碧色の瞳に瑠璃を重ねて【一章】

運命に出会った日のことを、覚えている人はどれくらいいるだろう。

それが運命であったと気づける人はどれくらいいるのだろう。

少なくともオレは運命に出会った日をちゃんと覚えてる。

あの日、オレの人生は輝きで溢れた。

「あー、だりぃ」

思わず口から飛び出してしまった言葉にハッとして、オレは右手で口を覆った。物静かな館内。やっちまったかなってひやりとしたまま慌ててまわりを見渡すと、係員と数名の客が目に入ったから本格的に焦る。思ったよりも声が響いたなって思って、それがちゃんと耳に帰ってきたもので驚いてしまったんだ。しかも、無意識に零れていたのはちょっとした知り合いの口癖に似た言葉だったものだから、まさかこんな場所だけど、共通の知り合いがいたりしねえよなとかいらないことまで考えてしまって、勝手に気恥ずかしくなったりした。……間違ってはいけないのが、オレにとってその人物はあくまで知り合いの域であって、決して友達などではない、という事なのだけれど。

だって、まさかそいつに、ゲームを貸してほしいという理由だけで、理不尽にも縛り上げられたことがあるなんて誰に言って信じてもらえるんだろう? 

……っていうのは、まあ置いておいて。

「別館……どっちだ?」

気を取り直して、再び独り言。なんだか、一瞬口から飛び出してしまった不真面目な言葉を上書きしたい気分だった。

別に普段、特別優等生を気取りたいとか思ったことはない。むしろ、ほどほどそこそこでやって行きたいとすら思っているところがある。

だって、適当に単位を取ってどうにかなればそれでいいっていつも思ってるから。

大学一年生、春休み。

人生の夏休み、なぁんて揶揄される日本の大学生、さらに長期休暇中。そんなステータスのところにいるのが、オレ。

大学が再開するまではあと一ヶ月もないくらい……なのだけれど、休暇中に変わりはない。それなのに今日外に出ているのは学生本業のためだったりして。

――コレ、キュウジツシュッキンってやつじゃね?

そんな馬鹿げたことを考えてしまうくらいに、実はあまり大学というものに価値を見出していないのが本音。

そう、人生の夏休み、大学生なのだ。 

誰もが名前を聞いたことのある上位校にもなれば、いい会社へ就職するために志を高く持って学業に励む傾向は高くなるかもしれない。当然オレの通ってる大学の中にだって将来を見据えて真面目に講義へ参加している学生もいる。その人達からしたら、人生における長期休暇、バカンスみたいな言われはあんまりだろうな。

だけどオレは全くそうじゃなかった。残念ながら中学時代はヤンキー、高校も県内では名前を書けば入れるなんて評価の学校を出たってところ。さすがに高校時代はやんちゃを控えるようにはなっていたけど、早くに身に付けたサボり癖はある意味……悪い方向で有効活用ができるようになってしまった。オレ実は応用の利く人間ってやつだったんです、なんて。全くいいスキルなのか、悪いスキルなのかはわからない。

幸いなことに高校は家から近いという理由だけで偏差値をかなり落として入学したので、高校時代の成績はほどほど良かった。あとはまあ、そこそこなら勉強もできたというのがちょっとした運の良さ。このご時世なんだから大学くらいは出ておきなさいという世間体かつ、やりたいことが決まってないなら進学くらいしておけば、なあんて世の中の言葉に流されて、どうせ今すぐ社会人になりたいわけでもなかったから、高校で推薦を取れるレベルの大学に通っているというだけ。

勿論、進んで学習をしたいタイプではない。つまり、適当に考えて適当に生きてきたのがこのオレ、松野千冬という人間のこれまで。

そう。現在は言うところの、Fラン大学の学生だ。……こんなこと、通う大学の学長に知れた日には泡を吹かれてしまうだろうけれど。残念な事に先公ってやつとは、昔から相性が悪いんで、今更だと思ってる。

それでも、そこそこのことをしないと単位は与えてもらえないんだよな。学費のこともあるし、さすがに留年するわけにはいかないと思っている。中学時代のやんちゃはさすがに暴走族などに入るレベルではなかったけれど、喧嘩をするたびに困った顔をしていた母親へ、これ以上の心労をかけたくないって考えられるくらいには大人になったと思ってるところ。女手一つでこんなオレを大学まで入れてくれたんだ。実態がいくら不真面目で、相も変わらずぎりぎりの出席数でしのいでいるような適当さと言っても、そのうち社会に出たらほどほどに働いてそれなりの親孝行くらいはしたいと、ちゃんと思っているのだ。そうすると、出された課題くらいはちゃんとやっておくかというもの。

その課題の為に、今日オレは都内某所は美術館へ訪れていたのだった。

正直、絵画も彫刻も全くわからない。これは何を表現しているのですか? というタイプの問題は苦手だった。オレのほうがセンスあるしと思ったことだって数知れず。だって、高校の文化祭でオレが担当したTシャツ、独創的ですねって褒めてもらったし。

そう、絵画とか彫刻とか、本当に分からない。けれど今回出されていた課題は、指定された作品から五つ、作られた時代背景や作者の置かれていた環境に合わせて考察しレポートにまとめろというものだったのだから仕方ない。オレが通ってるのはあくまで一般的な四年制大学だけれど、共通科目の中でこの講義を持っている教授はレポートさえ乗り切れば簡単に単位をくれるという事で有名だったから、楽をするために受講したのだった。

……そのはずなんだけど。そこは、学業になんてちっとも興味関心のなかったのがちょっと良くなくて。ものの見事に出席数が一日足りなくて、所謂落単位。計算、ミスったんだ。そんな感じで再履修かよって思ってたオレと、同じく単位を落とした何人かへの救済措置がレポートで題材とした作品のうち一つを実物として見たうえで、再度レポート化して提出しろといったものだった。

課題をやるのも大事だけど、正直今回必要になってくるのはこの美術館に入場するためのチケットだったりする。まあ、つまるところちゃんと行ってきた証明を提出しろというわけ。サボり癖がうまく付いてるとさ、こういうのがすぐにわかるんだよね。なんで、少しくらいは文句も言いたい。

(追加課題、春休み中にやれってなんなんだよ)

 まあ、全て自業自得なのですが、と内心で付け加える。

(わ、これ写真みてえ)

 正直チケットが手に入ったのであればあとはいくらでもどうにでもなると思っていたのだけれど、せっかく入館料を支払ったからには覗いてみようというのも本音。だって、チケット代わりと高かった……。学割が効いたとは言っても、もうちょっとさ、しないと思ってたんだ。舐めてた。

 という感じでちょっとマイナスな気持ちで入ったのだけれど、これまで、美術芸術なんて一切知らない人生を送ってきたから、見るものすべてが新鮮に映って、実は楽しめていたりする。

 なにせ中高生は、先の通りなのであまり人には話せない。不良をやっていた時代が果たして黒歴史であったかと聞かれれば難しいところもあるけど、少なくとも今いる学生生活の中では、なかなか荒れていた過去を持っているような気がして、心の内に秘めることにしているのだった

 中にはいかにも大学生レビュー! ってかんじの派手なタイプの学生もいるけど、正直オレは陽キャと分類されるタイプとはあまり相性が良くない。それはきっと、喧嘩っ早さにも理由があるんだろうけど。だってなんか、調子乗ってそうだし。でも絡んだら絶対面倒。そんなわけで、わざわざこの金髪は十代前半から貫いてますなんて自己紹介をしようとは思わなかったり。

 ……とにかく、そんなオレが今日この場にいることが不思議で仕方ない。

「お、あった、これじゃん」

 さて、ようやくお目当ての課題にしている作品の前に辿りついた。

 たまには学生っぽく本業ってやつをちゃんとやってみるか、そうやって思って、斜め掛けにしているポーチからスマホを取り出すと、メモを取り始める。横に説明書きがあるから、これならどうにかなるかな。


〇続き〇

 

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。

inserted by FC2 system