黒猫は今宵壱等星の夢を見る㉓

【二十三章】


 簡単に、はいそうですかと話が終わるならこれまでも苦労していないわけだから、予想はできていた反応だけれど。
 黒猫の報告を聞いた番犬は、険しい顔をさらに濃くした。聞こえてきたのは、低い声色。感情を押し殺しているのが伝わってくる。
「ソレ、本当なんだろうな」
「どうしてここでオレが嘘吐かなきゃならないんスか。オレだってこの話持ってくんの嫌だったんスけど」
「……そうだな。……それで?」
「裏切ったやつは黒蛇が先に始末しましたよ。全く、面倒なことしてくれました」
「ならいいが、それじゃ話は終わらねえだろ。むしろこっからが最悪じゃねえか」
「ウス。……東卍が、潰しに来るのは明白っスね」
 黒猫が今しがたボスに伝えた情報、それは霧内部に裏切り者が出たというものだった。どうやら、金欲しさで東卍に近しい情報屋へ流した奴がいて、こちら側の手のうちが渡ってしまったと、そう報告した。
尤も、こうして切羽詰まった様子を装ってはいるが、黒猫にとっては当然のように定められたシナリオの上だ。
(これが、オレの自作自演ってことさえバレなければ)
 東卍関係者に、霧の成り立ちや目的を内通したのは黒猫本人。わざわざ№3の部下と偽り、九井達へ情報を流したのだ。まさか、あの日少しだけ関わることになった花垣武道が彼らにとっての重要人物とは思いもしなかったのだけれど。人の縁というものに言語化できない何かを感じながら、表向きにはその情報取引で発生した多額の金目当てということで、東京卍會にとっては大きな切り札となる情報を売りつけたのだ。
 否、正しくは。
(全部は、佐野真一郎に、霧の西領が謀反企んでるって明かした時から始まってんだけどな)
 ずっと、待っていた。
 霧が、西領の持つ軍の実権を握ることを。 
 その時に、彼らが企てていた後暗い計画を最初から全て日の目に晒すのが目的だった。そのために今日まで耐えてきたのだ。全ては黒猫が大切だと想い続ける彼が守りたいと誓う未来が正しい形で迎えられるために。
 さて、話は戻って、場所はここ霧の最高幹部執務室。先に異変が起きたことに気がついたのは、当然ボスのほうであった。
「……話してるうちに、外が騒がしいな。来たか」
「まさかこんなに速いとは思わなかったっスね。囲い込む気なんじゃねえかな。オレ、様子見てきます」
「ああ。ついでに動ける奴ら全員で相手してやれ」
「わかりました」
 短い返答で理解したことを伝えると、黒猫は一礼してボスの執務室を後にした。
 黒猫が東卍の情報屋へ内通したのは一昨日の話だった。そこから最短時間で部隊を整えてこの拠点まで来たのだろう。証拠を押さえ次第いつでも動けるようにと、事前に準備は整っていただろうということに黒猫は内心で薄く微笑んだ。
 きっとボスはまだ、東卍が最小勢力で来たと思っている。だからこんな簡単に黒猫を偵察に出した。
それが誤算であることを伝える気もないのだけれど。
(無敵のマイキー、やっぱすげえな)
 信頼のされ方が、西領主や自陣のボスとは違うのだと思い知らされた気分だ。当然、その背後に控えた次代の王あってのことだろうから、その連結力の高さにも感動を覚える。
(だから場地さんが守りたい人達なんだ)
 幼馴染のために強くなりたいのだと聞いた過去の日を思い出す。
 胸の内に迫り上がってくるのは、温かい感情だった。でも、今はまだ気づかないふりをして、黒猫は最前線へ向かうのだった。



「今回の狙いはひとつ。幹部の捕縛だ」
 霧幹部拠点までは後わずかの頃、万次郎は隊員全体に向けそう告げた。その口調が少しだけ拗ねた印象を受けたのは、きっと隊員達の勘違いではないだろう。
「オマエら間違っても殺すなよ。番犬はじめとした幹部の口から西領主とのつながりを吐かせんのが目的だからな」
 そんな彼の感情にいち早く気づいたのが堅。万次郎に続きそう言った彼は、まず己が「総長」を見て、その後ちらっと場地の方を見たのを感じていた。思うところは沢山あるだろうけど、耐えろと言っているのだ。大切な人を傷つけられたばかりの堅だってそれがどれほどに苦しい事かを理解しているはず。物事は壊してしまった方が簡単に終わることだってあるのだ。けれど、それではいけない時もある。だからこそ、堅が自分自身にも言い聞かせるためにあえて殺すなと口にしたように思える。
「オマエら行けるか⁉」
 万次郎は大きく息を吸うと、そう叫んだ。
 湧き上がるは歓声。この任務が仮に失敗し、霧幹部に逃げられるようなことがあれば。最悪、西領は霧との繋がりをなかったことにして、再びしらばっくれることになるだろう。そんなことになった日には、謀反への一手が進行してしまうことになってもおかしくない。
 西領の陰謀が見えていても、確実に抑えられるものがなければそれは読めたことにはならない。
 まさにこの作戦がこの先の国の命運を分けるといっても過言ではないだろう。
「一虎が体張りながら戦って帰ってきてくれなかったら、ここまで来れなかった。あいつのためにも、捕(ヤ)るぞ!」
 もしあの日。彼がその命を落とすようなことがあって、その事実を消すために霧がその身を隠蔽していたとしたら。たった一言、「黒猫」という霧に深く関わる存在について口にすることがなかったら。ここまで早く、敵へ辿り着くことはできなかったに違いない。あの日があったから、あの日を軸にすることができたから、九井達も王手まであと一歩の重大情報を握ることができたに違いないのだから。
(一虎、オマエが寝てる間に終わっちまうぞ)
 いいのかよ、と場地は心の中で呟いた。それはつい先刻、本人の前で口にした言葉と寸分違いのない台詞だ。
 霧の拠点へ乗り込むまでのわずかな時間を使って、彼の病室に駆け込んだ。そんなことをしている時間はないと思いつつ、そんなことだからこそ直接彼に言いたかった。焦る気持ちのまま、この後の作戦を未だ眠りの中にいる一虎へ伝えた時のことだった。行ってくると、終わらせて来ると、そう伝えたくて病室へ飛び込んだその時に、まるで挑発するかのように伝えてきたのだ。
 いつまで眠っているんだという気持ちを込めた。美味しいところを全て持っていかれるぞと。そうやって、もう何カ月も目覚めない親友の目が覚めることに願掛けしたい気持ちだったのだ。
「壱番隊! 気ィ引き締めてくぞ!」
 総代表に続いて、場地も自身の隊を鼓舞する。
 向かうは敵の本丸。因縁の相手、黒猫の本境地だ。



 東卍の襲撃で、霧組織内部は当然のように混乱状態へ陥っていた。予定よりも早い敵の襲来に、構成員達が右往左往しながらも対峙していくのを黒猫は気配で感じていた。それも当然、東卍は主力が揃っている。ある程度予想できていたことだから、特段驚いたりなんてしないけれど、落ち着き過ぎているのだって怪しいだろうかと一瞬思考がよぎったが、誰もそんな黒猫の落ち着きようを気にしている余裕がないようだった。
 それでも、一度館内を回ったのにはちゃんとした理由がある。
 今日この場に黒猫がいるということを、構成員達に目撃させるのが目的だ。
(オレがここにいるってわかってれば、きっと命惜しさで東卍にオレのことを吐くヤツが出てくる。そしたらしばらくしないうちにここまで来るだろうな)
 黒猫には、これからやらなければならない仕事がある。
 向かってきた東卍隊員に申し訳ないと思いつつ気を失って貰って、先を急いだ。
 今日ここで黒猫が原因による重傷者はできるだけ出したくなかった。
(……ボスに気づかれない程度に、上手くやらねえと)
 もし対峙しているのが黒猫だと分かったら、東卍の隊員達は全力で捕縛しに来るだろう。これまで、こうして彼らとぶつかることがあった時に、東卍隊員が真っ際に反応する相手が黒猫であるように仕掛けてきたのだから当然だ。……捕縛ならまだいいが、最悪殺される可能性だってある。それだけは避けなければならなかった。きっと今回は情報を吐かせるためにも幹部を捕らえることが作戦の本筋だろうと考えてはいるけれど、もし読みを外していたとしたら。殺しにかかってくる相手が来たとしたら、それを躱せるかどうかは分からないのだ。命のやりとりの場になってそんな手加減ができるわけなんてないのだから。
(この混乱に合わせて……)
 内心で呟きながら、丁度もう一人やってきた東卍隊員へ、護身で持っている短刀の鞘を抜かずに一撃を喰らわす。気を失った相手をそっと床へ転がすと、隊服には肆番隊と書かれているのが見えた。身のこなしはよかったが、どうやら平隊員だろう。腕は黒猫には遠く及ばない。大怪我をさせたくはなかったからある程度の実力差があったようで少し安心した。
 さあ、戻ろう。
 そう思った瞬間だった。
 黒猫にとって、恐れていたことが起こる。
「ボスのところへ戻って……」
 自分自身へ言い聞かせるように呟いた黒猫が館内の奥へ向かおうとしたその瞬間。耳慣れた声に呼ばれて、黒猫はその場で硬直することになった。
「見つけたぞ! 千冬ぅ!」
「ば、じさん」
 喉が枯れているのか、掠れた声がこぼれ出た。
 ああ、今は会いたくなかった。

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