黒猫は今宵壱等星の夢を見る⑥

【六章】


「……一虎が行くって言ったとき止めればよかったな」
「は?」
 場地は、ぽつりと吐き出された万次郎の言葉に思わず気の抜けた声を出してしまった。それから意味を理解して、彼の肩をそっと叩く。
 親友が重体となって病院に運び込まれてから、二週間ほどが経った。今尚、彼は目を覚ましていない。今後一生目覚めない可能性も覚悟するようにと医師から言われ、創設メンバー一同で険しい表情になったのはまだ三日ほど前の話だった。
 万次郎と場地の中では、一虎が霧に潜入すると志願した日の会話が思い起こされていた。いつもはどこか軽い調子でいることの方が多い彼が、やけに真面目な顔で話があると言ってきたときに、ある程度の覚悟はしていたのだ。
 一虎はあの日、万次郎に頼みがあるんだけど、と言った。
「霧の件だけど、オレが行く」
「急にどうした?」
「別に急じゃねえだろ。今までだって潜入ならやってきた。それだけだよ」
「確かにお前が一番適任かもしれねえけど、これまでとは話が違うんだぞ?」
 まだ組織の実態も何もかもわからないのだと、暗に匂わせる。
「そんなのゴロツキ雇ってたやつらと大して変わんねえだろ。確かにこういう頭使うやつは、オレよりもドラケンとか三ツ谷とかの方がいいのは分かってるけどさ」
 でも踏んできた場数を考えるなら、一番適任だろと、一虎は言い切ったのだった。
 あの時、そのやりとりを、場地は彼らの横で聞いていた。当然、場地に止める権利なんてなかったから。彼が自ら東京卍會総代表に、その意志を告げる見届け人として選ばれただけ。
 その日のことを、思い出したのだった。
 さて、場地に肩を叩かれた万次郎は、その体温を確かめるように、そして場地の不器用な優しさに答えるように頷いた。そのまま少しだけ目を閉じて、再び心情を暴露する。
「一虎がさ、オレと真一郎の信頼取り戻したくて必死になってんの、わかってたよ。許すって何度言っても、あいつ自身で納得いく結果持ってこないとオレ達の信頼が戻ったって思えねえことも」
 万次郎の言葉で蘇ってくる記憶は、数年前の出来事。涙を流しながら真一郎と万次郎に頭を下げた一虎の姿だった。
 それは東卍が結成する以前の話。一虎は悪人達に騙されかけて、万次郎のことを彼とは知らずに殺しかけた過去がある。実際としては万次郎を狙ったはずが、真一郎に怪我を負わせたのだった。
当時、それは今から六年は前の事。
 佐野兄弟の両親である国王長男夫妻が不慮の事故で亡くなったすぐ後のことだった。当時の第一継承者は真一郎の父であったが、その王子の死によって、王位継承権はその息子達に自然と降りることになったのだ。
 関東国には長男である真一郎、第一王子派と次男である万次郎、第二王子派二つの派閥が存在することになった。この国では以前より家系によって真一郎を支援する貴族と万次郎を支援する貴族が分かれていたが、王子の兄弟達というのはどこの国でも王位争いの原因となる。第一王子派(真一郎派)であったとある貴族は真一郎に心酔していて、万次郎さえいなくなれば彼の王位が絶対にゆるぎないものになると考えたのだ。彼らの両親が生きていた時から、水面下でずっと燻ぶっていた問題だった。国王の時代はその長男、その次は、彼の長男である真一郎。これが佐野家の決めた王位の順だったけれど、第二王子派(万次郎派)が何かに付けては万次郎を支援し、真一郎が王位から外れるようにと声を上げていたのが良くなかった。長男夫妻が亡くなったことで不安を煽られたらしい第一王子派が、それなら第二王子を弑してしまおう、なんて考えた恐ろしい事件だ。
 一虎は第一王子を支持している貴族が裏で付き合いを持っていたゴロツキ達に利用され、危うく万次郎に手を掛けるところだったのだ。
「第二王子がオレだって知らずに殺ろうとしたけど、その場に偶然居合わせちまったのが兄貴だったんだ」
 結果として真一郎は全治三カ月ほどの怪我を負うことになってしまったのだ。一虎は当然、捕まることとなった。
 しかし彼を唆す存在が判明したこと、事情を知った万次郎が一虎の無罪を訴えたことでことは大きくならなかった。一虎が利用されたのは、彼の生家が第一王子派の貴族に従うしかない状況にあったから。彼がまだ少年であったこと、万次郎の友人であったことも無罪放免となった理由の一つかもしれない。真相は当時それを決めた国王にしかわからないだろう。しかし起こした張本人は二人に対して大きすぎる罪悪感を抱くことになってしまった。まさかターゲットとなった第二王子が友人である万次郎であることを知らなかったというのも大きいだろう。
 形として数か月の観察対象とはなったけれど、それだけだ。一虎が気に病むのも無理はなかった。慕っていた友人の実の兄を、そうとは知らず危うく死に至らせるところだった。罰されるはずだったのに、それもなし。
「東卍はさ、オレがぜってえ真一郎を次の国王にしてやるっていうキモチで立ち上げた物だろ?」
 現在の万次郎は、自らですでに王位第二継承権を放棄している。もとより何があったとしても王になりたいと思った事はなかった。万次郎には尊敬する兄がいて、その兄が第一継承権を持っているのだから。でも万次郎が王位第二継承権を持っている限り、その可能性を願って、とんでもないことを計画する人々がいるのだと、幼いながらも理解をしていたのだ。それは当然、その時の事件のように、逆である可能性も捨てられない。実際に兄側の支持者が私欲を満たすためだけに起こした事件だってあるわけで。しかも現実として友人が巻き込まれた。だからこそ、王位継承権を早々に自ら放棄することにし、その証として東京卍會を立ち上げた。
 何があっても王にはならないという、決意表明。
 これは、どうしたら真一郎のために一番いい方法を取れるか悩んでいた万次郎へ、場地が助言したというのもあった。オレ達で真一郎君のためにチームを作ろうという場地の言葉があったから、万次郎は兄の臣下へ下る決心をすることができたのだ。
 自分達兄弟の絆が第三者の策略で揺るぐようなものではないのだという、万次郎なりの宣言でもあった。
「一虎には、もう気にすんなって言ってる。でも、オレがいつまでも王子って名前でいるわけにいかねえって思ったのもあの事件があったからだ。一虎はそれをわかってた。どっかでずっと、あの日を引き摺ってんのは知ってた」
 東卍を結成するにあたって、メンバーと役割を考えたのも場地だ。その中に一虎の名もあることが万次郎には嬉しかった。
 けれど、当の本人は困惑していたように思う。
 それも当然だろう。仕組まれたとはいえあんな事件を起こしておいて、その相手を守るための権利を得るなんて、早々考えられることではない。そんな一虎に、万次郎は言った。オレ達兄弟に負い目があるのであれば、尚更入れと。そして行動で償えと、そう言って寄越したのだ。
 一虎へ万次郎が、そして真一郎が寄越した、免罪符。
 だからこそ今回、彼が自らこの一件を調べると言った時に止められなかった。
「これで上手く行けば、もうあの時の事心配しなくていいって言えると思ったからな」
 結果的には裏目に出て、彼はこのようなことになってしまった。
 勿論、全ては結果論でしかないのだけれど。
「……マイキーのせいじゃねえだろ」
「オレだってそんなことわかってるけど、でも」
 人一倍仲間想いの東卍総代表だからこそ、一虎が自分からやると言ったとはいえその許可を出したことについて後悔してしまうのだろう。場地は何も答えることができなかった。
 同い年の幼馴染が大きすぎる運命を背負っていることに気づいたのはいつのことだっただろうか。関東国王族の次男坊。一見きらびやかなその肩書は、彼にとって十字架そのものだったに違いない。
 万次郎が王位継承権を持つことで感じていた想いも、それを放棄したことの覚悟も、そして、万次郎ために動きたいと願った一虎の気持ちだって双方ともにわかってしまうのだ。ずっと、仲間達を傍で見てきて、仲間達と共に歩んできたのだから。
「……辛いときは、言えよ」
 今場地に言えることなんて、これくらいだ。
「お互い様、な」
 わざとらしい笑みでそう返してきた万次郎の肩をもう一度叩いた。

前作
続き

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。

inserted by FC2 system