鐘よ祝福を何度でも

「健やかなるときも、病めるときも、愛することを誓いますか?」
 ステンドガラスから色が差し込んでいる。
 その特徴的なガラスを通して、少しだけ冷たさを感じさせる色。それなのに、正体である光は柔らかく、暖かさを兼ね揃えていた。その光が、今日の良き日に家族となる誓いを立てた二人を包み込んでいる。
 千冬はその筋を目で辿った。そして、今問われた事を心の中で復唱し、答えを出す。
 誓うに決まっている。その感情だけで、心がぎゅっとした。変わらない事実を、今すぐここで叫び出したいくらいの、強い感情。
 全身を駆け巡る何かが嬉しくて、震えた。そして、その何かが幸福であると自覚する。大きな幸せなんて身に余るほどだと思ってしまう少し謙虚な心もどこかにあったけれど、それでも今ここにある現実は、自分と家族になってくれる彼と共に掴み取ったものなのだから、この先なにがあっても手放さないと約束ができる。
 だって、彼に出会った初めの日から、千冬の世界はずっと、彼ただ一人だけなのだから。
「誓います」
 滑り出したのは震える声。
 例え誰に知られなくても、自分と彼がお互いに分かっていれば良いのだと、それだけでも充分だと思ったこともある。けれど、今日二人は大切な仲間達の前で、たった一人を生涯愛すると証明をした。

「結婚しねえ?」
 千冬は思わず、その言葉を聞き逃してしまうところだった。
 腹減ってない? そんなカジュアルさで放たれた言葉に気づかないまま、思わず一瞬スルーをしそうになったのは秘密だ。
 うっかり聞き逃して、今なんて言ったのと聞き返さなくて本当に良かったと千冬は思っている。
 まさか彼がそんなことをするとは思えないけれど、逆の立場で千冬が言ったその言葉を聞き逃されたら……うっかり何でもないとか、言ってしまったかもしれない。
 だから、そんな事態にならなくて本当に良かったと密かに心を撫で下ろしたのだ。スルーしそうになったのは千冬の中でこっそり蓋をして、一生秘密にしようと思っている。……ところなのだけれど、残念ながら、そういう点に関して結構敏感な彼には気づかれている可能性も捨てられないのだけれど。
 千冬は、圭介のほうを向いて、一度大きく瞬きをした。
 きっと、驚きの表情を彼に見られている。
 でも、と脳内で少しだけ言い訳をさせてほしい気持ちもある。
 どう考えてもこんな生活の中心にあるごくごくありふれたシチュエーションの中にいて、一生に一度聞けるかもわからない言葉を受けるだなんて想定していなかったのだから。
 ごくごくありふれたシチュエーション、そう、例えるなら食事の時からBGMのつもりで付けていたテレビでバラエティがニュースに変わり、その後いつの間にかドラマに変わっていたかのような、そして気づいたらそれをぼんやり眺めつつ、寛いでいるような、そんなどこにでもある一日の終わりごろ。
 今日は圭介が休みの日だったから、千冬の帰宅時間に合わせて夕食を整えてくれていたのだ。
 それぞれ別の職に付いていて、勤務日が重なる日とそうではない日がある。
 お互いが仕事の日は朝のうちに話を擦り合わせて、早く帰れそうな方が買っておくことも多いけれど、今日のように片方が家にいるときは出来合いにせず、作って恋人の帰りを待つのが約束のようになっていた。だって、働き疲れて帰ってきた時に大好きな人が作ってくれた夕飯と言ったら、これ以上に美味しいものはないのだから。
 お互いにその味を知ってしまっているから、今日が出勤日だった千冬は定時前から楽しみで、そわそわしていたのだった。
 そんなわけで、圭介特性のカレーをおかわりまでしたのが帰宅後すぐの話。
 食べ終わったら常のように並んで皿洗いをしていた辺りが、丁度テレビの向こうではバラエティの終わりごろで。
 そのままつけっぱなしになっていた今シーズンの人気ドラマをソファの近くでまた並んで眺めながら、ぼんやりこのぬるま湯のようなひと時に浸っていたのだ。
 そこで、先の展開。
 圭介から、千冬への言葉だった。
「……はい」
 それでも、驚きは一瞬。大きな瞬きを五回くらいはしたかもしれないけれど、そこまで時間は経っていないだろうと千冬は勝手に自己完結する。
 今の今まで二人してぼんやり眺めていたテレビとは打って変わってしっかり彼の瞳を覗き込む。彼の瞳の向こうでまだびっくりしている自分が見えて気恥ずかしかったけれど、そう肯定を返した。
 この人が、まるで人をからかうためにそんなことを言うわけがないと、世界中の誰よりも知っていたから。
 千冬の恋人は何よりも自身の言葉を大事にする人だし、約束は最後まで守り抜く強い人だ。だからこれは覚悟を決めて言ってくれたことなのだ。
 それなら素直に、貰った言葉に向き合うまで。
「オレ、圭介さんと家族になりたい」
 いつかそうなれたらいいと思っていた。
 もしかしたら、自分達でもなれるかもしれないと、信じていた。
 残念ながら難しい法律は千冬と圭介の幸せを最後まで祝福してくれないし、同性同士のそれを完全に許してくれているわけではないのが事実。条件が違えば得られるはずの社会的な保障が、今この国この世の中では得られない事実に人知れず心を傷つけられたこともあった。
 でも、彼はいつだって真っ直ぐ千冬を愛してくれたし、千冬だってその想いに百二十パーセントで応えてきたつもりだ。
 この人とならそんなハードルが気にならないくらい幸せになれると、信じていたのだ。
 そしてそれは、今こうしてあっさりと叶えられることになった。
 彼の膝の間に納まっていたところから、今度こそ真っ直ぐ彼の方へ向き合って、心の底からの気持ちと願いを伝えるのだ。
 するとなぜだろう。最初に千冬へプロポーズをしてくれた彼よりも、返答を返した千冬の方が緊張してしまったのだった。
 次に彼が口を開くまでの僅か数秒にも満たない時間が永遠に感じられた。
 未だについたままとなっているテレビの音と、時計の秒針が進む音、その二つが混ざり合って千冬の中に流れ込んでくる。ああ家の中にいる音が聞こえてくると、心のどこかで考えながら、彼の口が開かれるのを待った。
「オレも」
 戻ってきたのは、三音。
 でも、十分だった。
 結局、これに勝る肯定の言葉は世界中のありとあらゆる言葉を探したとしてもないのではないかと、そう勝手に考えるだけでも千冬の心を満たしていく。
 伝えた言葉に対して、自分も同じであると肯定が戻ってきて。心のベクトルが同じ向きになっているというその事実を確かめる。
「圭介さん、……オレ、おれ、幸せです」
「おーおー、もっと幸せになろうぜ」
 ニカっと笑う時に強調される八重歯が好きだ。
「はい、……ハイ!」
 よろしくお願いします! こういうのは勢いだと思って頭を下げたら、元気なヤツ、なあんて言われて今後は声を上げて笑われたのだけれど。

 挙式を行うと決めたのも、圭介だった。
 再びきょとんとした千冬へ、だってオマエ、コーユーの好きじゃん? という事。
 確かに否定できない。
 今でもキラキラした世界を垣間見る事が出来る少女漫画をも愛読書としているし、人生の手本かつ憧れとして、かの少女漫画家を尊敬しているから。
 けれど、千冬は別に、式にこだわろうと思ったことはなかった。
 だって、千冬にとっては圭介のこの先の人生を貰えるというこの事実が全てで、それだけで身に余るほどだと思うし充分だと思ったから。
 一目見て惚れたその人と恋人になれて、今では同棲までしているのだ。彼の全てを独占している自覚があるわけで、むしろこれ以上は何を求めるというのか、とさえ思うくらいだった。
 愛の重さ、と良く言うけれど、本当に抱えている彼へのそれを計ったら、自分の方が絶対に重たいと確信さえしていた。
 別に、無理やり付き合って貰っていたとかそんなネガティブな事は思ったりしない。
 その証拠として、付き合ってもう何年も経つのに、未だに夜は情熱的に求められるのだから……と、過ごしてきた宵の時間を思い出すだけで気恥ずかしくて真っ赤になってしまうのだけれど。
 けれどそんなあれこれを経て、千冬の自己肯定感からしたら彼が心の底から千冬を愛してくれていることは分かりすぎるくらいだから。
 でも、それとこれとは話が別なのだ。いつだって圭介が好きで仕方なくて、日々その気持ちが収まることを知らない。だから、千冬の方が絶対愛が重いと確信していた。
 とにかく、そんな風に自分たちの関係を想っていたところだから、まさか彼がこんな計画をしているなんて想像もできなかったのだ。
 彼の愛を疑ったことはないけれど、もしかしたら千冬が思う以上に圭介も千冬を愛してくれているのかもしれない、と今日知る事が出来た。
 結婚式の準備進めないとな、と、その言葉だってあまりにもサラッと言われたのだけれど。
「結婚式……?」
「おー、いつにする?」
「いつ」
 鸚鵡返しになっていることは分かっていた。
 それでも今はまだ、彼の言葉を理解するまで頭が働いてくれないのだから仕方ない。
「日付決めねえと、進められんね―じゃん」
「そ、そうっすけど……結婚式、やるんスか?」
「えなに、嫌なん?」
 思わず疑問形になる千冬へ、圭介はちょっと困ったような声色で返してきた。彼を困らせてしまっているらしい事実にはすぐに気づいて、慌てて訂正をする。
「そんなことはないっス! 嬉しいですよ、でも圭介さんこういうのにこだわりなさそうっていうか、なんというか」
「お前の中でオレ、どーなってんだよ。だってオマエ、コーユーの好きじゃん?」
「はい、まあそうっスね」
「だったら、オレも」
「圭介さん……」
 プロポーズする前から挙式を上げることは決めていたという。
 それは後々になってから、知った事なのだけれど。
 とにかく千冬には、千冬が喜ぶだろうと考えてくれたその事実が何よりも嬉しくて、幸せだったのだ。
 穏やかな時間が流れる中、未だに心臓がせわしなく脈打っているのを感じる。
 先ほどまで耳に飛び込んでいたテレビは、知らない間に消されていたようで、余計に身の内でなるその音が気になった。
 そんな心情なんて知らず、圭介はまだびっくり箱の中にとっておきを隠していたらしい。
「やっぱ六月とか?」
「え!」
「なに、まだなんか困ることあるの?」
「いや、だって……」
 軽く言われたその月。千冬が混乱するのも無理はないだろう。
(圭介さん、知ってるのかな)
 結婚式を挙げることを初めから想定してくれているのであれば、その月との関連くらいは知っていることだと推測くらいはできた。
 思わず疑ってしまった事は申し訳ないと思いつつ、でも、いつだってこういう事に興味があるのは、千冬のほうなのだ。
 ミーハーであることを自覚している千冬は、世間で話題になっている恋愛映画を見によく彼を連れまわしたけれど、だいたい最後の方はうとうとしていて。エンドロール当たりで、あれ、もう終わるん? なんて言うのがお約束だったのだ。
 ちなみに、何度かそれが続いたら逆に誘うのすら申し訳なくなって、デートは違う方法で楽しもうと考えたことがある。無理して付いてこなくていいですよなんて言ったこともあるのだけれど、それはそれで嫌だというのが彼の意見だったので。今でも話題作があると、彼を連れて行くのが圧倒的だ。
 結局千冬だけが感動して泣いたまま、眠気の覚めた彼に連れて帰ってもらうのが当たり前の映画館デートスタイルになっていった……というのは余談だ。
 そんな圭介が、結婚式を挙げるなら六月と口にした。
 これは、知っていると、思って良いのだろうか。
「圭介さん」
「なに」
「……六月の花嫁ですね」
 随分と千冬らしくない、遠回しな言い方をした気がする。
 誌的な表現よりは断然ストレートな物言いの方が好む恋人だから、もしかしたら今頃頭の中ではてなが浮かんでいるかもしれない。
「知ってる」
 でも、それは全くの杞憂だった。
 圭介は、六月と結婚にまつわるそれを知っていて、その上で千冬にこの提案をくれたのだ。
「良かった、圭介さん、こう言うのあんまり興味ないって思ってたから。……変な言い方してすんません」
「気にすんなって。ま、本当はショージキよく知らなかったワ。……でもさ」
 なんだか意味深なところで口を閉ざした圭介に、千冬は訝し気な表情を送る。
 するとその視線に気づいたらしい彼は、千冬の髪を一撫でするとちょっとここで待ってろと言うのだった。
「はい」
 実際は、だいぶ疑問形の返答がニュアンス的には近い感じだったけれど。
 そうして彼は立ち上がって、部屋にある小棚の引き出しを開けて何かを取り出した。小さな、四角い箱のようだ。
 そのおかげで次に何をされるかわかってしまった千冬は感極まって涙を零すことになったのだけれど。
「ハハ、渡す前からボロ泣きかよ」
「す、すんませ、んッ」
「千冬、ほら、左手出せ」
「圭介さん~!」
 あまりにも嬉しさが勝りすぎて、涙が止まらなくなってしまったけれど、言われた通りに左手を出した。圭介の大きな手が千冬の手を取って、一度その薬指を優しく撫でられる。
 ぴったりじゃん。次の瞬間にはそう言って、千冬の左手薬指には指輪が嵌った。
 シルバー色のそれが光っているのに、しばらく見惚れる。
 圭介もしばらく同じように千冬の左手を眺めていたのは、きっと愛する恋人とまた一つ新しい約束をする事が出来て嬉しかったのだろう。
 しばらくそうしていたのだけれど、彼は不意にその千冬の左手を自身の右手で掬うように取ると、そのまま身を屈めて、手の甲に口付けを落とした。
「オレがお前のこと、世界で一番幸せなハナムコにしてやるよ」
 囁かれたのは、甘い声と甘い台詞。
 なんでそんなに気障な言葉が似合うんだと、言いたくなるのは、ここまで散々振り回されているちょっとした仕返しの気持ちで。
 体温がぐっと上がった。
「へへ、それはオレの台詞っス……!」
「頼もしいヤツ。……これをさ、買う時に店員が教えてくれたんだワ。結婚式やるならいつにするのか、六月かって聞かれたから、なんで六月? と思って」
 その時の様子が大いに想像できて、少しだけ愉快だった。
 不思議そうな顔をする彼。親切に教えてくれる店員。……指輪のサイズで、もしかしたら何か気付かれたのかもしれない、というのはあくまで想像の中での話だけれど。
「千冬ぅ」
「はい」
「オレにも、付けてくんね?」
「喜んで」
 そうして今度は千冬が圭介の左手を取ると、その薬指に揃いの指輪を通す。
 その瞬間に、ああ世界で一番大切な人と家族になれるんだという事実をまた実感してしまって、千冬の視界はまた潤む。
 彼の手を見る建前で下を向ているけれど、気づかれてはいないだろうか、といらない心配までしてしまう。
「千冬、オレ千冬の事愛してる」
「圭介さん、オレも、オレもです。……これからも、お願いします!」
 次に気づいた時には、彼に抱きしめられているところで、とうとう耐えられなくなって圭介の腕の中で号泣しまったのだけれど。
 圭介さん、追い討ちかけないでください、とちょっとした抗議をしたら、だってオマエ可愛いんだもんと返されて、また泣く羽目になるのだ。
 そんなことも含めて、今がこんなに愛おしいと思うのだった。

 式は、お互いの母親と親しい友人だけを呼んで行おうと決まった。
 シェアハウスではなく同棲なのだと告げた時点で、それぞれの母達には二人の関係をカミングアウトしている。
 薄々気付かれていたようには思っていたけれど、明確な言葉として示すのが怖くてその前日眠れなかったのが懐かしい。そして、数日内に実家に戻る連絡をしたものだから、また前日は同じようになる予感がしたのだけれど。
 友人達に対しては、その日のうちに場地が元東京卍會創設メンバーに千冬との結婚予定を報告したおかげで、数日後には周辺の近しい面々にも知れ渡っていて、少しだけ気恥ずかしかった。
 仕事の休憩時間にスマホを開くたび、懐かしい人から届いていたメッセージ。それでも連絡を貰うたびに、どれも温かい言葉ばかりで幸せな気持ちに浸ることができたので、感謝しているところだ。
 交際をスタートした時も、沢山の温かい言葉を貰っていたけれど、少しずつ当たり前になってきたものの、まだまだ世間的には少数派の家族になろうとしている二人だ。
 それでも千冬が、そして圭介がお互いを想って過ごしてきた時期を良く知ってくれている人たちだから、素直な応援の気持ちを与えてもらったのだった。
 ……と、こんな風に順調なこともあったのだけれど。
「圭介さん、予約この日にしかできなさそうなんですけど……スケジュールどうっスかね」
「いつ? あー、やべ、抜けてた。その日は取引先が主催の譲渡会の手伝いがあるんだよなあ」
「……ス、ちょっと他の日も見て見ます」
「ワリぃな」
 式場は、もう決まっている。婚約をした次の日には圭介が仮で予定を抑えてくれていたから千冬は何十回目の恋に落ちた。
 仲間への報告と、準備。
 なんて仕事が早いんだと感動して、この人が夫になるのだというまだ実感しきれていない事実に少し輪郭を見出したのだった。
 さて、そんな二人が今困っているのは、打合せ日程と当日着る衣装を合わせるのをいつにするのか、だった。
 圭介は持ち前の真っ直ぐさが功を成して、学生時代から願ってきたペットショップ職に付き、希望通り現場で店員となることができた。
 今となっては都内にも数店舗を構える業界の大手が経営する一店舗で、店長職にまで登り詰めているものだからさすがとしか言いようがない。彼は自分から仕事の自慢なんてするタイプではないけれど、どうやら圭介のフォローが良かったからとペットをお迎えしてくれる客が多いそうだから千冬も勝手に鼻が高いとか、思っていたりする。
 そしていつかは、個人店舗を持ちたいのだと夢を語ってくれた日を忘れていない。
 やると言ったら確実に成し遂げることのできる人だから、その夢はきっと数年内には叶うだろう。そして時が来たなら千冬も隣で夢の続きを作りたいと思っている。
 対して千冬は、ペット業界とは関係のない一般メーカーへ就職した。
 二人が同棲を始めたのは圭介が専門学校を卒業し社会人一年目、千冬が大学三年生の時。
 忙しくなるとどうなるかわからないけれど、二人の時間を大切にしたいと圭介に言われて、共に暮らすことを決めた。シフト制の勤務形態かつ、生き物を扱う圭介は不規則な生活にどうしてもなりがちだったから、サポートをしたいという気持ちもあって、同棲には千冬も即答の二つ返事だったのだけれど。
 どうやら圭介は、就職をきっかけに別れを選択することになった巷のカップルの話を耳にして真っ青になったのだとかなんとか。
 千冬からしたら、たとえ遠距離恋愛になろうと、お互いの生活がどうなろうとそれだけは絶対ないと言い切れるからこそ、真剣な顔をした彼にそれを教えてもらった日には思わず笑ってしまって、思いっきり拗ねられたのが懐かしい。
 それから一年後には千冬が就活となったけれど、職を探す際に優先したのは休日が学生時代とさほど変わらない形態、いわゆる休日が土日で固定している企業で働くことだった。……という本音を持っているくらい、千冬にはずっと圭介だけなのだ。
 出会った時からたった一人に、全てを捧げている。それが千冬にとっての幸せだから。
 もちろん適当に仕事に就いたわけではないし、それなりのやりがいだってある。
 それでもいつかは同じ仕事がしたいと思っているから、そのための経験を積んでいるところなのだ。
 今はまだ道半ばだから、無理をしない方法を取りたいと……元暴走族の千冬達にしてはあんまりにも気質として真面目な人生設計をしたりした。 
 それが、一つ目の理由。もう一つは、当然彼の夢であり千冬の夢でもあるペットショップ開業のために資金を稼ぎたいという理由だって、持っている。
 つまり千冬は固定休日の職種にいて、圭介はその月によって変更が合ったりする。
 これまでは、それに不都合さを感じたことはなかった。
 たまに一日休みが重なったら少し遠出をすればいいというスタンスだったし、お互いに夜勤がある職種ではないから生活リズムが本当にずれたりはしない。寝た恋人を眺めて出社が必要なわけではないのだ。
 帰りが遅くなることがあるのは、社会人であれば誰だって同じこと。
 しかし、こうして結婚式の予定を決めていくにあたって初めて多少の無理が生じているのだった。
(もしオレ達が男女のカップルだったら、結婚式の準備で休みも取りやすかったのかな)
 近しい人物達には、告げることのできた彼との結婚。
 しかし千冬も圭介も、職場にその事実を告げることができていない。
 言うことはきっと、できる。けれどどこかでブレーキがかかってしまう。寝食を共にする親以外の相手がいることは知れているだろうけれど、職場にその存在を明かしたことはなかった。
 幸いにも休みが取りにくい会社ではないけれど、有給の詳細はなんとなくはぐらかしている。普段は二人で幸せならそれでいいと思っているのに、ふとこうした時に後ろ向きになってしまう気持ち。
(だめだ、暗くなってちゃいけねえ!)
 はっとして、軽く自分の頬を叩いた。
「圭介さん、ここのスケジュール三角って書いてあるのは予定入りそうってことっスか?」
「んー? ……あ、これなくなったヤツ消し忘れてたワ」
 二人のスケジュールは、常に共有していてオープンとなっている。
 圭介の休みを把握する意図もあるし、当然家事のためもある。お互い勤務が重なる日はそれに合わせて洗濯料理を分担しているから、すっかりこれに頼り切りだ。
 そんな中で見つけた、彼の予定に変更有り。これは良いタイミングだ。
「オレここ休み取るんで、この日にできないか、ちょっと担当さんに聞いてみます!」
「大丈夫なん? 今忙しいとか言ってなかったっけ」
「忙しいのはまあ、いつもの事っスから。こき使われてる分休ませろって、上司には言ってやります」
「ハ、怖エヤツ」
「そんなオレが好きなくせに」
「まーな。じゃ、よろしく頼むワ」
「ウス」
 ――この前テレビで見たんスけど、同性カップルでも挙式やれる式場があるって。ほら、付き合い始めた時行った、あのテーマパーク。
 そんな話をしたのは何年前だっただろうか。
 あの頃はまさか自分が主役側になれるだなんて思ってもいなかった。話をしたのだって、一切結婚を意識したものではなく、ただ自分達と少しだけ近しい人たちの幸せな話を見たと彼にシェアしたかっただけ。
 けれど圭介はそんなかつてのちょっとした話を覚えてくれていて、二人の式場もそこになったのだから、千冬が圭介に抱く恋慕は今日も止まるところを知らないのだ。
 打ち合わせの予約がなかなか取れないのはそのせいだったりする。
 その場所にあこがれを持っているカップルは男女ともに多いはずだろうから。カップル達の幸せな第二の人生の門出を、その地で迎えたいと。
 その時に、圭介へその話をしたかどうかは正直覚えていなかったけれど、脳内でもしいつか……なんて考えていたのは事実。
(オレの話、聞いててくれたのかもしれねえ)
 聞いてくれていたし、覚えてくれていた。
 そして千冬を喜ばせるために、式を挙げようと言ってくれた。そうやって思うだけで、嬉しい。
 いつもは千冬が一方的に話をしているもので、彼から戻ってくる返答は正直聞いているのかどうかわからない時だってあるけれど、実は大事なところはちゃんとわかってくれていて、こうやってサプライズみたいに仕掛けてくるのだ。
 それに。未来の夢の為にまっすぐ歩いている中で式を挙げることの意味を、千冬は誰よりもよく理解することができた。
「あ、三ツ谷からメール来たワ」
「ナイスタイミングっすね」
「だいぶ形になってきたから、本当にサイズ大丈夫か明日でも見に来たらってさ」
「夜になっちまいますけど大丈夫っスかね? 三ツ谷くん忙しいのに」
「アイツのことだしいつでも問題ねえだろ」
「ならいいんスけど。オレは明日なら残業一時間くらいで上がれそうです。圭介さんは……休みだから平気か」
「おー、じゃあ明日行くってメール返しとく」
「りょーかい、っス」
「ア? 千冬何笑ってんだ?」
「へへ、なんでもないっス!」
 本当はチャットアプリだろうに、今でも昔の癖でついメールと言ってしまう圭介が可愛いと思っているなんて、うっかりでも口にしたら。顔を真っ赤にして怒られてしまうかもしれない。
 でも、普段しっかりしている彼のそんな少し天然なところが見れるということに、ちょっとした優越感を感じてしまうのだけれど。
 その気持ちは、今日のところはポケットの中にしまっておくことにした。
「オレのほうは返信あっても明日だと思うんで。返ってきたらまた言いますね」
「あんがと」
「先にスケジュールは勝手に変えときました。……圭介さん⁉」
「……じゅーでんさせて」
「はわ……」
 椅子に座っていたところを、後ろから抱きかかえられる。
 驚きからそのまま思わず間の抜けた声を出した千冬へ、圭介がふっと笑いを零す。どこか悪戯が成功したような、そんな表情。千冬が圭介に弱いことなんて、本人が一番知っているわけだから、わざとに決まっているのだ。
「はわってなんだよ。めちゃくちゃ固まってんし」
「いきなりで、びっくりしたんスよ! 圭介さんの行動一つ一つがオレには刺激的なんだって言ってますよね⁉」
「え、耳真っ赤じゃん。かーわいー」
「圭介さん! からかわないで⁉」
 そして次の瞬間圭介は、そのまま千冬の前髪を捲りあげるとその下のおでこに口付けを落としたものだから、心臓がいくつあっても足りない。
 さて、必死の抗議も虚しく。その後すぐに、耳元で囁かれた言葉に、千冬は今回も自身の負けを悟った。別に勝負なんてしていないし、彼相手には一生敵わないと良く分かっているけれど、こんなに振り回されているのだから少しくらいは抵抗の気持ちを持ったって許されるのではないか、と思ったりする。
 彼は一緒に風呂入ろなんてその赤くなった耳元で囁いてきたのだ。
 そんなわけで千冬は、やっていることを全て放り投げて彼に身を委ねることになったのだった。

 晴天。 
 この時期には、珍しいのではないだろうか。
 と言っても、今年は飴が続いた記憶があまりなくて、梅雨がいつ来ていたのか正直わかりかねているところなのだけれど。
(ジューンブライドはもともとヨーロッパの文化で、向こうだと六月の方が晴れてる時多いんだっけ)
 少女漫画で得た知識だったと思う。
 主人公が多くの困難を乗り越えて彼と結ばれたシーンでそんなことを言っていた。二人が恋仲になるまであまりにも紆余曲折ありすぎたから、最終話の結婚式のシーンは涙なしでは読めなかったことを思い出す。考えていたら読み返したいななんて考えながら、千冬は本日のタキシードへ腕を通した。
 今日は、千冬が主役の一日なのだ。
「千冬、似合ってんじゃん! さすがタカちゃん作だね!」
「八戒、それってオレじゃなくて三ツ谷くん褒めてんじゃん!」
 さて、世界にたった一着、サイズ違いでももう一着しかない衣装に身を包んだ千冬へ早速の賛辞が飛んできたが、なんだか本命は別にある予感だ。
 八戒へ、一応今日の主役なんだけど、と戯れてみる。
 今日の主役となる圭介、千冬それぞれの控室には三ツ谷と八戒が付いてくれていた。それぞれ別の控室にいて、支度を整えているところ。
 八戒は三ツ谷のアシスタントとして、千冬を担当してくれた形だ。海外でモデルとして活躍している彼は衣装の扱いにも心得ているので三ツ谷も安心して任せる事が出来るのだろう。
 事実、千冬一人ではベルトや裾をどうしたら良いかわからなくて途方に暮れていたはずだ。
 丁寧に世話をしてくれた友人に、心の底から有難いと思った。
「鏡、見てみなよ」
「うん」
 八戒から促されるまま、後方に置かれていた姿見と対峙する。
 ちょっとおしゃれなファッションショップに置いてあるような大きな鏡。足先から頭の上までが、一枚の鏡の向こうに写っている。
「うわ、コレ、オレ?」
「ハハ、いい反応してんじゃん」
 アイボリーに近い色のタキシードは、見た目も柔らかく、何よりも華やかだった。
 千冬の肌の色にも馴染んで良く映えている。
 試着でもなんどか試してはいけれど、当日という事もあって隅々まで丁寧に着付けてもらったのが良く分かった。
 それを見ながら考えるのは、彼の事。
「圭介さんの衣装も楽しみだな」
「もうそろそろ着終わってんじゃない?」
 今回、デザインを変えるか同じにするかは、迷ったポイントだったりする。
 けれど、一生に一回の結婚式。せっかくなら、同じものを期待という結論になったのだ。
 つまり、千冬と同じものを彼も纏っているわけで。今でも感動するくらいなのに、圭介が着た衣装を見たらどうなってしまうのだろうか。
 なんてやり取りをしていた時だった。
 ノックの音が二回と、今日の衣装を仕立ててくれた人物の声が廊下からした。
 千冬と八戒の視線が自然と扉を向く。三ツ谷からの入っていいかという伺いへすぐに八戒が反応して、千冬着替え終わったよと返事してくれた。
 さて、扉が開いた時のことを千冬は一生忘れないだろう。
「千冬」
「けい、すけさん」
 三ツ谷の後ろから現れた圭介の晴れ姿に、千冬は思わず両手で顔を覆う。感情がすでにキャパオーバーしかけていた。
 ——二人の衣装はやっぱり彼に頼みたい。
 そう決めてすぐに三ツ谷へオーダーをしたが、そこは長い間の友人として二人のことを良く知っている有能なデザイナーだった。
 同じデザインと決まるや否や二人に合う素材を探して、世界でたった二着のそれを他の依頼も対応しながら仕立ててくれたのだ。
 あの時、千冬は白にもたくさん色があるのだと知って少し新鮮な気持ちだった。一つ一つを合わせていったときに、全然見え方が違ったのだ。
 そのなかで、二人に似合う白が決まった時は感動をした。
 さて、同じ衣装のはずなのに圭介が纏うそれは長い黒髪をさらに際立たせているように思えた。
 社会人になって黒髪となっている千冬だけれど、やはり彼の黒髪はその艶やかさと相まって美しいと思うのだ。それを衣装と相乗効果を齎していると、そう感じた。
 白と黒のコントラストが、美しいなと思っているのは千冬だけではないだろう。
 後ろでまとめられた髪はフォーマルさと遊び心をバランスよく見せつけていて、そう、言うとしたら品の良さはあるが決して固くならずに纏まっている感じ。
 見ていて、飽きない。
「千冬、見惚れてんね」
「それ言ったら場地もな」
 友人たちの前で、本日の主役二人がいつもと違うお互いにときめいているところ。きっとあとあとその事実に気づいたら場地は照れ隠しで三ツ谷を、千冬は八戒を小突きそうなところだけれど。
 それでも今日、世界で誰よりも幸せであるはずの二人だからと、旧弐番隊コンビはそっと控室を後にするのだった。

「場地―! 千冬―! おめでとう!」
「幸せになれよー!」
「千冬、場地に泣かされたらいつでもチクりに来いよ!」
 温かい言葉と、かつてから良く知る身内だからこその思いやり。仲間から贈られるそれを全身で浴びる。
 式は、滞りなく行われた。
 まさか友人たちの前で誓いの言葉を告げる日が来るとは今この瞬間においても実感ができなかったけれど、千冬はたとえ誰に誓わないとしても、たった一人、彼に誓いを告げられればそれでの良かった。いかなる時だって、千冬の全ては圭介にあるのだから。
 ――二人の関係を応援してくれた、仲間と母たちに家族となる誓いを見届けてほしい。
 それが圭介と千冬の願いだったのだ。
 だから、神に誓うのではなく、今日この場に来てくれた人たちへ自分たちの覚悟を、この先の未来を伝えた。
「オレ、千冬の事愛してる」
「オレも、圭介さんの事愛してます」
 真っ直ぐ千冬を見つめて愛を告げてくれた彼に、嘘偽りのない心を返す。
 法律の壁はまだまだ厚いし、まだまだこの国では全ての人に受け入れてもらえないのも事実。それでも、家族になる誓いを友人たちに祝福してもらえるこの瞬間は何事にも代えられない瞬間だ。
 まさに一生忘れることはないだろう。
 お互いの左手に飾り合った指輪がその証だ。
「届けっていつ出したの?」
 さて、式が終わり披露宴の中で尋ねてきたのは万次郎だった。
 彼には今日、圭介の親友として代表スピーチをしてもらったところだ。終始東京卍會の総長であった頃の誰もが憧れた無敵のマイキーそのままで、そんな彼から与えてもらった祝福の言葉に、鳥肌が止まらなかった。
 ちなみに千冬の方は言わずもがなの彼だったけれど、泣き虫のヒーローの綽名に恥じない泣きっぷりを発揮してくれたおかげで、その前とは打って変わって全員の緊張がほぐれた話はまたどこか別の機会に。
 さて、千冬は万次郎からの問いに答える。
「四月です。圭介さんがオレのこと助けてくれた日」
 一生忘れるはずがない大切な日を、二人にとっては結婚記念日という形でずっと持っていられる。
 届を出すなら、この日にしたいと思った。
「コイツ、記念日とかめちゃくちゃ細かく覚えてンの。別にどっちかの誕生日とかでもよかったんだけどさ、ついでになるのもアレじゃん?」
 圭介が千冬へプロポーズしたのは秋の初め頃だった。
 それから考えると、約半年は結婚式の準備を整えながら、最後の恋人期間を楽しむために充てたのだった。
 二人が出した届はパートナーシップ制度の書類。この証明によってただの恋人でいるだけよりもできることは増えるけれど、男女が結婚して婚姻届けを出すのとでは少し異なる。
 いつか制度が変わって、法的にも家族に慣れたら幸せだと思うけれど、今はとにかくあるもので二人の関係性に新しい名称を付けられれば、満足くらいはできるのだ。この証明では苗字の変更手続きが必要になったり、社会的なものに対する手続き類がいるわけでもないので、まずは家族になった証明という意味で提出するのであれば春でなくても良かったのだけれど、そこは出会った日を記念日にしたいという千冬のほうにちゃんと考えがあったらしい。
「そういう圭介さんだって覚えてプレゼントとかくれるくせに」
「ア⁈ そりゃ……スケジュールに書いてありゃ気づくだろ!」
「へへ、そうでした」
 けれど、ちゃんと見ていることには間違いがないと分かって千冬は上機嫌だ。
 付き合った日、初めてデートをした日。彼と過ごす日々はどれも宝物だけれど、記念日はやっぱり特別だから。
 そんな二人のやり取りを見て、万次郎はさっき圭介へ祝辞を述べていた時とは打って変わった表情になってにんまりと笑った。千冬は万次郎の子の表情を知っているし、この後どうなるかも予想が付くといったもの。
 そして案の定、それは的中するのだった。
「場地が照れてるー」
「マイキー……殺す」
「オイ場地、せっかくの主役が物騒なこと言うな。……千冬、あっちもオマエらと話したがってるぞ」
 幼馴染同士のやり取り。見ている分には楽しいのだが、ヒートアップすると大変な組み合わせであることも知っているからうまく圭介を次のテーブルへ連れて行かないと、なんて思った千冬のヘルプになってくれたのは、頼りになる元副総長だった。
 彼の示すほうを見ると、林田が、一虎が手を振っているのが見えた。
 大人になった今でも変わらない先輩たちの関係性が、千冬にはいつだって眩しくて仕方ない。
「ドラケン君あざっす。圭介さん、行きましょ」
「おー」
「場地、千冬、おめでとう」
 今日何度目かの温かい言葉に二人揃って深々頭を下げる。
 今度はもう、万次郎が揶揄ったりはしなかった。誰よりも仲間思いな彼は今この瞬間を我が事のように喜んでくれているはずなのだから。
「次はペットショップだな」
「オウ」
 幸せになれなんてありふれた言葉を言わないのがこの人のすごいところかもしれない。
 だって、今でも充分圭介と千冬は幸せだからと。その代わり、次の幸せをもう見てくれている。
「圭介さんの夢は、オレが絶対に叶えますから」
「場地のこと、頼んだぞ」
「オマエはオレのオフクロかよ。……マァでも、絶対に千冬と叶えるからさ」
「じゃあ店開くときはさ、また創設メンバーに一番に報告くれよな」
「考えといてやるよ」
 そんなのは照れ隠しで、圭介は絶対に言ったことを成し遂げる。この話はいつか現実になるに違いないのだ。それだけで、わくわくしてきた。
 何よりも。千冬にはこの先二人で並んで歩いていく道筋が、真っ直ぐ見えたのだった。
 リンゴン、先程耳にしたばかりの荘厳な音が脳裏に浮かんだ。

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