黒猫は今宵壱等星の夢を見る⑨

【九章】


「オイそっち行ったぞ!」
「追え、逃がすなよ!」
 その日場地は、組織の金を持ち出した人間を確保する任務に借り出されていた。
 怪しいと疑いが掛かっていた、東卍の中でも末端の人間だった。数日追っていたところ黒が判明したのだ。
 それじゃあ証拠はこっちに揃ってるから、あとは壱番隊で頼んだと万次郎に言われたからには何としてもその身を確保せねばならない。執務に当たっているところ声を掛けて、連れて行けばいいだけだったのだけれど、場地とその傍に控えた人物を見て状況を察したのだろう、全力で暴れられて逃げられた。
 追いかける羽目になった事を後で知られたら、絶対に万次郎から文句を言われるだろうからこれだけは言い訳しておきたい。暴れられたとは言っても腕っぷしで負けて逃げられたわけではないのだ、と。
 任務の内容を考えれば単純な話。追い詰めて、捕えればよい話。
 問題は、たった一つ。
(これは夢だ)
 そう、今起こっているはずのこれが現実ではないという事だった。
 不思議なことに、場地はこれが夢であることを理解していた。目の前で起きている出来事は現実ではないのだと。
 だって、実際の横領事件は数カ月前にすでに完了しているのだから。既に犯人は容疑を認めていて、その身柄に関して警察組織への引き渡しだって完了している。今追っているほうがおかしいというもの。それなのに、犯人を追っている行動が止まるわけでもない。まるで自分自身の行動を客観的に空の上から眺めているような、そんな気分。
 そして、夢であることの証明がもう一つ。
「千冬ぅ! ソッチ回れ!」
「ウス!」
 壱番隊副隊長として千冬が共にいるのだから、現実であるわけがなかった。どんなに本当になって欲しいと願っても、これが現実にはならないことを場地は誰よりも分かっているのだから。
(逢いてえッて思ったから来てくれたのか?)
 なぜか夢の中なのに、思考はクリアだった。
 普段はこんなこと思ったりしない。それどころか、真一郎と万次郎の妹、三人目の幼馴染が「夢でも好きな人に逢えたらいいのに」と言っていたのを馬鹿にして怒られたことだってあるくらいなのだから。けれど今この時だけはずっと千冬を探し続けている場地のために彼の方から逢いに来てくれたのではないかと、都合の良いことを考えてしまうのだ。
 夢の中の場地と千冬は、街中へ逃げた犯人を追っているところだった。
 細路地に入り込んだ犯人を走って追いかけるだなんて、一体なんの演劇の一幕だろうか、と考える余裕すらある。
「オイテメエ! 場地さんから逃げるたァいい度胸してんじゃねえか! いい加減観念しやがれ!」
 千冬は場地のことを尊敬するあまり少々暴走気味ではあったけれど、誰よりも場地と相性が良かった。場地が何かを言おうとする前にぱっと動いて、まさに求めていたことをやってくれるのだ。
 場地はあまり言語化が得意ではなくて、他の部下を困らせることが多々あった。今言ったコト、通じてねえなと感じる事だってそれなりにある。創設メンバーにさえ、場地は何を考えているかわからないと言われてきたのだから、付き合いの浅い関係であれば通じなくても当然だと思っているところさえある。考えるより行動してしまった方が楽なのだから致し方ないだろう。人間には向き不向きが当然ある。
 もちろん、的確な指示が伝わらないと機能しないのが組織というものだ。上の指示が悪くて作戦が失敗した、なんてことはあってはいけない。そんな時に頼りになる人物こそ、副隊長である千冬だった。彼は場地の言わんとしていることを瞬時に察して的確に動いてくれるだけでなく、下へも伝達してくれる。
 千冬がいてくれるから、場地はいつだって自由に動くことができるのだ。
「ハハ、千冬ぅ、どっちがヤクザ者だよ」
 威勢の良い彼の怒鳴り声を背景音楽代わりに場地も犯人確保に向けてその後ろへ回り込む。
 まさかこっちに来るなんて思ってもいなかったのだろう相手側を挟み撃ちにした形だ。
 最後は捨て台詞を吐く犯人を千冬が問答無用でぶん殴って、ついでに思いきり蹴り飛ばして見事確保に成功したのだった。
 頭だけ振り向いた千冬の笑顔が眩しい。
「場地さん! オレやりましたよ!」
「おー、ナイスじゃん。でもオレも暴れたかったワ」
「こんな雑魚、場地さんが出る必要ありませんって」
「オマエこの前も同じこと言っていいところ持っていったじゃねエか」
「そうっスか? 骨のないやつが多いってことっスねー」
 こんな会話をしているのだけれど、千冬はいまだに犯人を片腕だけで締め上げているのだから恐ろしい。
「じゃ、あと任せたから」
「ハイ!」
 後からやってきた隊員に犯人を押し付けると、千冬は身体ごとくるっと振り返って場地に向き直った。
「場地さん、ご褒美ください!」
「いっつもそれな」
「へへ、ダメっすか?」
 左へ首を傾げたことによって千冬の金色の髪がさらりと揺れた。「母方に異国の血が入ってるんで、地がこの色なんです」という話を聞かされたのはいつのことだっただろうか。派手好みが多い東卍内では馴染んでいるように見える彼の髪色は、幼い頃だと目立ってしまって割と苦労したのだという。
 場地はその髪に右手で触れた。そしてそのまま千冬の左耳に触れる。千冬は何かを期待するかのように、変わらず真っ直ぐ場地を見つめていた。
 良く思うのだ。堅や三ツ谷のように、ここに飾り物を付けたらきっと似合うのではないだろうかと。……今度何かの機会で耳飾りを贈ったら、喜んでもらえるだろうか。
「千冬ぅ」
「なんスか」
「ピアス、空けねえ?」
 気づいた時には思った事が自然と口から零れていた。
「へ?」
「……いや、何でもねえ」
「……場地さんが、開けてくれるなら」
 曇りのない瞳が、真っ直ぐ場地を見つめる。その目を見て、言葉に嘘偽りがないことを知って。場地はたまらずに千冬の首裏に腕を回し、彼の身体を引き寄せた。碧い瞳を捕えると、その眩しさにくらくらした。そのまま顔を寄せて、彼の唇に食らいついた。
 ああ、いつもお前はそうやってオレを甘やかすんだ、と思わず眩暈がしてくる。
 全ては夢だ。
 だって千冬はあの日姿を消してから、もう十年も会えていない。だからこれは場地の願いによる幻覚なのだ。これが夢だと分かっていてもそう願わずにいられない場地は、きっとこの先も何度も存在しない現実に絶望して、架空の中の千冬に夢を見続けてしまうのだろう。
 もしあの日、と考える。もし千冬の院が襲われずに、あと数年を過ごせていたら。
 そしたら千冬は場地と共に東卍の初期メンバーになっていたのではないだろうか。
 東京卍會の創設メンバーはあの六人以外にあり得ない。でも、千冬だったらその志に賛同して、旗揚げの段階から場地へ付いてきてくれたのではないだろうかと、そう思うのだ。
(イカレてんのか、オレは)
 こうして幻覚を、願望を夢に見てしまうくらいには、彼のことが忘れられない。ここ最近は特に酷くなったように思える。どこかで生きていてくれればそれでいいと思う反面で、こうして、なぜ彼が傍にいないのかと、触れられないのかと思って胸が張り裂けそうになる。
 親友が生死の境を彷徨い続けている時に、一人だけありもしない夢を見ているなんて。
「最悪だ……」
 ああやっぱり夢だった。
 時刻はまだ明け方。目を薄っすら開けた場地は、思わず呟く。
 低い声が空間に溶けた。

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