黒猫は今宵壱等星の夢を見る⑩

【十章】


 一虎の一件があった後も、東卍は依然として霧を、そして西領を追い続けていた。その日の定例会議の場に着いた隊長達の表情は皆固い。
 最低でも月一度は開催している幹部会では、円卓に合わせて隊長が席に着きそれぞれの副隊長が後ろに控える形で進行を進めて行くのだが、今日は隊長だけの集まりなので全員が席に着けば始まるはずだった。
「アレ、パーは?」
 そんな中、参番隊隊長だけが見当たらない。
「ペーやんに引き留められてた。パーは遅れるって」
 万次郎の問いに答えたのは肆番隊隊長河田ナホヤだった。ここへ向かう途中で丁度すれ違ったのだ。それを聞いた万次郎はひとつ頷いた。
「じゃあ時間ねえし進めるか。各々、なんか情報あるか」
「肆番隊からは特にねえな」
「伍番隊も同様に。強いて言うなら、内部には異常なしだ」
「わかった。まあ伍番隊はこれからも内輪のほうに専念してくれればいいから」
 堅の言葉に、伍番隊隊長武藤泰宏は首を縦に一度。
「弐番隊は? なんかあるか」
「この前、西領の方から不法入国があったって話は耳にした」
「確か霧の構成員が捕まえたってやつか」
「ああ。情報屋経由の情報を黒龍が東卍にも共有してくれた」
「それで? 西領の動きは?」
「今は特にねえけど、この功績を期に霧が西領に何らかの交渉を持ちかける可能性はあるだろうって明司武臣は睨んでるらしい」
 明司武臣とは、真一郎の右腕だ。軍神とも呼ばれる彼は、かつて一度落ちぶれたことがあったが、現在では国でも有数の頭脳派として真一郎の右腕を全うしている。彼の采配によって東卍にとっても良い結果がもたらされた作戦も多々ある。
「あの人の睨んでるところなら間違いなさそうだな……」
「いくら西領が霧を組織として認めてないとはいえ、仮にも領民が上げた功績を表彰しない訳にはいかねえってこったな」
 一聞きしただけなら、何も間違った事のない流れだろう。これまでならず者の集まりという扱いだった集団が、国のために大きな功績を残した。その功績を表彰して、彼らの待遇を改めるのだ。もし真一郎が、そして黒龍が西領を怪しいと睨んでいなかったら。何の疑いもない流れだっただろう。そして話が進んだ後で大ごとになっていたかもしれない。そう考えるとぞっとしてくる。
「これに対して、今の時点では霧からも西領からも、国に対しての要望は上がってない。でも時間の問題だとは思ってる」
「さっさと尻尾掴まなきゃ、あいつらの思うツボってことか」
 領民に何らかの功績をと、西領側から要望が上がる可能性がある。
 それならと、ずっと聞き役に徹していた場地が口を開いた。
「手柄立てたんなら金でもあげとけよ」
「場地には難しいかもしんねえけどいろいろあんだよ」
「オイ、どーゆことだソレ」
「三ツ谷ぁ、めんどいことになるからやめろって」
「ハハ、悪ィ悪ィ」
 会議は踊る、されど進まずという言葉があるが、新しい情報がない今、思わず踊りたくなるのもわかるかもしれない。
「とにかく、向こうの出方を待つしかないってことか」
「ああ。不法入国だったらこれまでだってあった話だろ。いつも通り領軍が何とかすればいいって話を、このタイミングでわざわざ……ってところに嫌な予感を感じる」
 東卍幹部の頭脳派と言えばトップ二人と弐番隊の三ツ谷三名。いずれにしても、霧の出方で今後の動きが決まりそうだと話が纏まりそうになったその時だった。
 バン! と大きな音がして、一人の隊員が会議室に滑り込んできたのだ。あまりの勢いに、開けられた扉は横の壁にまでぶつかる程だ。その音が部屋の中へ響いたのだった。
「大変だ!」
「オイ、パー! ノックくらいしろ!」
「ごめんドラケン、でもヤベエんだ!」
「……どうした?」
「マイキー、黒猫が現れて……」
「黒猫⁉」
 切羽詰まった様子で飛び込んできたのは、この場に不参加だった林田だった。
 黒猫と聞いて、場の空気が凍り付く。まだ全員先日の一件をよく覚えていた。それに、霧に関しては今まさに話題の中心で上がっていたところだったのだから。
「パー、話してくれ」
 すぐに冷静になって彼へ声を掛けたのは万次郎だった。その促しを経て、林田はところどころ行ったり来たりしながら状況を話し始める。
 林田が定例会を不在にしていたのは、参番隊内でおかしな動きがあったからだという。会議前、参番隊員が林田を探しているという事を耳にしていた副隊長が引き留めたのだ。部下の報告は後回しにして、先に会議へ出席することもできたけれど、林田なりにただならない様子を感じたのだという。
「オレバカだけど、先聞いた方がいいって思って」
「いや、助かった」
 東卍は真一郎直属の組織ではあるが、それゆえ公の兵である国軍よりはもう少し扱いが抽象的な部分もある。国軍に所属する国兵は、国のための防衛や災害時に活躍をするという決められた業務を行うもの。対して東卍は横領事件の犯人を追い詰めたり、国が動くまでもない事件に協力したりしている。要は何でも屋的な側面があるのも事実だった。警察組織に変わって地下組織の人間と対峙することだって多い。今回参番隊が任されていた任務もその一環だった。若手グループの一つを、違法薬物を所持しているとみられている人物達の確保へと向かわせていたのだ。
 その先に現れたのが、黒猫だったという話。
「霧がヤクに絡んでるって情報、これまであったか?」
「いや、聞いたことねえ」
「本当に黒猫で間違いないのか? だとしたら相当ヤベエだろ⁉」
「かろうじて逃げてきた隊員が、間違いなく黒猫って名乗ったのを聞いてたんだよ!」
 霧が一端で犯罪行為スレスレのことをしているという情報なら、既に共有されている。だからこそ西領はこの点を言い訳にして、彼らを西領関係の組織として認めたことはないという体でこれまで通して来ているのだ。
 しかし林田の持ってきた話で、現場は想像以上に混乱していた。隊長しかいない環境だったのが余計に影響したのかもしれない。部下達がいたら少なくとも慌てた姿を見せないようにとどこかでストッパーが働いていただろうから。しかしこの反応になるのは当然だろう。これからの西領の出方で作戦を練り直さないといけないと考えた矢先の事件。どう霧と西領の繋がりを探っていくかというところで、黒猫が違法薬物の何らかの取引にまで手を染めている可能性が上がってきたのだから。暴力的な側面があるというのとでは話が変わってくる。こうなってくると、霧を探るための目的だって変えなければならない。もし違法薬物の取引に黒猫が、霧が本当に絡んでいるのであれば、その出どころまで追い詰めなればならないのだ。密輸物に関しては特に物事を軽んじるとのちのちとんでもないことになる。
 もちろん、このまま情報を鵜呑みにして黒猫を違法薬物売買の疑いで検挙することはできるだろう。しかし、本当に黒猫であるという証明ができない限りは当然それも難しい。きっと彼を捕えている間に、他に霧が内部で抱えている表には出せない証拠を隠滅される可能性があるから。いくら後ろ暗い話が多い集団だとしても、その幹部を正当な理由なしに逮捕しようというのは、東卍に対してもリスクが高すぎるのだ。
 何よりも恐れるべきは、これが誤報であった時。
 実態はいざ知らず表向きとしては犯罪組織ではない霧であるけれど、正攻法が通じないのは事実。東卍に対して、そしてその後ろに控える国家に対してどんな手段を働いてくるのかは全くの未知数。
「……まるで、東卍と霧がヤる理由が整えられて行ってるみたいだな」
 何か決められた道をゆっくり歩かされているような、そんな気分になってくる。
「……どこの策略だと思う」
「……西……だといいんだが」
「……あいつら、許せねえ」
「場地、気持ちは分かるが熱くなるなよ」
「わーってる」
 だといいんだがな、と堅は内心で呟いた。
 黒猫と耳にした瞬間の場地の殺気は凄まじかった。不意に飛び出して行ってそのまま殴り込みにでも行ってしまいそうなほど。一虎の事もあって、今彼に対してその名は禁句になりかけているのだから仕方ないのだろうけれど。
 そして、彼にとっての禁句はもう一つ。場地は昔から、違法薬物に関しては特に分かりやすく嫌悪感を示す。聞き出したことはないが、恐らくは彼の父が殉職した事件に絡んでいるのだろう。
「詳しい話聞きに行くぞ」
 参番隊隊員には申し訳ないが、幹部全員でもう一度詳細を聞く必要があるだろう。万次郎の号令で、全員が会議室を後にした。



「場地、すげえ顔してるぞ」
 一虎の病室へ向かう道で、万次郎がそう言った。参番隊から再度情報を聞いた後、丁度二人ともこの後少しの余裕があることがわかって、共に訪ねることにしたのだ。
「いつもの事だワ」
 場地は反射的にそう答える。人相が悪いとか、もう少し普段から愛想に気を遣えとか言われるからその癖が付いているのだ。不機嫌なときはそのまま表情に出てしまうのも原因だと考えているけれど。
そうすると、万次郎からけらけらとした笑い声が返ってきた。
「ハハ、違いねえ」
「マイキー……殺すゾ⁉」
 思わず大きな声が出てしまって、慌てて口元に右手を当てる。忘れてはいけない、ここは病院だ。昔病院で大きな声を出して恥ずかしい思いをしたのが少しトラウマになっているおかげで、自ら口元を覆うのだった。ついでに口癖で殺すと言ったことを少しだけ反省する。どう考えたって場所が悪い。周りを見渡して、万次郎以外には聞かれていないだろうという事にほっとした。
 さて、場地に物騒な言葉を投げられた万次郎だったけれど、その表情はむしろ楽しげだった。
「オマエオレに勝てたことねえのに?」
「うぐ……」
 否定できない事実を投げつけられて、さすがに今度は反論ができない。きっとこの反応を待っていただろうに、悔しいと思う。
「……霧のことじゃないわけ、悩んでること」
 不意に投げかけられた言葉に、ああなるほどと思う。先ほどから彼が元気に振舞っていたのは、これを聞きたかったからに違いない。幼馴染は、こうやって突然大人びた表情をする。そんな時は大抵独特な緩急の付け方をしてくるのだった。
 こうして何かを聞き出したいときに、仲間に寄り添おうとするときに。
 先日場地に心情を吐露したことで、少しだけ気持ちが楽になったのかもしれない。
 今回はそのお礼に場地を元気付けたいとでも思ったのだろうか。場地は別にお礼なんて必要ないのだけれど。それでも長い付き合いだからこそ、感じ取れるものがあるのは事実だった。
 結局場地が問われた回答を寄越さないまま、二人は一虎の病室に辿り着いた。場地が扉を開け、先に万次郎がその中へ歩いていく。
「一虎。今日は場地と一緒だ」
「よう一虎」
 彼には現在、個室が宛がわれていた。扉が閉まれば、空間には三人だけとなる。眠る傍まで歩いていくと、それぞれ挨拶として声を掛けた。話しかけていれば目を覚ましてくれるのではないかと、期待するのは当然のことだろう。
 一虎は出血多量による意識不明で運び込まれたのだった。刺し傷は三か所。そのうちの二か所も内臓まで届いていたというから、意識不明とはいえ命があるだけ良かったと医師から言われている。目が覚めてもいいはずなのに、未だ気配が見えない理由に関しては不明だという。だから創設メンバーは仕事の合間を縫って、ここを訪れるようにしているのだった。
 それは、一日でも早く再び六人で東卍を動かしていきたいという願いに他ならないだろう。
 彼に掛けられている白い掛布団がゆっくり上下する。その様子をしばし二人で眺めた。
「……」
 場地は、初めて一虎に出会った日のことを思い出していた。
 それは、千冬と別れてしまった後の話だ。
 彼は、恵まれない家庭の子だった。……と言っては少し語弊があるかもしれない。王都東京に屋敷を持っていたくらいだから、家の名としては充分だったはずだ。しかし、両親に恵まれない子だったからよく外に出ていたのだった。そこで、場地に出会った。
 彼と偶然出会ったのは道先。数人の年上に囲まれた一虎が一方的に痛めつけられているところを止めに入ったのだった。今では自らの名にもある虎を首に飼っているような男だけれど、当時は父親の暴力に日々怯えるような家庭環境もあって、自己主張の自の文字さえないような少年だったから、悪ガキ達に絡まれたのだろう。
 今考えると、一虎と出会ったあの日の場地は、仮にも場地家という名家の長男であるのにとんでもないことをした気はしている。幼少時代は程々……と言いつつ今もだけれれど、やんちゃの質であった場地は見事に数人の少年を道の隅っこに積み上げてしまったのだから。
 そんな出会い方をして、なぜか意気投合して。よく遊ぶようになる中で、万次郎含めた現在の創設メンバーとも親交ができて行ったのだ。
 今はもう、一虎は生家と縁を切っているはずだ。あの事件は、一虎の父親が一番の原因であったから。私欲のために反社会的な一派と手を組んだ一虎の父親が、彼に逆らえない息子を使った。そう考えると、あの事件が起きたことは果たして良かったのか悪かったのか、一概には言えなくなってしまうのだけれど。
「この病院」
 場地が口を開く。
「千冬と最後に会った病院なんだワ」
「……お前が前に話してた、孤児院のやつか」
「……オウ」
 ここへ来るとどうしてもその時のことを思い出してしまう。
 また会えると疑っていなかった初恋の相手。……さすがに仲間へ彼について語る時にそう言ったりはしなかったけれど、場地にとってとても大切な存在であったことくらいは察していることだろう。
 千冬の目が覚めた時の安堵や喜びと、いなくなってしまった時の絶望や哀しみ。どうしても、思い出してしまうのだった。
「一虎はいなくなったりしねえよ」
「わーってる」
「ああ」
 言わずとも、わかったのだろう。場地が考える事さえしないようにしている、もし万が一の話。
 せめて、と思う。せめてあの時と同じように、一虎に目覚めて貰いたいという気持ちが溢れてくる。
「黒猫はオレがやってやるから、はやく目ェ覚ましやがれ」
 一虎をこんな状態にした黒猫を絶対に許さない。この数週間で何度も思い続けたそれを、再度場地は決意する。
「場地もこう言ってるし、戻って来いよ」
 万次郎も、同様に一虎へ話しかけた。
「ヤクにも手出してンなら、相当の屑野郎だ」
「オレだって、あの事件は忘れてねえよ」
 あの事件。それは、場地の父親が殉職した事件のことだ。王子夫妻が不慮の事故に遭遇し亡くなった事件でもある。違法薬物依存者が暴走させた馬車による事故に、巻き込まれた。
「……千冬の院が襲われたのも、ヤクが絡んでた。だからオレは許せねえ」
「……そうだったんだな」
「……二本先の道にあった銀行から金盗もうとして間違って襲撃したのが、あの院だったんだってよ」
 万次郎だって決して薬物を認めない。これまで何度も密輸元を突き止めてきた。特に場地は仲間内でも一番これに嫌悪感を示していたように思う。その理由が、まさか彼と大切な少年の別れに関わってくるなんて思わなかった。
 だから場地は、事故の詳細を耳にしたときに怒り狂っていたのだと、当時を思い出してようやく万次郎の中で話が繋がった。
 まだ、黒猫が本当に絡んでいるのかどうかは分かっていない。それでもあの情報が本当であれば、場地にとって黒猫は尚更許すことのできない存在になるだろう。
「……場地、オレらで尻尾掴むぞ」
「当たり前だ、馬鹿野郎」
 二人で決意表明をして、一虎の病室を後にするのだった。

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