黒猫は今宵壱等星の夢を見る⑫

【十二章】


「また派手にやったんだって?」
「ハハ、もう聞いたんスか」
「黒猫、オマエ最近下からなんて呼ばれてるか知ってるか?」
「黒い悪魔でしたっけ? 知ってますよ」
「オレが聞いたには不幸を呼ぶ猫だったけどな」
「まんまじゃねえスか。それは初めて聞いたっスけど何でもいいっスよ。あいつらがオレの名前勝手に使ったんで、焼き入れてやっただけなんで」
 東卍が霧を探ろうとしている、という情報が入ってきたのは昨日の話だった。 
 まだ懲りないかと思いつつ部下に調べさせると、浮かび上がってきたのは霧幹部黒猫に薬物買収の疑いありという事。不穏すぎる内容に、黒猫の脳内で警戒音が鳴った。何やら、霧が疑われるようなことがあったらしいけれど、全く思いあたることがない。そんなわけで早速原因と犯人を突き止めたところ浮かび上がってきた事実に大きくため息を吐いて、ろくでもないことをしてくれたその先へ「ちゃんとわからせるように」の指示を出してきたのだ。
 霧は確かに犯罪組織じみた一面がある。ゴロツキがそのまま集団として形になっていると言われても否定できない部分が。けれど、ボスの命令によって一応薬物と人身売買にだけは手を出していないのだ。
 そもそもボスたる黒猫の上司にとっての最終目的は、霧という組織を西領の直属に据える事。どこに薬物と人身売買に手を染めている公組織がある、という話だ。暴力沙汰とギャンブル類に関してであればまだグレーゾーンとして言い逃れできる部分もあるが、こればっかりはルートを調べられた瞬間に芋づる式で他の罪状と結びつくリスクが高いというのが彼の考え。だから黒猫はそれに従うまでだ。
だというのにそれを破った大馬鹿者がいて、しかも霧と黒猫の名を語ったものだから頭を抱えるのは当然だろう。
 部下からの正式な報告はまだだが、薬物取引の後ろに霧の黒猫がいるとはったりを利かせたことで取引が成立したとかなんとか、そんな話が出てくるに違いない。想像に容易いから全く、呆れて言葉も出ない。尋問してその内容を吐いた段階で始末するようにと、ついでに同じことをする奴が出ないように見せしめもするようにと命じたものだから、状況をなんとなく知ったところから先のように言われているのだろう。
まあ、黒猫からしたら下には恐れられていたほうが断然やりやすいので、問題ないのだけれど。
「……あと少しです」
「アン?」
「もうすぐ五年、少しずつ進めてきたのがようやく形になるんです。今邪魔されるわけにはいかねえ」
 不法入国者を捕まえ、それを理由にして西領と霧が繋がるのであれば東卍だって何も言えないだろうと入れ知恵して、その通りに上手く事が進んでいる最中だったのに、と黒猫はわざと悔しがって見せた。 
 その様子を見て、ボスは笑う。
「ハハ、オレの右腕は優秀だな」
「来週には、霧の一部を西領が親衛隊として認める予定になっていたでしょう」
「ああ。シナリオはうまく進んでる」
 西領主を唆している真の黒幕は、彼だ。
 自分達にとって真の飼い主が謀反を企てようとしていることは良く知っていた。何でも一番でないと気が済まない性格である西領主。彼がいずれ兵を使い国王の一族へ戦を仕掛けようとしていることを知って、力を貸すと声を掛けたのが番犬だったのだ。
 西領主は決してぼんくらなわけでない。一応、そこは国の一領を任されている人物なわけなので。けれど、目指す理想への計画があまりにも粗雑すぎる人間だった。謀反を起こすとして西領の兵と国軍の規模を考える必要があるというのに、それすら理解できていないような男だったのだ。つまるところ、周囲のサポートなしに物事を成しえないのがこの領の頭だという事。きっと、彼の野心だけではここまで計画はうまく進んでこなかったはずだ。
 ボスは、この夢見がちな西領主に少しずつ入れ知恵をして信頼を勝ち取ってきた男だ。
「あと少しで、ボスが取るんスよ」
「ああ」
「正直あのハゲの言いなりになってんの、ムカつきますけど」
「相変わらずオマエはあいつのこと嫌いな」
「オレが忠誠誓うのはテメエより強い人間だけなんで。あんな金持ってるだけのジジイ、尊敬するにも値しませんって」
「間違ってもソレ、あの人に言うなよ」
「当然っス」
 ボスの評判落としたいわけじゃないんで、とも付け加えておく。
 彼が目指すものは、謀反のさらに先にある。ボスは西領主が座る玉座を、狙っている。彼はどこまでも緻密な男なのだ。力と計算、その両方を持ち合わせている人物。どうしたら上に気に入られるかを見極め、その通りに動いてきたのだ。結果的に西領主は番犬を一つも疑っていない。自身の良いコマとして、置いている。今となっては多くの裁量を持たされているほどに。
 部下と会うときはこの執務室にいることが多いから、ボスが座っている姿しか見たことのない構成員が圧倒的だろう。ただ座って指示を出しているだけだと思う人間がいたっておかしくない。けれど、本来は目的を果たすために何が必要か常に見極めていて、不要とみなしたものに対しては恐ろしいほどの冷酷さを放つのだ。
 今はその暴力的な役割を、たまたま黒猫が担う事の方が多いというだけ。
 たった一つの誤算を除いて、彼は完璧だ。
「オレ達は、アンタのためだけに動いてます。領主なんて正直知りませんよ。アンタが取りたいってものがあるのを知ってるから、だから動きます」
 黒猫の口は、本音を語ったりしない。
 ボスが西領主からの絶対的な信用を勝ち取ったように、黒猫もまた、同じことをしている。語る嘘が悟られないよう、多大な実績を残して。
 裏切りを起こしている本人が一番裏切りには敏感だ。それがわかっているから、一貫して領主に従いたいわけではないのだと言い続けることでボスから信用されるようにと働いてきた。貴方に従いたいだけなのだと、信じ込ませるために言葉を紡いできた。
 だって黒猫の心は全て、かの人に捧げているのだ。もう十年も一方的に追っている彼へ。今の黒猫がしていることをもし彼に知られることがあったとしたら、真っ直ぐなあの人の事だからきっと許してもらえないだろうけど。
 それでも構わなかった。
 全てを一つ一つ失っていった人生の中で、苦労の連続の中で、いつだって黒猫、千冬へ生きる活力を与えてくれたのが場地圭介だったのだから。



「待たせて悪ぃ」
 黒猫が後ろからそう声を掛けると、相手は声に気づいて振り返った。
「いえ。ジブンも今来たところなんで」
「それで、あいつらなんて言ってた」
「黒猫の名を使えば取引が上手く行くと思ったと」
「……やっぱりな」
「とりあえず、命令通りにバラしておきました」
「助かった。……で? 他に何か用か?」
 彼の名は黒蛇。霧の№3である男だ。黒猫の直下で動く人物だった。
 霧という組織は非常に複雑でわかりにくい。本来霧を組織と呼ぶことすら間違いかもしれない。彼らはここに所属を置いているという意味では、霧の誰であると名乗るけれど、基本的には個々で動くことの方がよほど多いだろう。兵のように指揮命令がはっきりしているわけでもなく、伝達方法に一定の法則があるわけでもない。ただ一つ、ボスの命に従う事だけを絶対的な規則としているくらいだ。ただし、一度加名を宣言した者の脱退は禁忌だし、いざ上からの命令が下ればその命さえ喜んで組織のために使えという環境であることには違いない。底が知れず実態もないと言われるのは当然のことだった。
「……あいつは、貴方の席が欲しかったとも言ってましたよ」
 黒蛇から少々予想以上の話が上がってきて、黒猫は眉を跳ね上げた。
「へえ……ボスの右腕になりたいって?」
「はい」
 それを聞いた黒猫は、可哀想な奴だと言って薄く笑う。目の当たりにした黒蛇は珍しいこともあるものだなと思った。黒蛇の直属に当たるこの上司は、普段驚くほどに感情を外に出したりしない。冗談めかした発言をボスたる番犬へ軽口のように叩く姿は見かけるが、その目が笑っていたことが果たしてあっただろうか。いつだって表面は冷静そのものであるし、内面だって喜怒哀楽をどこかに置いてきてしまっているのかと思うくらいなのだから。
 灰色の地に薄く縦縞の入った細身の背広を一切の隙なく纏う姿はその性格をよく現わしているとさえ思うくらいに。
「ボスもほんと、哀れな人だよな」
 ぽつりと呟いた言葉は、かろうじて黒蛇にだけ聞こえた。聞こえた、というよりは聞かせてきたという方が正しいのかもしれない。
「……黒猫、あまりそういう事は言わないほうがいいんじゃ」
「そうだな、黒蛇がオレを裏切ってボスに密告でもしたら、オレはきっと脳天ぶち抜かれて死ぬんだろうな」
 言葉に重ねてハハ、と器用に笑う。
 このように軽く笑うほうが、彼の本性なのだろうか。
 黒猫は自身について多くを語らないので程々長い付き合いになる黒蛇とて深くは知らないが、波乱の人生を歩んできたという。正確な年齢を聞いたことは正直なかったけれど、相当若いのに妙な貫禄があるのだった。とは言いつつ初めてボスに引き合わされた時は、なぜボスはこんな若者(ガキ)を連れてきたのだと不思議で仕方なかったのだけれど。……正しくは、なぜこんな子どもを、と思った。当時二十代半ばの黒蛇に対して、出会った頃で考えれば彼はまだ十五の歳にもなっていなかったはずだ。
 そんな思考に耽っていると、ふとしたように黒蛇へ疑問が投げかけられた。
「……オマエさ、なんでオレに付いたわけ」
 その目を見て、黒蛇は何も言い返せなかった。彼の碧眼は時々、全てを見透かしているのではないかというくらいに透き通る。
「ボスの右腕取られてさ、オレの事死ぬほど憎んでたくせに」
「……その話はもう時効ですよ」
 かろうじて、それだけ答えた。
「ハハ、それもそっか」
 黒猫が霧に入ったのは、今から五年ほど前のことだったと記憶している。もう少し短いかもしれない。当時はまだ組織が立ち上がったばかりだった。……正直立ち上がったという言葉を使っていいのかもわからない。西領主の野望を知った番犬が彼に取り引きを持ち掛け、そこから始まったのが霧だ。
 表向き、番犬は現西領主の願い通り国家への謀反へ武力的に協力をする代わりに、その野望が叶った暁には自分自身を官僚の中心核に据えろと言っている。霧の目的は、否番犬の目的はそれだから領主に協力をするのだと。実にシンプルでわかりやすい。国王の座を狙っていたにもかかわらずその道筋に困っていた西領主からしたら、何よりも甘い取引だった。ここまで正直に協力の理由を伝えられているものだから、まさか、番犬の最終的な野望はその先にあるなんて思ってもいないのだろう。
 ……腰掛ける予定のその座さえ奪われとしているなんて西領主は夢にも思っていないから、黒猫は彼のことをばかにしているのだけれど。
 そんな霧という組織で黒蛇が黒猫に出会ったのは今から四年以上も前の話。
 当時の黒猫は、実はまだ齢十三だった。

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