黒猫は今宵壱等星の夢を見る⑭

【十四章】


「ソッチ、情報どうなってる!」
「なんか目撃情報ないのか!」
 その日の東卍は大荒れだった。
 館内を駆けまわる隊員達の忙しない足音が響き渡る。本部となっている大広間に、次々飛び込んでくる情報と報告。誤報と確報が入り乱れて、集められていくそれらを正確に判断していくのさえ、難しい状況がそこにはあった。
 話は数刻前に遡る。
 それは一本の連絡が始まりだった。
 王宮から、至急対応せよの連絡が飛んできたのだ。
「エマが連れ攫われた」
 手に握られた一枚の紙を見ながら、万次郎が堅い声で言ったのだ。
 丁度幹部が揃う席での話だったのが不幸中の幸いだったのかもしれないとさえ思ってしまうくらい、急を要する異常事態がその口から伝えられたのだ。緊張感が一気に高まったのは言うまでもない。
 真っ先に反応したのは、副代表堅。
「は? どういうことだよ?」
「ケンチン、説明は後だ。とにかくオレ達が今やんなきゃいけないのはエマを探し出して、絶対に助ける事だからな」
 王宮からそれなりに離れた町へ、数人の護衛と共に視察へ出た第一王女エマの一行が謎の人物達に襲われたのはその日の昼過ぎだったという。彼女を乗せた馬車が数人の男に囲まれたのちに、行方が知れなくなったのだという。
 真一郎から特急の伝書鳩を受け取った万次郎が、幹部を収集しそう告げた。どういうことだと、一同は混乱をする。犯人の目的も、彼女の無事も何もわかっていない東卍内部は緊張感に包まれていた。非常事態はこれまでも経験してきたが、これは訳が違うのだから。
 日没まではまだ猶予があるものの、間もなく夕刻に入りかける時間に飛び込んできたその情報に、幹部全員の表情が曇る。
 本来王女に関わることであれば国軍や警察の出番だろうけれど、東卍に連絡が入ったのには理由があった。
「……真一郎によると、霧の犯行である可能性が高いってことだ」
「クソ! また霧かよ!」
「正確な情報はまだ上がってないけど、かろうじて逃げてきた世話役がそう言ったらしい」
 万次郎の手から飛ばされてきた速達を取り、三ツ谷が書かれている情報を読み上げる。いずれにしてもまだ、何もわかっていない状況に変わりはなかった。
 三ツ谷が話しているのを耳にしながら、万次郎は場地の方へ振り向く。
 彼の色素の薄い髪がさらりと揺れる。
「……場地、出れるか?」
「ああ」
 深呼吸を一度して、総代表からの伺いに短く肯定を返す。
 怒りに震えそうになりながらもなんとか冷静でいなければと、場地はそう考える。今この時、誰よりも彼女の捜索へ向かいたいであろう万次郎と堅のためにも、場地に任されることは果たさなければならないと考えた。
 エマは、佐野兄弟の末っ子。万次郎にとっては腹違いの妹だった。いろんな事情があって表向きをマイキーという名で通している彼の少し耳慣れない呼び名の由来は、異国の響きの名を持つ最愛の妹が大きく影響している。
 そして、今にこの場を飛び出したいだろうに必死でこらえているのがもう一人。
 ここにいるメンバーは、堅とエマがそれぞれ想いを寄せ合っている者同士であることを知っていた。立場やいろいろな環境で進展が難しい中、心を寄せ合っているのを見守ってきたというのに。一体どうしてこんなことになってしまったのだろう。
 それでも今は、感情的に動いている場合ではなかった。こういう時こそ、状況を見極めて慎重に動かなければならない。それが、東卍構成員のすべきことなのだから。
「それで、相手の要求は」
「王女の身柄を返す代わりに、金銭を要求されてる」
「……それ、本当に霧の仕業なのか?」 
「オレだって疑ってるところだ。でも今はあいつらが自称する情報しかないから仕方ない。嘘でもあったほうがマシな状況だろ」
 堅がおかしいと思うのも無理はないだろう。もし仮にこれが本当に霧の犯行だとしたら、何故王女を拉致してその解放条件に金銭を要求してくるというのだろうか。
 東卍は、ずっと西領を疑い続けている。西領が本当に謀反と企てているとして、それに霧が協力しているとして。いくら何でも今の段階で起こしている行動の目的と要求があべこべすぎやしないかと。普段頭脳派としては機能しない場地にだって、その理屈くらいは分かったのだから。
 そうしている間にも、情報は続々と上がってくるのだった。
「総代表! ある程度の場所が割れました!」
「こっちで確認する! 持ってきてくれ!」
「総代表! 陛下から新たな伝書が飛んできました!」
「それも纏めて持ってきてくれると助かる!」
 頭を悩ましている間にも、優秀な部下達が次々と情報を持ち寄ってくる。それに伴って状況は刻一刻と変化していく。先ほど最新で飛んできた連絡は、王女救出に当たり国がその額を出すという、許可であったようだ。
 尤も、一番欲しい情報が未だにクリアにならない点だけがもどかしいのだけれど。
「犯行グループが霧であるかは未だに確証がないが……。王女が向かった街の外れ、ここを取引現場として、金の要求をされてるってことだな」
 そうして纏まった情報を場地は頭に叩き込んだ。これから壱番隊で犯人グループの要望通りの場所へ、お望み通りの金銭を受け渡しに行くのだ。
「場地、エマを頼む」
 馬へ跨った場地にそう告げたのは、万次郎ではなく堅だった。本当は彼がこの任務に当たりたいだろうに。副代表である堅は、ここで総代表の補佐をしなければならない。万次郎は堅が望むのであればこの任務への参加を許可してくれただろう。しかし堅がそれを口にしないのは、同じ状況に置かれている実の兄を想っての事。
 それがわかるからこそ尚更、この作戦への責務を感じる。
 場地は、その想いをしっかり受け取り、答えた。
「ああ。……オマエら! 行くぞ! 気合い入れやがれ!」
 場地は馬へ跨りながらバランスを取って器用に長い髪を結い、隊員に号令をかける。すると、隊員からはウス! と地面を響かせるような返事が返ってきた。
 先陣を切って駆け出した隊長に続き、壱番隊は任務へ向かって行くのだった。



「……オレらの名前語ってめんどくせえことした奴がいるらしい」
「オレのところにも情報入ってきてます。西領に戻ってきてる時で良かった」
「なら話は早いな」
 霧を語った正体不明の一派が王女の視察団を襲ったという情報が黒猫に入ったのは、数時間程前の話だった。膨大な額の金銭を、王女の身柄を返す代わりに要求しているというもの。霧には各地に派遣している情報隊があって、その一つから急報告が飛んできたのだ。
 連絡が入ってきたその時、丁度組織の要となる施設内で別件に当たっていた黒猫は、部下にその場を任せるとボスの元へと急いだ。どちらにしたって税金滞納者から巻き上げるくらいの仕事であれば黒猫でなくてもできるのだから問題ないだろう。
 そしてボスから聞かされたのが、先程の話。どう考えても、霧はそんな事件をわざわざ起こすような組織ではなかった。それにも関わらず、知名度だけで霧を語ってつまらない犯罪をしでかした犯行グループに頭を抱えたくなるのは致し方ないだろう。 
 彼らの目的がなんであるかは正直わからないけれど、霧は今少しでも国家に派手な様子や誤解を招く状況を見せたくないのだ。
 大事な時期だというのに、なぜ次々とこんな事件が発生するのだろうか。何のために、面倒事を承知で不法入国者を霧の構成員で捕らえたと思っている。
 せっかく組み立てたシナリオが台無しだ、という気分になってくる。
「末端のやつらの仕業っていうのも捨てきれねえな」
「そんなことしたって評価できねえってのに、暇っスね」
 とにかく真犯人達が何の理由で、捕まれば極刑の可能性もある犯行に及んだのかは謎だが、早いところこの件が霧幹部側としては勝手に名を使われただけの不本意な物であり、想定外であることを証明しなければならなかった。
「ああ、でも黒猫」
「なんスか」
「正直向こうに借りを作ったっていうのは思われたくねえな」
 これだけは、とボスは言う。確かに、東卍に変わって霧が王女を助けたとしても、ここで感謝なんてされたらこれまでの計画が台無しだ。
 ボスとしては、王女の救出なんて正直どうでも良いのだろう。あくまで濡れ衣を着せられているこの状況をどうにかしろという話。
「お前の下で、誰か動かせる奴はいるか? 一番の適任はお前かもしれないが。お前は正直顔が知れすぎてる」
 当然今東卍は王女を血眼で探していることだろう。
 霧の目的は勝手に名を使った人物または組織の報復ではあるが、彼女を探している東卍とうっかり出くわすなんてことがあったら、何が起こるかわからない。それならせめて部下であれば素性は知れていないだろうという意見だった。
「わかりました。オレらの名前勝手に使ったってことで、下が報復に出たってシナリオにしますよ」
 表向きの返答をした黒猫だったけれど、結果的には自身が黒猫であることがバレなければいいだけの話。
動き方を脳内でシミュレーションして、これであれば問題ないであろうという計画を立てる。どうせ最後は手柄が立つか否かなのだ。お小言は帰ってから聞くことにしようと思う。
「あともう一つ、別件がある。お前、東卍を探れるか?」
「へえ、興味持ったんスか?」
「さすがに嗅ぎまわられてるようだからな。対策は早いうちに打っておいた方がいいだろう」
 周囲が勝手に動いてくれたおかげで、東卍とも因縁が生まれている。
「それで? 何をすればいいんスか?」
「すでに分かってるような顔で聞くんじゃねえ」
「ハハ、すいません。先にあっちを壊滅させて、そっから西領軍を動かすってことっスね」
「ああ。あくまで霧は東卍を標的にしてたって筋立てにしたい。……その方が西軍を動かしやすいからな」
「……例の件、許可は下りそうなんスか」
「正直、まだ見えねえ」
 今霧が求めていること、それは西軍を動かす許可を領主から得ることだ。少しずつ西軍の中に、霧で優秀な実力を持っている構成員を送り込んでいる。そうして西軍と霧が切っても切り離せない関係性であることを証明し、実権を握るのが彼の計画だった。
 西領軍に対して国軍の数は三倍近い。当然のことながら万の規模を有している兵団だ。西領主の命を介した指示では、いざという時に指示が下りきらず確実に負けることは目に見えていた。
 少しずつじわじわと、領主にとって要となる軍の実権を狙っていく。
「そのための時間稼ぎがしたいってことですね」
「さすがに軍の実権に関しては、重要性が分かってるらしいからな。のらりくらりだ」
「そんなところだと思ってました。でも否定的ではなさそうっスね」
「慎重なのは、上よりも間、だからな」
 領主よりも、その直属に付いている者達の方が、まだ軍についての重要性という現実が見えているということだろう。このことに関しては、ボスに任せるのが一番と判断し、黒猫は東卍の話を続けることにした。
 今すぐ霧で奇襲をかけることは容易い。東卍本筋の規模は軍隊に比べたら足元にも及ばない。もちろんそこから枝分かれしたいくつもの組織が後ろに控えているとしても。それでも厄介なのは、東卍の幹部クラスはたった一人で数百の数を相手できる実力者で溢れていることだ。これが霧にとって東卍を警戒すべきところだから、この内情を知りたいと思うのは当然のことだろう。
「……オレが中を探りながら、少しずつ圧力をかけておく、これでいいっスか」
「方法は好きにしろ。オレが欲しいのは」
「結果」
 言われる前に、彼の求める答えを返す。番犬は満足そうに頷いた。
「頼んだ」
「ウス。時間はかかると思いますよ。暫く東京いるんで、何かあったら黒蛇に任せてもらっていいスか」
「ああ。オマエからも伝えておいてくれ」
 東卍の内部を探るのであれば、そう簡単に西領へ戻って来れなくなる。何よりも、自身が黒猫であることがバレないように、その準備をしなければならないのだ。
 ボスの執務室を出た黒猫は、その扉の外で一度深く息を吐いた。
(……東京に)
 表情を動かした記憶はないし、顔に出ないようにと自身を律していたけれど。東卍を探れと言われたときに、うっかり喜びの感情が出てしまっていなかったかだけが気がかりだ。
 行き先、王都東京。黒猫が、千冬が焦がれた人のいるその街を想って、そっと瞳を閉じた。

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