黒猫は今宵壱等星の夢を見る㉒

【二十二章】


「オイ、ソッチ、行けるか?」
「ウス! 任せてください」
 ああ、これもまた夢だと、場地は意識の底で理解していた。現実ではない出来事。今は眠りの中にいると、脳でははっきり認識していた。
 だって何故か今の場地の隣には千冬がいて、彼は東卍の隊服を纏っているのだから。彼が東卍の隊員だなんて絶対に有り得ないこと。だからこれが現実でない事は、明確なのだ。
 今の場地は彼の正体を知っている。
(千冬は、敵だ)
 もう間違いようのない事実を、脳では認識しているというのに。あの日、確かに黒猫が千冬であることをこの目で確認したのだ。誰よりも嘘だと信じたかった場地が、自分自身で知ってしまった真実。
 それなのに、この夢の中にいる場地はいつだか見た夢と変わらず千冬のことを頼りにしているようだった。二人に関する、あるはずのない記憶が何故か鮮明に流れてきて、脳がそれをまるで事実として処理していくような奇妙な感覚があった。あまりにも普通でないその感覚に、思わず気が狂いそうな気分にさせられる。千冬は黒猫、すなわち敵だと叫ぶ自分と、仲間として頼りにしたい自分が葛藤を起こしせめぎ合うのだ。
 そう、それはまるで、幽体離脱をしているような感覚。自分自身のことを、外から眺めているような、そんな状況。
 そうやって得体の知れない状況に惑わされながらも、この夢の場で彼と共に行動をしている場地は今の今まで何をしていたのだったか。そう思考を巡らせていた。
(そうだ、マイキーに指示されて、真一郎君を狙うヤツがいるって言われて)
 この日の壱番隊に課せられた任務は、真一郎の命を脅かそうとしている一派がいるという情報をもとに証拠を抑え犯人を捕らえるというものだった。仮にこの任務が失敗すれば、第一王子の身に危険が迫ることは間違いない。それを未然に防ぐという超重要任務を壱番隊が任されたのだから、何があっても作戦を成功させないわけにはいかなかった。
 当然、失敗するつもりなんて最初からないのだけれど。
 場地は副隊長である千冬を自身と共に最前線に配置し、現場を取り押さえるつもりでここへ向かった。……という存在しないはずの情報が、何故か脳内に用意されているものだから、困惑しない方が難しいと言ったもの。
(これは、夢だ)
 もう一度、そう言い聞かせる。まるで祈りのようなそれは、今の場地を唯一正気たらしめている言葉。 
 思考はこんなにもクリアなのに。それなのに、彼を信用してはいけないという意思に反して、表側の場地は千冬へ作戦の最終確認をし、彼からの理解したという返答に満足すらしているのだから眩暈がしてくる。
 何故、彼が場地の腹心として側にいるというのだ。そこは、一虎の場所ではなかっただろうか。
一体、何故。
(コイツは黒猫だ、信用するな。コイツはオレを裏切ってた) 
 正しくは、最初から場地のことを利用するつもりで近寄ってきたのだと、そこまで理解できているのに。 
頼む、目を覚ましてくれと願っても、千冬へ笑いかけているであろう表側の場地へは届かない。
千冬はもう一度場地へ頷き返すと、その口を開いた。
「じゃあ、場地さん。オレは向こうから回ります」
「頼んだ」
 最後に一度、拳をぶつけ合う。何故かこのやりとりが、二人の間では任務開始の際に当然のやりとりになっているという記憶さえ流れてくるものだから。場地は今すぐ叫び出したい気持ちで一杯になったのだった。
 そうやって、行動と心が全く伴わないままに場は動いていく。まるで何かのシナリオを辿っているような気分だ。
「隊長、作戦通り五分経ちました」
 さて、千冬を見送り暫くして、近くにいた部下の一人が場地へ耳打ちした。五分。これは、千冬が向こう側へ回り込むのに必要な時間。これが過ぎたら、動く予定になっていた。
 目の前では犯人達が取引を行っている。押さえれば言い逃れのできない状況が繰り広げられているのだ。耳をすましながら、筆記役になっている部下へ一言も逃さずメモを取るようにジェスチャーをした。
「これを持って、佐野真一郎を討て」
「ハイ」
「報酬は先払いと後払いだ。これは先払いの分だから、失敗するなよ」
「ハイ」
 前から怪しいと睨んでいた議員が、この事件の黒幕だった。場地自身何度か顔を見たことがある中年の男。第一王子が気に入らないという態度を見せたことはこれまでなかったはずだが、水面下でこんなことを計画していたとは。許せねえという気持ちは作戦に当たっている表の場地によるものだけはなくて、この状況を外から見ている場地も同じように抱いているのが不思議な気持ちだ。
「オマエら、出るぞ」
 とうとう議員が犯行に使用するための武器を男へ手渡す、といった瞬間に場地は複数名の部下達と、身を潜めていた所から飛び出したのだった。
「動くな! 手に持ってるモン、下ろしやがれ!」 
「き、貴様は!」
「現場は東京卍會が抑えた! 痛い目見たくねェなら抵抗すんじゃねえぞ!」
 威勢よく場地がそう宣言すると、議員の男は目を見開いて招かざる客達を一見した。そしてすぐに負けを悟ったのだろう。その場に膝を着いて降参の姿勢を見せたのだった。
 しかし、武器を渡された取引相手男の方はそういかなかったようだ。
「東卍⁉  聞いてねえぞ!」
 真っ青になった男はそう叫ぶなり、振り切って逃げようとする。
 しかし、このまま逃すような壱番隊ではないのだ。
「お見通し、なんだよ! 千冬!」 
 ここまで全て場地の作戦通りだった。議員の男は東卍に知られたと悟った時点で降参すると見ていたが、指示された側はそうもいかないと考えていたのだ。だから千冬を彼が事前に逃げるだろう方向へと回らせたのだ。まさか先手を読まれていると思っていない男を、確実に捕らえるため。
 任務完了だ、そう内心で勝利を確信した。
 はずだった。
(いや、まだ終わってねェ! そんなわけが、ねえんだよ)
 夢の中の場地は、このまま男を捕らえ任務が完了することを疑っていなかった。けれど、今のこの瞬間自身を俯瞰して見ており、夢の外にいる場地自身の意識はこの展開を疑っていた。
 そして、その予感は的中したのだ。
 よく知った声が、作戦とは違った台詞を紡いだ。
「今すぐここから逃げて、そのまま真っ直ぐ西に帰れ。ボスにはオレから伝えておくから」
「黒猫! お疲れ様です!」 
 先ほどまで、場地の指示を隣で聞いていたはずの金髪の男と全く同じ顔をした黒髪の男が、場地の前に現れたのだった。
 夢の中の場地も、すぐにそのことには気づいたようだった。
 仲間だと思っていた彼が、腹心であるはずの人物が、犯人を逃がそうとしている。
「千冬⁉︎ テメー、どういうつもりだ!」
「場地さん、まだオレが仲間だと思ってるんスか? 光栄っスよ」
「敵だったのかよ!」
「初めから、味方とも言った記憶ないっスよ。場地さんが勝手にそう思ってくれたおかげで助かりました」
 向けられた視線はどこまでも冷たい。
(そうだ、コイツは敵なんだ)
 千冬は敵だと、再び心に刻み込む。ここ数日でずっと感じていた憎しみがまた膨れ上がっていくのを感じた。
「許さねえ」
「勝手にどうぞ」
「この……ッ!」
「残念です、場地さん」
 射抜くような碧い瞳が、場地を突き刺したのだった。
 ……夢は、そこで終わっている。
「っ!」
 勢いよく起き上がった。
 焦ったように周りを見渡したところ場所は自室。今の今まで、眠っていたのだ。一気に覚醒を促された脳が、処理しきれない情報量に悲鳴を上げる。息が、上がっていた。まるで短距離を一気に駆け抜けた後のようだ。
「クソ、やっぱり夢」 
 感じていたことは間違いなかったようだった。あれは現実の出来事ではなかった。夢の中で、場地は再び千冬に裏切られたのだ。
 やけにリアルな夢だった。所々辻褄の合わない所もあったが、まるでいつか経験したことを再現して見ているかのような、奇妙なリアリティさ。思わず背筋が凍りつくような、そんな感覚の夢だった。
「ふざけやがって……!」
 実際に起きた出来事ではなくても、怒りは落ち着きそうにない。それも当然のことだろう。だって、数日前の場地は夢の中と同じように彼のことを信用していた。そして何よりも愛おしい存在として思っていたのだから、尚更だろう。
 依然として一虎の目は覚めず、日々霧に関連する様々な事件で頭を悩ませている。そのことが原因で仲間へ迷惑を掛けている状況が、場地にとって大きなストレスになっているのは疑いようがなのだ。
 だからこそ一つだけ言えることがある。理解していることがある。これだけは、絶対に忘れてはならないというものが。
「ぜってえ許さねえ」
 許してはいけないのだ。だって、霧の存在が、黒猫の存在が今後の国に大きな影響、それも悪い影響を与えることは間違いないのだから。
 そして、心に決める。
「黒猫を、殺す」
 敵には決して情けをかけてはいけない。
 低い呟きが、溢れた。



 いつ、ことが動いてもおかしくない。
 それは東卍幹部の共通認識となっていた。
 それでも、本当に動くのがいつになるのかが永遠に分からない毎日。日々張りつめていく空気の中で、隊員達はそれぞれの任務へ精を出している。
 西領主が霧幹部とされる男に西領軍の実権を明け渡してから、間もなく三週ほどが経とうとしていた、そんなある日のこと。
 執務室をノックする音に、場地は顔を上げて入室許可を与えた。
 そして入ってきたのは、立場上は自分の上司に当たる一人。ドラケン、と場地は口にした。
「幹部、今から呼び出しだ」
「わかった。これからか?」
「今すぐって言われてる。ソレ後でいいから行くぞ」
 真一郎からの緊急招集。事務処理もそろそろ飽きてきた頃だから丁度良かったと、見ていた紙から目を離した。最初から捗ってなんていなかったから、余計に助かったと思ってしまったのは内緒だ。
 どうやら、呼び出しの場へ最後に付いたのは堅と場地だったらしい。他の創設メンバーは先に来ていた。遅れて悪いなと堅が言う。
 見慣れたいつものメンバー。そして、今日はそれ意外にも参加者がいた。
「タケミチ?」
「ドラケン君、場地君、お疲れ様です」
「タケミっちどうした?」
「オレがタケミっちも来いって言ったんだ。ワケは兄貴の話聞けばわかるよ」
 なぜここにコイツが? と場地は疑問に思う。視線の先にいたのは壱番隊隊員の花垣武道。場地にとっては一応、直属の部下だ。当然、創設メンバーではないのだけれど、彼は東卍内で少しだけ特殊な位置にいるから自然と何かがあったことを悟った。そしてその後ろにもう二名連れているところがまた常とは違った何かが起きていることを物語っている。
 武道は、万次郎の下でも動く隊員だ。だから、彼から水面下で動くように指示されていたのだろう。そんなわけで、少しだけ普通ではない彼がこの場にいるという事は、すなわちいくつかの可能性が思い当たるのだった。一体何だろうと考えていると、自分達のボスがちょうどやってきたところだ。
「急に呼び出して悪かったな」
 オレがそっちに行っても良かったんだけど、と恐ろしいことを言い始めた真一郎に一同はどう返したらいいのかと思って一瞬苦笑した。そっちというのは、東卍の施設のことだろう。いつか冗談抜きでやって来てもおかしくないと思っているけれど、東卍本部へ第一王子が単独で乗り込んできた日には何が起こるか分かったものではない。
「何かあったんスか」
 正直、何もなく呼ばれる理由の方がないのだけれど、場の空気を切り替えるように林田が尋ねた。彼のこういうところは、仲間内でも評価が高い。ついでに、オレが聞いても多分わかんねえけど、と付け加えるところまでお約束だ。とは言いつつ彼の思いつきや発言は的を射ている時の方が多いのだけれど。
 真一郎も常の柔らかい表情から真面目そうな表情をして、一人一人の目が自分自身に向ているのを確認しながら口を開く。
「毎回同じことばっかだけどな、霧の件だ」
 分かっていても、言われると気の引き締まり方が違うものだ。
「オレから話すよりは、こいつらに直接聞いてもらった方がいいと思う」
 真一郎は、武道をちらりと一瞥した。きっと彼らの間で打ち合わせは済んでいたのだろう。その視線を受けて、武道は頷く。普段は少しおどおどしているところもあって、正直なぜ総代表からの指名を良く受けるのかが場地にはわかっていなかったけれど、こうした時の真っ直ぐな瞳が万次郎に気に入られた所以と言われればそんな気がしてきた。
「はい。今回、ココ君とイヌピー君が情報を掴んでくれたんです」
「ボスから聞いてた件、オレ達の方でも追ってたんだけどな。今回有力な情報が手に入った」
 武道に続くようにそう言ったのは、ココもとい、九井だった。切れ長の目が、全員の視線と一度ずつぶつかった。彼と乾は、東卍と協力関係にある情報屋だ。元々は黒龍の下に付いていたが、九井の才能が上手く機能した結果独立して情報屋となったのだ。そのため、真一郎や万次郎とも顔なじみの関係だった。しかしある時九井の才能に目を付けた一派によって、親友の乾が危険な目に遭いかけた。そこを武道によって助けられ、以後彼のことを親しみを込めてボスと呼び、武道からのお願いに関しては快く応じてくれるようになったのだった。今回はその繋がりで東卍に情報提供をくれたのだろう。
「西領と霧の繋がりが見えたぞ」
 周囲一同が、当然驚きを隠せない反応をする。
「それ、ほんとっスか」
「オレ達もそれは疑ったさ。ボスから聞いてる限り、ろくな情報が出てきてないっていうのに、これまで有益情報皆無ってところから急に出るってことはただ事じゃねえからな。でも、間違いない」
 長く知りたかった西領と霧の繋がり。西領が公的に認めてこなかった組織を、今回の件が起こる前、早い段階から抱えていた事さえ知れれば、話は速い。ずっと存在を否定してきた組織と、その時から繋がっているようですが、どうしてですかと……。
「羽宮一虎が襲われたことを切り口に調べていったら、口割ったやつが居るらしい」
「一虎の……」
「金ちらつかせたら話持ってきてくれたよ」
「そいつ、どんな奴だ」
 万次郎が鋭い視線で九井を射抜いた。
「立場はさすがに聞けなかったけどな、霧の№3、黒蛇の下に付いてるヤツって言ってた」
「№3?」
「実質のところ№2黒猫の部下が黒蛇だな。その下に付いてるってことだから、幹部の情報にも明るいんだろうよ」
 黒猫、の名に反応した場地だったが、ここはぐっとこらえた。その代わりに思うことはひとつ。
(一虎、ここまで来たぞ) 
 場地は内心で今ここにいない親友に語りかける。東卍が追い求めていた情報を、掴みつつある。本当は彼が自分の力で手にしたかったかもしれないけれど。それでも、あの活躍があったからこそ辿り着いたものに違いない。
「詳細、聞かせてくれ」
 前のめりで尋ねた場地を、創設メンバーは温かい視線で見守ってくれた。
 九井と乾は顔を見合わせるとゆっくり大きく頷いて、その貴重な情報について詳細を話し始めるのだった。
 ——そして九井の話が整って、最初に頷いたのは三ツ谷だった。
「なるほどな」
「つまり、西領主が謀反企てようとしてそれに乗ったのが霧ってことか」
「ああ、間違いねえな」
「五年もこんなあぶねえ話が水面下で動いてたってな」
「まあ状況を考えると妥当な時期だろうよ。むしろよく、こんな短期間で話が浮き上がって来たってもんだ」
 そもそも、真一郎に繋がっている情報屋が初めにこの情報を掴んでくれなければ、何も気づかないままに、取り返しがつかなくなってから知ることになるはずだったのだ。こればかりはあらゆる運の良さに感謝せざるを得ないだろう。
 真一郎に情報を流した情報屋と、乾九井へ内情を教えた関係者。案外霧は脆い組織なのかもしれないと、希望も含めてそう思う。
「で、どうする」
 状況を見ていた真一郎が、万次郎へ問いかけた。
 その手にあるのは一枚の紙。これこそ今回の鍵となる物品。西領主から霧番犬に充てて出された、作戦の進行状況について尋ねる内容が綴られていた。筆跡鑑定はこれからだが、ほぼ黒確定に違いないだろう。
 万次郎は口を開く。
「ここまで揃ったなら、いつでもいい。証拠はこっちに握ってるなら、まずは霧の幹部を捕えるまでだろ」
 こうして東卍は霧を捕えるために再び動き出したのだった。

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