黒猫は今宵壱等星の夢を見る④

【四章】


 コンコンコンコン、この部屋に入る時のノックの音は必ず四回。それがこの部屋の主との約束だった。これは自分が来たという合図。今日もそれを律義に守ると、内側から入れという言葉が返ってくる。
 ノックをした本人は良く通る声で失礼しますと告げてその内側へ入った。すぐに内鍵を掛けることだって忘れない。これも、約束のひとつだ。
「黒猫。遅かったな」
 この部屋の主は、三十代前半くらいの大柄な男だ。その額にある大きな傷が、両腕に彫られた墨が貫録を示している。
 その男と向かい合うのは、黒猫である。短い黒髪に左耳だけ飾りをつけた若い男。……齢十七と確かに若いが、その身のこなし方に一切の隙は無い。
「すいません、ボス。ちょっと変な動きしてるやつがいたんで、絞めてました」
「ハハ、お前この前も同じこと言ってなかったか? 裏切りモンがそんなに多いとは、そんなにオレには信用がないのかね」
「ボスにというわけではなくて、あのハゲ領主にってことでしょう。大丈夫ですよ、今日は入り口に転がしといたんで」
 そもそも現実をよく考えずに甘い汁だけを吸う事を考え組織に入ったのが運の尽きだ。霧に所属すれば金が手に入るとでも思ったのだろうか。法外なこともそれなりにしてきている組織だから、いろんな意味では間違っていないけれど。大金を得るためにはそれなりのリスクがあることを理解せずに名だけ利用して、上手く行かなかったら抜けようとする……。芽は出る前に摘む。それが黒猫のポリシーだった。少しの情けが後々大変なことになる。ただでさえ、霧は歪みの元誕生した組織なのだから。内部から少しずつ腐敗していくことは想定済み。大事なことはそれを早期に発見して、無くしてしまうことだと考えている。そして、粛清されるとどんな目に合うのかの見せしめだって大事だ。逆らうとどんなことになるのか。恐怖による支配はこちらも同様にリスクを孕んでいるけれど、この組織の場合は断然このほうがいい。
「相変わらずおっかねえ奴だな、黒猫は」
「褒めていただきありがとうございます」
「無表情で言われてもな。……まあ、それはいい。今日なんで呼ばれたかは、わかってるよな?」
 先ほどまでの陽気そうな態度から一転、その眼光が鋭く光ったのを黒猫はその碧瞳で確かに見ていた。先ほど黒猫をおっかねえ奴なんて言ったボスではあるけれど、彼だって本来は相当恐ろしい人物だ。
「はい。ちゃんと言い訳だって考えてきましたよ」
「言い分け、か。本当にお前は面白え。自分で申告する奴がいるかよ」
「まあ、言い訳にしろ事実にしろ、言う事に変わりはないんで」
「ハハ、胆の座ったやつだ……じゃあ早速本題に入ってもらおうか」
 ここまで黒猫は一切の表情を変えていない。
「はい。先日発覚した裏切り者を仕留め損ねた件ですが、息の根を止めたと思っていたところ、随分と図太いやつでして。一瞬の隙をついて川に飛び込まれたんですよ。最後にオレが川に突き落として始末しようと計画していたのが仇になりました」
 結構な出血量だったのによく動けたなって感じですけど、という世にも恐ろしい言葉をサラッと口にする黒猫だが、聞く方も聞く方だった。
「黒猫、仕留め損なったなんてお前らしくねえな。オレが気にしてるのはそこだ。わかるか?」
 先日、霧に裏切り者がいると発覚した。大抵この組織から裏切り者が出るときは、この組織の方針にもう耐えられないとか、一向に改善されることのない生活に痺れを切らせたかのいずれだ。
 表向き平穏な西領は、領主の独裁政権で成り立っている。国境強化の名の元重税を強いられ、細かい独特の法律で領民は管理されている。腐敗した貴族達が甘い汁を吸い、市民達は僅かな稼ぎを頼りにして生きているのだ。他の領へ移りたくとも、一人一人が家族を人質に取られているから無駄な話。ただし、西領への忠誠を誓ったならず者達の集団、霧へ入ればそれが緩和されるという噂がまことしやかに流れており、これに騙されたものが入団しては変わらない現状に絶望をするのだ。勿論心の奥底から西領へ妄信しているものもいるけれど。
 とにかく、この裏切り者達を駆除することが黒猫の仕事だった。
 しかし問題がある。今回の相手はこれまでとは種類が違っていたのが霧側の誤算であった。
「まあ、言われると思ってました。正直覚悟だってしてますよ、今日降格って言われてもなんも反論できねえっすから」
「ハハ、わかってんだな」
「……なんで、ここからが言い訳ですよ。東京卍會の幹部、アレは慎重にやらねえとやっぱり危ない」
 探りを入れてるやつが居る、始末しろとボスから黒猫に命が下ったのが二日前のことだった。正直黒猫すら想定していなかったイレギュラーに、珍しく驚いたものだ。どうやらそいつは王都側の人間で、公には西領が否定している霧との繋がりを探りに来たらしかった。当然、暴かれれば西領にとって痛手の話。消せと言われるのも当然だろう。
 しかしその相手は、黒猫との戦いの最後で力を振り絞り逃げたのだという。
「……逃げられたことでいい証明になった、って言いたいのか?」
「さすがボスですね、仰る通りです」
「お前の言う事だから、違わないんだろうな」
「……確かに奴らは、オレら霧と西領の繋がりを調べてました。今回№4を始末しようとしたことで、それは確証に近づくでしょうね」
 始末できたとしても、不信を抱かれる分には全然あり得る話。しかも今回は失敗した上に、黒猫は顔までしっかりと見られている。
「ふうん。それに対してはどう責任を取るつもりなんだ?」
「そうですね、今の質問に対する答えを言うなら、このまま東卍との件はオレが指揮を執るってことですかね」
「ほう、お咎めを受ける理由がありませんってことか?」
 ボスの瞳に、きらめきが見えた。面白がっている時、彼の瞳がこのように輝くことを黒猫は良く知っていた。どうやらボスが欲しい言葉を投げられたようだと思ってほっとする。もちろん、表情には微塵も現れないのだけれど。
「はい。確かに羽宮一虎を始末しようとしたってことで向こうはうちと領主には何かあるって思った事でしょうね。でもそれだけです。あいつはそもそもオレ達の何の情報も掴んでない。こっちが先に気づいただけです。ただ他人のアジトに侵入していたことがバレたから始末されかけただけ」
 立ち入り禁止の建物に入っている人間は誰だって同じことをされるでしょう。と黒猫は真顔で言い放った。
「なるほどな。その理由であればオレを納得させられると思ったのか」
「事実そうでしょう」
 ボスは黒猫をじっと見つめて、しばらく瞬きもしなかった。何かを考えるときの彼の癖であることを知っている黒猫は彼が再び口を開くのをただ待った。悩んでいるときは、平気で五分ほどかかることを知っている。けれど、今日は案外早くにこう言うのだった。
「さすが。オレの右腕だ。お前はやっぱり頭がいいな」
「光栄です」
 やはり、ボスの欲しい回答が出せていたようだ。
「ボスから領主へのご報告は任せますよ。あいつは使えない、右腕から外すっていうならまあそれで。……その前にあのハゲに、あいつを叩き出せって言われますかね?」
「そこまで想定済み、か」
「まあ、オレがついて行くのはあくまでボスであって、西領は関係ないって昔から言ってるのが気に入らないようですし」
 先ほどだってこの領の最高権力に対してハゲ領主と言っただけはある。
「そのあたりはお前が気にすることじゃあねえな。オレは表向き、アイツに忠誠を誓ってる。あいつの野望を叶えるために協力は惜しまねえ。でもオレの部下はあくまでオレに付いてきてくれればそれでいい」
 霧でのし上がっていくやつで、西領主へ妄信している人間の方が少ないだろう。このボスという存在に憧れ、彼のための兵として霧構成員は存在している。黒猫だってその一人だ。
「オレの軸はぶれてませんよ。貴方がやりたいことのために協力は惜しまねえ」
「ハハ、やっぱりお前は恐ろしいやつだ」
 不敵な笑みが、それでも抑えきれない歓喜が、黒猫に対する今回のボスの評価だろう。



「……はぁ……」
 扉を閉めて、たった一人きりの空間になった事を確認してから、大きなため息を吐く癖が付いてしまったのはいつの頃からだっただろうか。少なくとも、ここにきてからはもう約束のようなものになってしまった気がする。
 本当は一人でいる空間の方が落ち着かない。幼いころから人の気配が感じられる空間で過ごしてきた。と言っても、もう五年ほどは一人きりになる時間の方が多いというのに。幼少慣れ親しんだ経験というのはなかなか抜けないものだ。
 誤魔化せただろうか。演じきれただろうか。黒猫として、間違いはなかっただろうか。
 そんな自己反省を、この部屋の内側で何度したことだろう。
 シックな部屋には一切の隙が無い。こんなに広い部屋なのに無駄なものは置かないと決めて、決めた通りに管理をしている。そうやって己を律して生きてきた。たった一つ、黒猫には目的があった。それを叶えるためならなんだってできるというものが。隙を見せるという事は、それだけの危険を孕むことになる。誰よりも黒猫がそれを一番知っているのだった。
 今日もまた、三つの自己暗示を怠らない。
 一つ、自身は霧の頭であるボスの右腕であることを自覚すること。彼の野望を叶えるためなら、どんなことでも徹底的に行う。二つ、自身の真名を忘れないこと。本名を捨てもう何年経ったかわからない。組織の誰だって、黒猫の正体を知らない。そんなものは無くしてしまっても良いものだ。でも、真名を忘れないことが黒猫を今日も生かしている。
 ボスが尽くすのは西領だ。西領主の大きな目的、謀反を起こすために霧は動く。だから表向きは西領へ忠誠を誓う。……尤も、二つ目は所詮ハリボテだと知っているのだけれど。
 そういったいくつもの矛盾を身の内に抱えていると、つい自分の存在を見失いそうになってしまう。そんな時に、最後の自己暗示を行うのだった。
 最後に三つ。黒猫が尽くすのは、決してボスではないことを固く胸に刻むのだ。

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