黒猫は今宵壱等星の夢を見る⑲

【十九章】


 ピリピリとした緊張感がこの場の主役になっている。
 仕事上、そして幹部という立場上、気を抜くことができない話題が飛び込んでくるのが常であるから、今回もまた当然の状況ではあるのだけれど。
 場地は、頭を下げ敬意を払う仕草を見せた部下を制止して、さっそく質問を投げつける。
「それで、黒猫は?」
「はい、霧が関係してることは間違いないですが、黒猫の目撃情報等はありません。多分、所属してるやつらの仕業かと」
「……こういう時は出てこねえのか、マジでクソ野郎だな」
 昔から胸騒ぎがしたときに的中することが多かった。
 所属や環境上綺麗ごとばかりでは済まされない出来事を多く経験してきたからだろうか。それとも、また会えると思っていた相手があっさりと遠くへ行ってしまった事がトラウマになってしまったからだろうか。きっと、どちらとも正解だ。
 その日の場地は一日非番の予定だった。つい最近漸く結ばれることができた長年の片思い相手と、付き合ってから二度目の逢瀬の日。何日も、この日を心待ちにしてきた。
 けれど朝一で愛用している髪ゴムが切れた時から、なんとなく例の胸騒ぎはしていたのだ。 
 そして今、予感は的中しつつある。彼との時間が奪われようとしていることに場地は焦っていた。
(最近動きねえと思ったら、ンでこんな時に⁉)
 話は、数刻前に遡る。
 今日の場地と千冬の予定は、サーカスを見に行くことだった。偶然耳にした情報で動物が中心になっている演目が近くに来ることを知ったのだ。丁度二人の都合が合った一日。動物に関わる仕事をしている恋人もきっと好きだろうし、喜んでくれるだろうと思って入場券まで用意していたのに。当日出かける直前で、貴重な休暇が臨時対応に変わることを察してしまった。
 身支度を整えて、今から向かえば余裕を持って待ち合わせ場所に付くだろう時間帯。しかし東卍の宿舎から出ようとしたその瞬間に、上席にもあたる男が場地の方へ近寄って来たのだ。
声を掛けてきたのは堅だった。
「場地、出ようとしてるところすまねえ。……例の、ヤクの件なんだけど今いいか」
「……なにがあった?」
「マイキーんとこに情報が入った。前名前が挙がって弐番隊が追ってた売人、殺されてることが判明したんだと」
「んだよそれ⁉ めちゃくちゃ悪い話じゃねえか」
「ああ」
 それは、今朝入ったばかりの情報。黒猫に繋がりがあると見られていた一派が何者かによって殲滅されていることが発覚したのだ。どう考えたって、霧がその先を追われないようにと、対象を抹殺したとしか考えられない状況だという。霧が関わっているのは明白なのに、またしても証拠が挙がらない。まさかこんな方法に出ると思っていなかったのが、正直なところ。ここまで容赦ない手段で足取りを消されるとは。
「非番のところ悪ぃ。最後に取引が行われたらしい場所に、三ツ谷んところの隊を出したんだが……応援に行けねえか」
 本当は断りたかった。だって今日は、付き合い始めたばかりの彼と会う約束をしていたのだから。それでも、今何よりも優先しなければならないのはこの件に関してだ。しかもこの先にいるのは場地にとっての因縁相手。一虎を昏睡状態にし、今尚悪事を働き続けているかの組織へ一歩でも近づくことができるのだとしたら。一度でもそのタイミングを逃してしまったら、この先どんな不幸が彼らによって齎されるかわからないのだ。壱番隊はこれまで霧に対して最前線で動いてきた。ここで行かない理由の方が見当たらない。
 各隊を動かすためには、隊長か代理となる副隊長が居なければならない。それが東卍のルールだ。隊長補佐の一虎が不在の今、壱番隊の指揮命令権を持っているのは場地以外に存在しない。
 このような組織に所属している限り、何よりも優先すべきは任務なのだから。
 この際私情は二の次だ。
 現場へ向おうと覚悟を決めた場地の元へやってきたのが先の部下だった。黒猫について尋ねると淀みなく答えてくれたのはいいが、あくまで黒猫についての情報はありませんという事が分かっただけ。進まない状況に頭を抱えたくなるのは仕方ないことだろう。
(千冬、ごめんな)
 待ち合わせ場所は目的地と真逆にある。本当は自ら行って予定を保護にしてしまう事を謝らなければいけないけれど、その時間はないだろう。
「オマエ、一つ頼まれてくれねえか」
 一番取りたくない選択肢を使うことにした場地は、痛む心を抑えて今度こそ現場に向かうのだった。



 同日の夕刻。
「……一緒に行けなくて、すまねえ」
「そんな、謝らないでくださいよ。確かに東卍の方から急に話しかけられた時は驚きましたけど……! お言葉に甘えて一人で行ってきましたから! 楽しかったですよ!」
 九十度に腰を曲げ勢いよく謝罪する場地の頭上から焦った声が聞こえる。
 待ち合わせをしている人がいる、指定する場所へ行ってこの入場券を渡してこいと指示した通りに部下は動いてくれたようだと知り、ほっとする。職権乱用と言われても仕方ないが、あのまま場地が何もしなかったら千冬は永遠に来ない人を待ち続けることになっていたのだから。
 それでもせっかくの一日を無駄にさせてしまった事に変わりはなかった。
 本人の希望もあるとはいえ、彼と再会してから会うときはいつも王都なのだ。移動にだって時間が掛かるだろうに、そんな千冬を自身の都合で半日以上一人にさせてしまったのだから、いくら場地でも自己嫌悪くらいは抱くというものだ。
 下げた頭を上げてくださいと三回くらいお願いされて、場地はようやく言われた通りにした。
「最近、事件続きで大変だって言ってたじゃないっスか、気にしないでください」
「……本当に、ごめんな」
「……悪いのは場地さんじゃなくて、そいつの方なんスから」
 あまりにも物分かりの良すぎる千冬に、本当は土下座でもして謝りたい気持ちだった。それでも、再び口にしそうになったその謝罪をぐっと抑える、ただでさえ無理矢理張り付けたような笑顔を向けてくる彼をこれ以上悲しませたくなかったのだ。
「……」
「それに、ちゃんと来てくれたじゃないっスか! それだけで充分っスよ」
 あまりにも眩しい笑顔に、申し訳ないと思いながらも場地は救われた気持ちになる。
 結果的に彼との予定を直前で変更したにも関わらず、黒猫に関してその先を知れることは何もなかった。最後に取引が行われたらしいその場は荒れた現場だったというのに、不自然なくらい証拠だけが綺麗に隠滅されていた。ますます膨れ上がる霧と黒猫への負の感情を抱えたまま、それでも半日遅れで恋人に会うことができたのだから複雑な心境極まりない。
 そんな訳で彼に対して何も言えずにいると、心配そうに見つめてくる瞳と目があった。
「……場地さん? もし疲れてるなら、また今度にしますか……? オレホントに気にしてないっスよ」
「イヤ、ちょっと考え事してただけ。疲れてねえよ」
 つい思考の下に沈んで彼へ心配までかけさせてしまった。千冬には笑っていてほしいのに。それが今の場地にとって一番安心かつ幸せを感じられることなのに。
 黒猫なんかに、惑わされてる訳にはいかないのだ。
 そう思って、よし、と気合を入れ直す。
「今日も飯食いに行くだけになっちまいそうだけど、それでもいいか?」
「え……っと」
 切り替えようと思ってそう尋ねた場地だったけれど、それまで明るい態度を崩さなかった千冬が何故か急に歯切れを悪くした。目が泳いで、言う事に悩んでいる様子。
(散々待たせてこりゃないわな)
 自覚はしているからこそ思わず自嘲気味に内心で吐き出してしまったのだけれど、彼には時間を掛けるだけの理由があったのだ。
「場地さん!」
「なんだ?」
「その、えっと」
 相変わらず、何かを言おうとして肝心のその先へ進まない様子。焦らせるつもりはないけれど、よほど言いにくそうな間に、ついマイナスなことを告げられるのではないだろうかと身構えてしまったのだけれど。
 次の瞬間彼の口から飛び出したその申し出を脳内で理解するのに、数秒の時間が掛かった。
「……は……?」
「いや、その、場地さん、今日は忙しかったみたいですし、オレ、場地さんに無理してほしくなくて」
 場地は彼の桃色に色づいた唇が、どこか休憩できるところに行きませんか? と柔らかく紡いだのを現実離れした気持ちで見ていた。



 どうやら今日の予定に合わせて前々から宿を取っていたらしい。
 本当は今日出かけた後に一人で一泊して、明日の朝一で帰るつもりだったのだろう。その宿泊先へ、急遽の人数変更を告げていたというのだ。理由はただ一つ。二人でゆっくり時間を共にするために他ならない。きっと純粋に、精神的にも疲労している場地のことを気遣ってくれたに違いない。いずれにしても東卍幹部として普段は宿舎で暮らす場地と少しでも長くいられるようにと考えてくれたに違いなかった。
 部屋へ着くなり日中場地を待つ間に買い込んでくれていたらしい食事でもてなして貰って、あまりにできた恋人だと感動を覚えたものだ。千冬はまだ酒を買うことはできないから、飲み物が味気なくてごめんなさいとまで言わせてしまって、場地の方が申し訳ないと思うくらいだった。あまりにも健気すぎる恋人に対して一瞬でもやましいことを想像してしまった自分に喝を入れたところだ。
 それでもその心の奥で、少しでもいいからその先を求めていてほしいと欲を覗かせた場地は、ここまで気遣ってくれた彼を甘やかしに甘やかした。
 その結果として恋人達は最後の一線を越えることに成功をしたのだった。
「……ん、あれ、オレ……」
「ちふゆ。目ェ覚めた? ムリさせちまって、ごめんな?」
 初めての行為が終わって早々に意識を飛ばしてしまった彼の身を清め、再び布団へ横たえてあげたところで意識が戻ったらしい。
 場地の腕の中で薄く目を開けた千冬は、最初状況が思い出せなかったのか不思議そうな様子だった。けれど場地の顔を見つめている間に徐々に何があったのかを思い出したのだろう。次第に真っ赤になっていくのがまた愛らしくて。逸らされた視線を追うように顔を近づけて、そっと唇を重ねた。
 リップ音を立てて唇を離すと、彼はうっとりとした視線を場地に向けている。
そしてそのまま桃色に染められた頬を優しく撫でてあげた。白い頬が色づく様子が、まるで桃のようだと思ったのだった。
「ばじ、さん……」
「身体、痛くねェ?」
「……はい……」
「すっげえ気持ちよかった。……千冬は?」
「へ⁉︎ ……その、」
 問いかけに対してあからさまに視線が泳ぐ彼のことが愛しくて仕方ない。
 今にも消え入りそうな声量で告げられた回答は、場地だけが知っていれば充分だろう。
「眠い?」
「えと、……ハイ」
「やっぱムリさせちまったよな」
「そんなこと、いや、えぇっと……」
 未だに目が揺れている千冬を見て、場地は髪を梳いてやりながら落ち着かせてあげる。まっさらで華奢な身体はこれまで当然のように男を知らなかったわけで、気丈に振舞いながらもそれなりの負担があったのは間違いなかった。行為中、快楽以外の理由で何度も涙を流していたのに止めてあげられなかったのは、場地が愛しさに耐えられなかったからに他ならないのだから。
 今度は普段前髪で隠されている額を探り当てて、口付けを落とす。
「ハハ、オレ、千冬とこーなれて幸せだワ。ありがとうな。……おやすみ、千冬」
「オレもです。……おやすみなさい、場地さん」
 そうして最後にもう一度その唇へ吸い付くように甘い口付けを交わし合って眠りに付くことにする。腕の中のぬくもりが、ひたすらに愛おしい。
 しかし翌朝目覚めたその時、場地の腕の中に千冬はいなかった。

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