ちょっと緊張しながら聞いてくるわけだと、一人納得する。

「サンキューな」
「ウス」

 包んであるラップを剥がして、一口。ちょうどいいソースの味が、口いっぱいに広がる。

「美味え」
「あざっス!」

 場地が飲み込むまで少しだけ不安そうな顔をしていた千冬だったけれど、正直な感想を溢すとぱあっと華やいだ表情に変わった。場地に食べてもらってほっとしたのだろう、彼も自分の手に持っているパンを齧るのだった。

(そうだったな、こいつのこーゆーところが好きだった)

 その様子を眺めながら、場地は思う。いつだって、場地のことを第一優先に考えて、場地の言う事に一喜一憂する、そんな風に全力で慕ってくれる千冬を見て、好意を抱かないほうが難しいという話。

「……千冬ぅ」
「……はい」
「オレ、お前の事好きだワ」

 タイミング的にはかつてより少し早まったかもしれないけれど、ああ、そういえばこんな風に自然に言葉が滑り出してきたのだったと、思い出す。千冬からの真っ直ぐ純粋な好意を受け続けてきて、別にそのままでも良かった。場地のことを尊敬しているのだと公言して憚らない彼を前に、いつも通り感謝の気持ちを持っているだけで十分だったはずだ。でも、それでは足りなくなったのだ。自分も、千冬に気持ちを伝いと思った。そして気持ちを伝えるだけでは足りないと。

「オレと付き合ってくんねえ?」

 千冬が場地に向けてくる好きという気持ちよりも、もっと重たいそれを受け止めて欲しいと思ったのだった。
 自分が伝えるべきことは伝えた。後は千冬の気持ちを尋ねるだけだ。そう思って、彼の方を真っ直ぐ見る。千冬は、半分食べかけになっていたパンを見つめている。脳内がせわしなく動いているだろうことだけは想像が付いた。

「千冬」

 はやく答えが欲しくて、つい催促のように声を掛けてしまった。前はどのようにして答えを貰ったのだったか。覚えていないのはきっと、滅多にしない緊張というものをしたせいだろう。
 これまで、過去にあったことはなるべく変えないようにと注意してきている。だから、ここで断られることはないだろう。そう思っていても、もしかしたら過去と少しだけ違った事をしてしまったから、振られてしまうかもしれないという不安も捨てきれなかった。
 時間にして、たった十秒くらいの間が、やけに長く感じる。

「……オレが場地さんを好きな事なんて、知らなかったの場地さんくらいですよ」

 ふ、と千冬の口から笑い声が零れた次の瞬間、彼は場地が欲しがっていたアンサーをくれた。
 オレと付き合ってください、そう場地に告げる千冬の目には薄っすらと水の膜が張っているように見えた。

 あの日の前夜も眠れなかったなと記憶している。布団に入ったものの一向に眠気は訪れず、木張りになっている押し入れの天井をじっと見つめていた。
 数日前、場地は東京卍會を抜けると宣言した。その日のために謹慎になる事件を起こしたり、聡い万次郎と堅にさえ自分を説得しても無駄なのだと思わせるために行動したりと、それなりに大変だった。
 特に、場地のほうからずっと一虎のことに関して万次郎を嗜めてきたのに、ここで急な掌返しでは何かがあったと匂わせるも同然だ。

(オレも良くやったよなァ)

 今はただ、あの日々をなぞればそれでいいと思っているし、その通りに動いているけれど、当時は本当によくやったものだと思う。

(……パー)

 それでも、後悔は生まれてくる。友人を少年院行きにする前に、やはり止めることができたのではないかと、つい思ってしまうくらいは許されたかった。

「……結局、寝れやしねぇ」

 寝れない原因なんて、いくつもある。場地は枕元に置いていた携帯電話を開いた。時刻は午前三時を回ろうとしている頃だった。そして通知欄を見れば、既読したが返していないメールが五件。二件は明日の朝返す予定で、残りの三件はもう数日このままにしている。そして永久に放置することになるだろう。

「千冬……」

 思わずその名を口にしていた。今回もたった一つの目的のために、信じ付いて来てくれた彼を置いて一人チームを離れたのだ。
 思い出すは、二日前の出来事。
 出来事に似合わず、天気の良い日だった記憶通りに、良く晴れた一日だった。

「場地さん」

 自分の名を呼ぶ千冬の声は、常の抗争前で真剣になっている時よりも固いものだった。きっと、今日なぜ呼び出されたか薄々予感はしていたのだろう。否、呼び出されたのは本来場地の方だ。話を聞かせてくださいと送られてきた四通の連絡のうち一つに、場所と時間だけ指定して返信した。
 場地が言う事ならどんなことでも従うのが千冬だ。まるで箇条書きのような返信でもその通りに応じてくれるとわかっていた。

「……なんで芭流覇羅なんスか」

 指定した場所には、先に千冬が到着していた。遅れてきた場地を認めると、開口一番でこう尋ねてくる。

「あ?」
「芭流覇羅のナンバーツー、あの愛美愛主仕切ってた奴じゃないっスか!」

 友人の仇とも言える相手だろうに、そんな人物のいるところになぜ行くのだと、千冬の瞳が絶望で揺れている。
 前言撤回だ、千冬は確かに場地の言う事ならなんだって基本的に聞くし、従う。けれどそれは場地が間違った事をしていないから、そう千冬が信じてくれているからに他ならない。一生尽くしますと言った言葉を曲げたりしないのが千冬のすごいところだった。でも場地が一人で危険なことをしようと考えているときは、こうして強い口調で聞いてくることが以前にもあった。

(お前はほんっとうにいいヤツだよな)

 ただ場地に対して盲目なだけなら、きっと副隊長に任命することもなかったと思っている。どんなときでも全力で場地と向き合ってくれる存在だから、近くに置いたし、ただの隊長と副隊長以上の関係が欲しくなったのだから。
 それでも、場地にとって何よりも大切なのは東卍と創設メンバーだ。どんなに辛くとも、チームを、あの日の意思を、約束を守るために捨てなければならないものがある。

「千冬、お前しつこい」
「……どういうことすか」
「どーもこーも、オレは東卍を辞めた。って言ってんのにわかんねえ?」
「……わかるわけ、ないっス」
「てめえとは敵だっつってんの聞こえねえの?」
「……場地さんは、オレの大事な人っスよ」
「ハ、とんだ馬鹿野郎だな。ま、一虎が戻ってくるまでの暇つぶしにはなったワ」

 どう考えたって理不尽なことを言っている。その自覚はあった。自分が逆の立場だったら絶対に納得できない状況。その通りに、千冬は未だ真っ直ぐ場地の方を向いてその真意を探ろうとしているのがわかった。

「暇つぶし……?」
「てめえがワンワン付いてくんのが可笑しかったからなァ」
「らしくねェっスよ、思ってもない事言って辛いの、場地さんっしょ」
「……帰るわ」

 もう連絡してくんなよ、相変わらず一方的に告げて場地は踵を返した。千冬が、場地さん! と叫ぶのが聞こえたけれど、ここで振り返ったら絶対に戻れなくなってしまう。千冬の言う通りだ。本心でないことを口にするのは、得意でない。相手が未だ好意を抱く人物なら尚更だった。
 千冬は最後まで場地を信じてくれる。こんな支離滅裂なことを言って、無理矢理遠ざけても場地には言えない目的があるのだと察して彼なりに動いてくれるのを、知っている。
 だからこそ、二度も裏切らなければならないことが心苦しくて仕方ない。二人は確かに想い合っていたから時間を共有することにした。決して千冬の一方的な好意があったからでなくて、場地が松野千冬という存在を誰よりも傍に置いておきたかった。それに今の場地は、自分を信じ、愛し続けたその果てに千冬が銃に撃たれ死ぬ未来を知っているのだ。手足を縛られ、身動きを取れず、逃げられないままに。
 そうやって脳内で考え続けた結果、睡魔なんて消え去ってしまった。
 それでも今は少しでも休息を取らなければならない。日が昇ったら、ハロウィンに至るためにもう一つ事を起こさなければならないのだから。

 三時半、アジトにて待つ。
 前に貸してもらった漫画で、主人公が裏切り者から似たようなセリフを言われて呼び出されていたのを思い出した。その主人公は、裏切り者を仲間だと言って最後まで信じ続けていたように記憶している。漫画だからこその、裏表がなく人を信じ続ける真っ直ぐな性格を尊敬した記憶がある。そういえば、あの話の結末はどうなったのだろう。主人公は、再びあ彼を光の当たる世界に連れ戻すことができたのだろうか。そんなことが、ふと気になった。なんだか、今の自分に重ね合わせているようで、少しだけ居心地が悪くなったような気分だったけれど、それでも場地は一つ確信している。千冬は、あの主人公と同じように場地を信じ、何の疑いもなくここへ来るはずだと。これは、記憶があるからではない。松野千冬という人間をよく知っているから、そう思うのだ。

「お前、本当に壱番隊の副隊長連れてくんの?」

 考え込んでいるところに、気だるそうな声が話しかけてきた。
 その声の持ち主、半間に問われ、言葉の代わりに首を縦に一度。聞いてきたわりにはちっとも興味がないというオーラをにじませている彼ではあるが、ふーん、と返ってきた。東卍の幹部がウチに入る? なら証明がなきゃならねえな、と言ったのは半間だ。でも場地は知っている。通称踏み絵と言われるこの儀式、考案者はこの場にいない人物だ。芭流覇羅には、トップが存在していない。しかし場地は首のないはずの天使の顔をしている。これは、その首である稀咲によって考案され、半間によって見届けられることで成立した儀式だ。場地が稀咲を疑っているのと同様に、稀咲もまた場地を警戒しているのだから。そして、その儀式にふさわしい人物として選ばれたのが千冬だった。腹心とはよく言ったものだと思う。

(どんな秘密でも打ち明けることができる人、信頼が厚い家臣や部下)

 初めてこの言葉を耳にしたのはいつのことだっただろうか。千冬は場地の腹心だよなと、三ツ谷あたりに言われたのかもしれない。きっといい言葉だと思ったから、愛用している辞書を引いて調べたのだ。そうして意味を知って、お互いに寄せ合っている信頼が第三者からもそう見えていることに内心歓喜した。その結果がこれなのだから、千冬には本当に悪いことをしたと思う。

(まア、オレはあいつにこの秘密を打ち明けてねえけどな)

 でも、打ち明けなかったことが結果として彼を守ることにも繋がっていると場地は確信している。踏み絵を経て千冬が場地にとって不利益になるような事を語ることは一切ないと分かっていても、万が一、千冬が耐えかねてしまう可能性は捨てきれなかったのだから。もちろん、彼がそんな弱い男であると思ったことはないが。

「ここに来いとは伝えてある」

 今度は言葉で返す。伝えてあるし、千冬は絶対に来る。言いつけを守って、たった一人でこの建物に足を踏み入れる。
 芭流覇羅の溜まり場になっている廃ゲーセンに一人で来いだなんて、どう考えたって危険に決まってる。それでも千冬はかつてもちゃんと来てくれたから、今回も間違いないだろう。律義に時間まで守ってくるのだ。そう思うと、昨日から引きずり続けている憂鬱さが増してきた。

(寝れるわけが、ねぇ)

 結局一睡もできずに朝が来た。日中はいつも通り学校へ行って、さすがに眠ってしまうかと思ったのにただひたすら頭が痛いだけで、目は冴えていた。ずっと、脳内に焼き付いた映像が離れないのだ。それは、当然踏み絵の事。このアジトに足を踏み入れた千冬は、抵抗なんてできないまま場地に腹を殴られる。千冬は場地を殴れないから当然だ。その勢いで床に倒れこんだところを馬乗りになって、今度は顔面を潰されるのだ。
 それでも、彼は嫌だとも他やめろとも何も言わないのを知っている。倒された時だって、恐怖すらその瞳に宿さない。場地が愛した溌剌とした瞳を、いつものように向けてくるのだ。
 あの真っ直ぐな目をもう知ってしまっているのに、再び彼に拳を振り下ろすことなんてできるのだろうかと場地は自問する。やらなければ、この先に進めない。あの日を迎えるまでは、この日々をなぞり続けなければならない。これは自分が決めたことだ。そう思っても、心はどこまでも重くなる。
 ゲームセンターの扉が開く音がした。黒い特攻服を着た千冬が入ってくるのが見えた。この空間にいる誰だって揃いの白い上着を着ているのに、場地だけが未だに彼と同じ黒い特攻服を纏ったままだ。そしてこれから、白いその服を手に入れるために千冬を利用しなければならない。

「……場地さん」

 さあ、踏み絵の始まりだ。

「千冬は」
「処置は終わったらしい。でも、あんま良くねェ」

 今夜一杯はICUだから、オレたちは会えねえよと堅に言われ、場地は肩を落とさざるを得なかった。
 どうして、こんなことになってしまったのだろうか。一体いつ、順調に歩いていると思っていたその道から外れてしまったのだろうか。変わることなく、抗争が始まったはずなのに。
 なぜ、場地の代わりに千冬が刺されるなんてことになってしまったのだろう。場地は未だ、現実を受け止められずにいる。しかし、このままではいられない。場地にはまだ、やらなければならないことがある。

「ドラケン、わりィ、オレちょっと出てくるわ」
「ここにいなくていいのか」
「……すぐ、戻る」

 たまたま近くにいたのが堅だったから、一言声を掛けることにした。すると、言葉にはしないものの心配されているのだという事が伝わっていた。

「そうだ、ドラケン」
「あ?」
「……抗争前に、千冬からなんか預かってねえか」
「……あったな」
「それ、もーちょい持っててくんねえ?」

 それだけ告げると、踵を返し病院を出る。滞在時間はたった五分だったけれど、ひとまず処置が終わった事だけでも聞けて良かった。
 つい先ほどまで、場地は警察署にいたのだ。松野千冬が刺された時の事情聴取を受けていた。一虎には悪いと思ったが、包み隠さず話さないわけにはいかなかった。不幸中の幸いとしては、一虎が正気を取り戻したことかもしれない。 
 まだ、ぐるぐるとあの数分間が頭の中で繰り返されている。

「一虎、くん、駄目っすよ」
「お前、なんで、なに、」
「思い出してください、場地さんが、いつだってアンタの味方だったこと。手紙を、ずっと送ってたこと」
「なんでてめえが、そんなこと……」
「今まで、一虎君と一緒にいた場地さんより、半間の言う事なんか信じるんスか」
「は……?」
「一虎君と、場地さんを、割るための作戦だったら、どうするんですか」
「オレは、オレは、マイキーを殺さなきゃ、場地までオレを裏切った、」

 千冬を刺した一虎は、正気ではなかった。自分の代わりに千冬が刺された事に動揺した場地は、目の前で繰り広げられる会話に付いていくことができない。本当は、一虎が自分を刺すその瞬間に躱して、その手から刃物を叩き落とすつもりだったのだ。反射には自信がある。一度経験したことのあるその瞬間だから、タイミングだってわかっていた。だから今回は絶対に刺されることはないとそう思っていたのに。

「千冬、千冬! 一虎の事はオレに任せろ、今止血するから喋るな!」
「……たら、……すか」
「は?」
「任したら、場地さん、どうなるんスか」
「お前、何言って」

 遅れて千冬に向かって叫ぶと、一虎の手からナイフが離れたその衝撃が身体を襲ったのだろう、顔を歪めて千冬が倒れかける。躊躇うことなくその身を抱き留めた。ああ、かつて場地を抱き留めた千冬もこんな気持ちだったのだろうか。頼むから、無事でいて欲しい。
 傷に障るから喋らないでほしいのに、千冬は一虎へ話しかけるのを辞めない。

「一虎君、地獄へ一人で行くつもりですか」
「な、てめえ、一体……」

 一虎の瞳と、千冬の瞳が重なっているのが分かった。

「なんだかんだ、一緒にいてくれたのが、場地さんっしょ?」

 不自然に瞳孔が開いたままの一虎。しかし、千冬の言葉によって少しずつ、その目に自然な光が灯っていく。千冬の言葉が、確実に彼に届いている証拠だった。

「一虎君、場地さんを見て」
「っ!」
「千冬!? 千冬‼」
「ば、じさん……」

 そして、場地の隣で顔面蒼白になっている武道にも聞こえるようにこう言った。
 稀咲が立ってるところ、白い車の真下と、ドラケン君のポケット。あと、マイキー君が、いたところ、これも白。ボイスレコーダーありますから。マイキー君に、渡して。そう言って、千冬は気を失った。その後はとにかく記憶が飛び飛びだ。不安定な場所にいつまでも怪我人を置いておけない。その身を抱えて地上に降り立ったその瞬間に遠くの方から聞こえてきたのはサイレンの音だった。
 不良の抗争は、警察の世話になるわけにはいかない。どんなに派手な喧嘩をしていようと、その音を聞きつければたちまち自然解散となる物だ。そうやってほとんどの人がいなくなった廃車場。だが場地は、逃げなかった。そしてそれは一虎も同様だったのだ。

「オレが刺した。……だから残る」
「……ああ」

 たった一言、それだけ交わして、救急車の到着を待つことにしたのだった。
 そして、今に至る。千冬はすぐに病院に搬送され、場地は一虎と共に警察署へ行くことになった。一虎が刺したのはオレです、こいつは千冬の友達だから心配でいるだけですと自白したために、場地はあくまで現場を知るものとして証言を取るために連れて行かれた形だ。そして事情聴取が終わって。場地は、千冬が搬送されたという病院へ向かったというわけだった。

(ボイスレコーダーっつったな)

 向かう予定は、抗争があった廃車場だった。千冬が意識を失う寸前に場地へ告げたこと。彼の託は警察にも話していないから、まだ誰にも見つかっていないはずだ。

(なんであいつがそんなもん)

 前の時には、そんな用意はなかったはずだ。尤も場地は死んでしまったから、その後を知らないだけで前もこうだったのかもしれないけれど。でもその線は限りなく薄いと確信していた。でなければ千冬があんな死に方をする理由がない。
 考えることは苦手だ。でも、分かってきたことがある。なぜ千冬が一虎に刺されることになったのか。そして、彼に語りかけた言葉の数々。

「千冬、お前もしかして」

 そうやって辿っていくと、一つの可能性に行き着く。
 あの日、稀咲哲太に脳を撃ち抜かれた彼が、場地同様にこの世界にいるとしたら。
 そうしたら、辻褄が合うのだ。

(クソ、足がねえしどうしたら)

 早く千冬が言っていた物を手にして彼の元に戻りたいのに、バイクが近くにないと気づいて場地は焦る。警察署からここまでは、タクシーを利用したのだった。未成年である場地の事情聴取には当然保護者の迎えがいる。警察署に呼び出された母の心労を考えると果てしなく辛かったが、今回は場地が起こした事件ではなかったことが幸いし、叱られるくらいで済んだ。その上で心苦しいと思いつつ、千冬に会いに行きたいと言って交通費を工面して貰ったのだ。しかしさすがにこれから廃車場へ戻るのに再びタクシーなんて使えない。
 どうしたものかと焦りが場地を襲ったその時だった。

「場地君!」
「……タケミチ」

 ああよかった、まだいたと言って走ってきたのは、武道だった。そういえば、と思う。千冬が未来で死んだあの日、隣にいたのはこいつじゃなかったか、と気づく。

(ならこいつは、きっとこっち側だ)

 前日歩道橋の上で対面した時も、死なないでなんて口にしたような男だ。まるで、場地が一度死んだことを知っているかのような口ぶりで一体どういう事だと不審に思ったが、あの千冬と行動を共にしていたと考えれば、不自然さは無くなる。少なくとも場地にとっては敵ではなさそうだ。

「ボイスレコーダ、探しに行くんですよね?」
「あ?」
「さっき、千冬が言ってた……」
「ああ」
「あの、オレ、取ってきました」
「……は?」

 さっきから会話をしているようで会話になっていないことは自覚していたけれど、なんと返せばいいのかわからないのだ。ただ一つ分かったことは、千冬が気を失う前に告げてきたボイスレコードを、武道が持っているという事。
 どういうことだという表情が見え、伝わったのだろう。武道は状況について話してくれた。

「オレ、警察が離れた後に、戻ったんですよ。稀咲が立ってたところと、マイキー君がいたところに」

 そうだ、あの会話を聞いていたのは場地だけではなかった。潜り込んで先に手を打ってくれたらしい。

「もしかしたら一虎君も聞いてたかもしれないですし、もし話してたりしたら、警察が先に取っちまう可能性もあるし……」

 場地君が戻ってくる前にって思って、という武道の言葉を信じることにする。言いながら武道はポケットから例のものを取り出して、場地に渡す。

「はい、これです」
「……ありがとうな」
「……オレは、別に……。千冬、目を覚ますといいんですけど」
「……あいつは」

 死んだりしねえ。絞り出すようにそう言うと、武道も肯定の返事をくれた。
 場地は受け取ったものを力強く握りしめると、再び病院へ足を向けるのだった。

「貰ったやつ、聞いたよ」

 千冬にも礼言わねえとな。そう言うマイキ―は、真っ直ぐに眠る千冬を見つめていた。
 あの後、堅からもボイスレコーダーを回収した場地は、急いで万次郎の元へ向かったのだった。この中に、稀咲哲太と半間修二に関して大事な情報が入ってる、そう一方的に言って預けたのだった。一刻も早く万次郎の手元に渡して、そして判断をしてほしかったから、場地はその中身を知らない。でも、どんな記録が残されているのか、想像くらいは付いていた。

「正直、ほとんどオレらの叫び声とか、廃材が音を立ててんのとかばっかりだった」
「っ」

 その録音機には、稀咲を東卍から追い出すに値する情報が入っていると、そう信じていたのだ。でも、不穏な語り始めに思わず場地の身体が強張る。最低な結末を想像しそうになった。しかしすぐに万次郎から諭された。

「まだは話は終わってねえよ」
「……悪ぃ」
「場地が謝るなんてめずらしーじゃん。……で、そろそろ聞くのも飽きたと思って、ケンチンに任せようと思ったんだけどさ」

 あいつが、半間と話してるのと、多分半間が一虎宛に電話した時の、残ってたよと、万次郎は場地に教えてくれたのだった。
 千冬は、稀咲と半間が一虎を使って場地を刺そうとしたその証拠を、残していたのだ。

「そろそろ話してくれてもいいんじゃねえの」

 万次郎は、続ける。

「なんで東卍辞めるとか言ったんだよ、場地」

 きっと、ここまでの流れで察しは付いていることだろう。でも、万次郎はどうしても場地の口からそれを聞きたかったのだ。

「長くなるけど、いいか」
「お前とオレの仲だろ」
「ハ、よく言うわ」

 未だ目を開けない仲間を間に挟んで、場地は稀咲が万次郎へ取引を持ち掛けた現場に立ち会わせたことを話し始めた。何とか、彼の尻尾を掴みたくて、その目的を知りたくて暗躍したことを。誰にも言わずに一人で行動しようとしていた場地に、千冬が気づいていたことを、全て。

「多分千冬は、あの現場で稀咲が仕掛けてくンのに気づいてたんだろうな」

 だから、動かぬ証拠を掴むために前日から小細工を仕掛けていたのだろう。そしてその地道な努力は報われ、確かな証拠として残ったのだ。

「首のない天使のトップは、あいつだ」
「……わかった」

 場地が話し終わるまで珍しく一切の口を挟まなかった万次郎は、場地の告白が終わったのを確かめると一言、そう言った。

「ケンチンとこ行ってくる。場地は千冬といてやれよ」
「……当然」

 最後の一言は、総長から隊長への言葉ではなくて、幼馴染から幼馴染に向けたものだったのだろう。その柔らかい声が、有難かった。
 残された病室で、場地は未だに眠る千冬を見つめる。搬送されたその夜だけICUに入れられていた千冬だったが、今は容態が安定しているとかで一般病棟に移されていた。医者の見立てによると、数日で目を覚ますのではないかという事だ。きっと、大丈夫。それが救いだった。

「……お前さ、知ってたんだな」

 千冬は場地が一虎に刺されることを知っていた。だからあの瞬間に滑り込むことができたのだ。そして数々の小細工を考えると、場地同様に十月三十一日に何が起きるかその全てが分かった上であの場にいたことはもう、確定だろう。

「……ありがとな、千冬」

 いつだって、千冬は場地のことを信じ続けてくれていた。場地の意思を一番に理解し、その上で行動を取ってくれた。それがどれほどの幸せか、言語化できないのがもどかしい。だから、今口にできる精一杯を伝える。ありがとう、せめてそれだけでも伝えたい。そう思ったら、自然と感謝が口から零れたのだった。

「……ぁじ、さん……?」
「千冬!?」

 でも奇跡というものは、案外簡単に起きるらしい。掠れた声が耳を擽って、場地の心を確かに満たした。

「場地さん、集会でなくていいんスか」
「マイキーがいいって言ってくれたからな」
「なんか、オレのためにすいません」
「馬鹿野郎、てめえは少しくらい自分のこと心配しやがれ」
「ハハ、確かにそうっスね」

 笑ったせいで傷がひきつったのだろう、一瞬顔を歪めた千冬を見て、言わんこっちゃないと場地は呆れる。
 千冬が目覚めたのは、十一月二日の夕方頃だった。あの後すぐに看護師を呼んで、意識が戻ったなら後は傷が治るまで安静にすれば心配なしと言われたのだった。本当に良かったと、涙しそうになったのは秘密だ。そして一夜明け、今日は十一月三日。場地は一日千冬に付き沿っていた。自身の誕生日が祝日で本当に良かったと思う。本当はこの後に東卍の集会が予定されているのだが、総長直々に来るなと言われてしまったのだから仕方ない。表向きは東卍に戻ってくるまでにはもう少し手筈を踏んでからという事だが、それが親友の優しさだと場地はよく知っていたから甘えることにした。今はひと時でも、千冬と離れたくない。それに、シフト制の仕事についている千冬の母からも、自分が付き添えない代わりにお願いできないかと言われていたのだ。だから、面会時間ギリギリまでここにいるつもりだ。

「……今日の集会は、臨時なんスよね」
「おー、芭流覇羅との抗争について、総長から大事な伝達があるんだと。……お前当事者だし伝えとくと、稀咲と半間が東卍から破門になるんだわ」
「え⁉」
「あのボイレコ、使えたってよ」
「……良かった」

 万次郎が事前に教えてくれたことだ。今日の集会で、二人を破門にする、副総長と話し合ってそう決めたと。そして、場地にとっての吉報はもう一つあった。

「あれのおかげで、一虎の刑期も短くなるかもしんねえ」
「ほんとっスか」
「嘘ついてどーすんだよ。……アレ出せば、実行犯が別にいるってことにできるってさ」
「そっか……良かったっス」
「なァそろそろ聞いてもいい? お前なんで一虎のことそんな心配してんの。この前まで知らなかっただろ」

 もちろん、一番聞きたいことはこれではないのだけれど、純粋な疑問をぶつける。千冬と一虎の接点なんて、あの踏み絵の日くらいしか思い当たらない。それなのに、やけに千冬は一虎を心配しているように思えた。
 場地が尋ねると、千冬はあからさまに動揺したようだ。えっと、とかその、とか言っているが、肝心の内容が口から出てくる様子がない。話そうとしてくれているのは想像できたが、どう話したらいいのかわからない、そんな印象だった。
 さすがに意識不明から戻ったばかりで急に話せと言うのも酷な話だろうと思った場地は、まーいいわと言った。千冬が少し怪訝そうな顔をする。

「ちょっと長くなるけど、オレの話聞いてくんねぇ?」
「……はい」
「オレさ、一度死んだことがあるんだけどよ」

 千冬の身体が、今度こそ硬直した。
 場地は一度腰を浮かせて椅子に座りなおす。そうして落ち着くところを見つけて、長い話を始めた。自害したあの日から見た夢について、そして再びの世界で辿ってきたその全てを。十五分以上は話していたかもしれない。

「って訳で、まさかお前が刺されるなんて思ってなかったワケ」

 この話を聞いて理解しろというほうが難しいことを一方的に告げた場地は、黙りこくったままになってしまった千冬を伺い見た。視線はばっちり場地に向いているはずなのに、どこか心非ずと言った様子だ。

(こんなの聞かされたら、そうもなるわな)

 正直千冬も同じような状況なのではないかと思っている場地ではあるけれど、今更ながら普通自分は一度死んで今人生をやり直してるなんて言われて、そう簡単にはいそうですかと答えられるわけがないと思った。しかも、お前も一度死んでいて、自分はその瞬間を見たなんて決して気分の良い話ではないだろう。もし千冬に頭かどこかがやられているなんて思われていたら、しばらくは立ち直れないかもしれない。
 白い病室に、しばしの沈黙が流れた。その時間がやけに長く感じる。

「……場地さん」
「おう」
「……オレ、場地さんが生きていてくれて、そんで十五歳の誕生日迎えてくれて、本当に嬉しいんス。……あの日、場地さんがオレの腕の中で息を引き取っちまってから、なんで救えなかったんだろうってずっと後悔してました」
「千冬」
「場地さんが夢に見たのは、確かにオレが死んだその時っスよ」

 次はオレの番スね、聞いてくれますか。彼に尋ねられて、場地はしっかり首を縦に振った。
 場地と千冬の長い長い時間が確かに噛み合った瞬間だった。

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続き*

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