黒猫は今宵壱等星の夢を見る⑳

【二十章】


「……随分と、好き勝手してくれたじゃねえか」
 元よりドスを利かせた声を出したつもりではあったけれど、想像以上に低い声が出て、内心感動したのは秘密だ。
 その日、黒猫は王都の中でも最下層が蔓延る街を訪れていた。どこの国でも、大都市には華やかな世界と裏側の世界が二極化している。治安の悪さなら折り紙付きの街。先を急いでいるにも拘らず少し歩くだけで娼婦に声を掛けられ、次の瞬間には若い見た目を気に入ったのかウリをやらないかと近寄ってくる男に出くわす。うっとおしいと無視して進めば逆切れされて、面倒な事極まりなかった。
 それくらいならまだ可愛いもので、当然のように犯罪の温床ともなっている街では、怪しげな取引を横目で見る機会も多いのだった。
 そんな風に苦労しながらも自ら出向く必要のある場所があったのだ。
 霧幹部として、直接顔を拝まないといけない人物がいるのだ。
「お、オマエは……?」
「テメエ、オレもわからねえのに、ウチの名前使ってくれたわけ?」
 黒髪に左耳のピアス。纏う服も黒を基調としていて、透けるように白い肌と瞳の碧が対比のように際立つ。
「ま、まさか」
 黒猫。そういった声は間違いなく震えていて、怯えるくらいなら最初からよせばいいのになんて思う。内心で溜息を吐いたつもりだったけれど、実際にそうしていたかもしれない。
 東卍を探るに並行して、ずっと追っていたことがある。当然、霧の名を勝手に使って動いていたクスリの密売人だ。先日も東卍に証拠を掴まれる前に始末したが、その残党がまだいることを黒猫は当然のように掴んでいた。
 東卍は、彼らこそ霧に繋がる情報を持っていると踏んでいたようだが、実際は霧にとっても余計なことをした宿敵に違いなかった。
 相変わらず冷ややかな視線で男を射抜く黒猫のすぐ横に、もう一人の男が立った。相手の尻尾が見えたからと言って霧から派遣を依頼した部下の一人だ。
「……黒猫。こいつらどうしますか」
「好きにしていいよ」
 霧に関わったら一体どうなるのか。わざと彼らに聞かせるためにそう尋ねてきたのだろう。黒猫はそんな部下の考えなんて最初から分かりきっていたからあっさりとゴーサインを出した。この際命さえその好きの範疇だ。すると、相手はこれでもないくらいに震えるのだから、思わず呆れてしまう。それなら最初から何もしなきゃよかったのに。と考えた、これは二度目だ。
 次の瞬間、響いたのは銃声だった。あっという間に部下の手によって、壁際まで追い詰められる男達。間もなく迎えるであろう彼らの呆気ない人生の終わり方に、相変わらず黒猫は表情を崩さないでいる。
 別に彼らが霧を名乗って勝手なことをしたのが許せなくて直接出向いたわけではなかった。彼の地雷は、薬物の売買に手を染めた挙句それに関係があるようにされたこと。一見変わりないように思えるけれど、もしこれが喧嘩沙汰くらいで済むものなら、下に任せて忘れた頃合いだったはずだ。しかし今回は違う。命くらいは助けてやりたかったと思う心は、あの日院を襲ってきた奴らを肯定することになってしまうから、とうに捨て去っている。
 そうしてその目で彼らの最期を見て、やっぱり呆気なかったと感想を抱くはずの瞬間。
 なにか、ものをぶつけたような、大きな音がした。
 今まで薬商人を向いていた部下の銃口が、反射的に音のした方面へ向けられる。
「行け!」
 その衝撃音の正体は入り口の扉を勢いよく開けたことによるものだったらしい。突然入り口の扉から人が入ってくる。
 その姿を目視して、黒猫は珍しく驚きの感情を表に出した。尤も、そんな貴重な姿は出来事のインパクトのほうが大きかったものだから、誰にも気付かれていないのだけれど。
(⁉)
 なぜここに東卍が? 心臓が確かに跳ねた。彼らがこの件に関係しているなんて情報は東卍に漏れていないと思っていたのに。だから黒猫自らここへ訪ねてきたというのに。少なくとも今は、彼らの前に姿を現すなんて予定はなかった。
 けれど勢いをつけて入ってきた男達は東卍の兵隊で間違いない。
 彼らがここへ来ているという事は、黒猫にとって最悪のシナリオさえ想定できる状況。柄にもなく、嫌な予感が当たりませんようにと願ったのだけれど。
(……頼む、ここに来ないで)
 黒猫の願いも虚しく、現実は最悪の台本をもとに展開するらしい。
「おー、おー、一人も逃がすなよ」
 その最後に入ってきた人物を、捉えた。彼らに指示を出す、隊長格の男と目が合ってしまった。
 艶やかな長髪に、意思の強そうなアーモンド色の瞳。その切れ長の目が、丸くなる瞬間さえ目が離せない。
 両者の間に、緊張の糸が走る。
「……オマエ……千冬、どうして」
 今の千冬は、黒猫だ。全てに夜の色を持っているというのに、それなのに隊長、場地圭介は、黒猫の存在を簡単に言い当ててしまった。その見た目が彼の知っている千冬の明るい髪色でなくても、一切の時間差を付けずに。
 形の良い薄い唇から、茫然とした言葉が滑り落ちる。
「な、なんでオマエこんなところに……」
「黒猫、下がってください、ここは」
「……黒、猫」
 部下が黒猫を制して前に立ち塞がる。彼は黒猫と場地の繋がりや関係性を何も知らない。純粋に、所属している組織の幹部が東卍の手に落ちることを危惧しているのだろう。
 さて場地はその呼び名を聞き、そのまま一度、千冬と口の中で転がすように呟いた。唖然として、どこか心あらずの様子で。けれど最初の驚きは徐々に抜けていって、入れ替わるように怒りの表情を向けてきたのだった。鋭い視線に射抜かれて、それだけで思わずたじろぎそうになるところを耐える。
 黒猫の耳に飛び込んできたのは、ドスを利かせたような怒鳴り声。
「オイ、千冬、テメーどーゆーこった!」
「どーもこーも、ありませんよ。仕事してるだけっス」
 こうなったらもう、正体を隠し通すことに関しては諦めるしかない。あの日、朝を迎えることなく彼の腕からすり抜けた時点で千冬にとって場地との未来は願ってはいけないものになっているのだから。
 これは仕事だと言い放った瞬間の場地の表情を黒猫はきっと忘れることができないだろう。正体も職業をも偽っていたのだから当然だ。生き物に関わる仕事をしていると、そう信じていたはずなのだから。彼の今の心情を言葉で現すなら絶望と、困惑と、それを上回る怒り。それは当然顔にも表れていた。全てを混ぜ合わせたかのような、そんな表情。
 今や睨み合う黒猫と場地の視線は、まるで切れそうなくらいにぴんと張りつめていた。
「黒猫。裏から出れます」
 今ここで東卍の手に落ちるわけにいかない。緊張感を保ちながらもここからどうしようかと内心で考えていた黒猫のもとに、吉報が入る。その耳打ちを聞いて、今の今まで張っていたその気をふと緩めて、その場を立ち去ろうとした。
 しかしそれを簡単に許すわけがないのが、場地だ。
 瞬時に黒猫がこの場から立ち去ろうとしていることに気づいたのだろう。再び鋭い視線が向けられた。
「オイ、逃がさねえぞ……!」
 今度こそ怯まずに、黒猫は言い放つ。
「……この前は逃げられといて、笑わせないでくださいよ」
「……は……? テメー、何言って……」
「寝た相手に朝逃げられといて、何言ってんだよって話っスけど」
「殺すぞ」
 最初は何を言われているのかわからなかったのだろう。一体目の前の相手が何を言っているのかと訝し気な様子を見せた場地だったが、徐々にその意図が掴めたらしい。向けられたのは本気の殺意だった。
 わざと最低な事を言っている自覚があった。
 それでも。
(……痛ェ)
 心が、痛い。
 彼を傷つけたという事実が、刃物で切り付けられたような激痛を黒猫へ与える。
 けれど、ここで終わらせるわけにはいかない。痛みに怯んでいるわけにはいかないのだ。だからこそ千冬は、黒猫は平気な顔をして演技を続ける。
 少年から青年になっていく大切な過程の時間を、全てこれから起こすことのために捧げてきた。ここで終わるわけにはいかないから。今が佳境。ここが正念場。
 目的を達成するために、心が痛むことなんてどうってことないだろう。
 声に嘲りを混ぜて言い放つ。
「オレ、なかなか可愛かったでしょ。場地さん場地さんって。すげえ大変だったんスけど、昔の千冬そのままだったでしょ?」
「……うるせえ」
「言い返せないってことは、図星ってことっスね」
「殺す……!」
「場地さんでもたまにはできないこと言うんスね。オレはやれませんよ」
 呆れた、そんなニュアンスを込めて告げた黒猫は、着ている背広のポケットに手を突っ込むと何かを取り出した。場地がはっとした様子になる。
 そしてそれを見せつけるように放り投げると、辺りは瞬時に煙で覆われた。
「なッ……!」
「それじゃ、さよなら。場地さん」
 護身用に催涙弾を持っていて良かったと思う。黒猫は慣れた様子で煙を上手く避けて、部下と共にその場を立ち去るのだった。
「……やり損ねて、すいませんでした」
「東卍にバレてたんだ、仕方ねえよ」
 逃げ去ることに成功した先で震えるように告げられた謝罪を黒猫は軽くいなすと、遠くを見つめた。部下はもう一度黒猫に深く頭を下げると、その場を後にする。きっと、今のうちに立ち去っておかないと気分が変わって焼きを入れられるかもしれないとでも思ったのだろう。
 残念ながら売人達を始末し損ねたという事は、かの組織が霧とは無関係の集団であることが知れるのも時間の問題だろう。困ることこそあまりないはずだけれど、しばらくは情報で錯乱させることが難しくなる。霧本体よりも末端組織の方に意識を向けていてもらえれば、それだけ時間稼ぎができると考えていたのだけれど。
(作戦を早める必要があるってことか……)
 今日で、黒猫が東卍の情報を握っていることが知られてしまった。場地は絶対に千冬とのことを全て東卍に報告するだろう。そうなると彼らはきっと早いうちに何か行動に出るはずだ。
 黒猫は、そっと瞳を閉じた。
 本気で好きだった。ずっと愛していた。それでも、彼のために千冬は彼と共に居てはいけないのだとそう思ったから。
「抱かれた時の方が、痛いって思ったはずだったんだけどな」
 自嘲気味に、そう思う。
 心は満たされたから彼には気持ち良かったと答えたのだけれど。当然受け入れるために作られていない身体には多少なりとも無理がある行為だった。肉体的な快楽には程遠かったけれど、それでも彼の腕の中にいられた時間は幸せだと、そう思っていたから。慣れていない身体が悲鳴を上げ、感じた痛みさえ享受できたというのに。
 あの時感じた痛みよりも何倍、心の方が痛むとこんなに辛いなんて。
「……場地さん、すいません」
 それでも好きだという気持ちを、捨てることができない。彼は心底千冬を嫌いになっただろうに、あんなことをして、あんなことを言ってそれでも場地を想う気持ちは失うことができない。そんな自身の感情をあさましいと思いながら、それでも今だけは自分自身のために涙を流すことを許されたかった。
「ばじ、さん」
 だって彼のためなら人生を捧げられるくらいに、本気で恋をしていた。

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