繋ぐ

彼の特攻服と襷について

原作沿い、ばじさんのお母さん捏造してます。ばじふゆ

 松野千冬にとって人生二度目の葬式は、憧れの人が主役だった。

 どうしてだろう。父もあの人も、大切な人ほど早く千冬の元から去ってしまう。

(違う、場地さんは、やるべきことを果たしたんだ)

 だから悲しんではいけないと、……そう言い聞かせないと、壊れてしまいそうな心を抱えて、今朝を迎えた。

 ーー今日、人生初めて心の底から付いていきたいと願った彼は、空に旅立つ。襲い掛かる恐怖感のほうが強かった昨夜に比べて、今は随分と落ちついた気持ちになっていた。

「千冬君、ありがとうね」

「いや……はい」

 制服を、初めて正しく着た。

 第一ボタンまで止められたワイシャツに、隙間ないくらい絞められたネクタイ。ブレザーも前を開けることなど、ない。改造したズボンだって今日ばかりは置いてきた。昨日の夜慌てて引っ張り出した元のズボンが少しだけ、落ち着かない。入学の時一式揃えたお陰で革靴を持っていたことは救いだった。いつものスニーカーは履き潰されていて、この場にふさわしいと思えなかった。ピアスだって外してきたのだ。

 そんな出立ちの千冬が向かい合うは、今夜主役となる彼の母親だった。数日前までまさか息子がこんな形で花役となるなんて、夢にも思っていなかったことだろう。千冬だって、同じだから。

 二人の間には、妙な遠慮が流れていた。

 千冬には、彼を守れなかった負目があり、彼の母はそんな千冬の責任感にも似たなにかを感じ取ってくれているのだろう。数日前、彼がこと切れたその病室で泣き崩れた彼女へ、場地さんを守れなくてすみませんでしたと土下座したのが原因の一つに違いない。「千冬君、それは違うのよ」と言ってそっと身を起こしてくれたその人の震えた手を見た時に、ああ、彼の真っ直ぐさは母親譲りなんだと悟った。

「ねえ千冬君」

「……はい」

「これ、受け取ってほしいの」

「えっと」

「中見てほしいな」

「……これって」

 ちょっとした回想に浸っていた千冬の目の前へ差し出されたのは、紙袋だった。千冬でも知っている有名百貨店の、見た目が特徴的なそれ。

 促されるままに、袋の中を見た。

 その瞬間、弾かれたように彼の母を見る。いけない、そんなという想いと、これを受け取ることが許されたという喜びがないまぜになって心の中をぐるぐると渦巻く。

「おばさん、だめっスよ、オレこんなの……受け取れねぇ……」

「千冬君が貰ってくれたら、圭介も喜ぶと思うんだ」

「そ、んな」

「小袋の中にある鍵は圭介のバイクのやつね。……本当は、私から千冬君にあげるなんてどうかと思ったけど、君なら大事にしてくれるって思ってね」

 無免許者にバイクの鍵あげるなんてと言わないところが優しさだろう。

 そんなことを言われたら、受け取らないわけに行かなくなる。

 だって千冬にとっての一番は、今この時だって彼なのだから。

 袋の中に入っていたのは、小さな袋の中に入れられた、彼が愛機としていたバイクの鍵。次に生前彼が気に入ってたまにつけていたアクセサリー。

 そして最後に。

「襷……」

「……私は君たちの世界のことあんま知らないし、親としては止めるべきって思うんだけどね。大事なもんなんでしょ」

「……はい」

「だから、千冬君貰ってやってよ」

「……ありがとう、ございます」

 今日、彼の特攻服は本人が空の上に持って行ってしまう。そのことは初めから知っていた。だって、彼の母へ頼みこみ、眠る彼の上にそれをかけてあげたいと言ったのは他でもない千冬自身なのだから。

 ーー場地さんは、最後まで東卍を愛してた。

 それがわかった今、彼に付いていた副隊長として出来ることはこんなことしかないと思っていたのに。

「あ、ごめん私係の人に呼ばれてるみたい。……千冬君、今日は来てくれて本当にありがとうね」

「……こちらこそ、ありがとうございました」

 こんな時に、千冬の方から感謝を伝えるのはどうかと思ったけど、葬儀の時親族相手にどのような言葉を使ったらいいのか、千冬は知らなかった。そしてもし彼がまだ生きていたら、同じことだっただろう。後で二人で調べましょうね、と言うことができない悲しさを、まだ処理できるほど受け入れられたわけでもないのだから。

 だから、部屋を出て行った彼の母親へ深く深く、頭を下げる。

 申し訳なさを伝えたい時と感謝の気持ちを伝えたい時。同じように頭を下げることで気持ちを伝えられる。そのことが、どこまでも有難かった。

 東卍はこの先どうなってゆくのだろう。

 彼を喪ってひと月とすこし。もうそんなに経つのかと驚く気持ちと、まだそれしか経たないのかと奇妙な気持ちが入り混じっている。

東卍の未来について。それが今の千冬にとって、大切なことだった。彼を喪ってからこの先進まなければいけない道が分からなくなってしまうのではないかと、正直不安になることだってあったのだけれど。

 それでも、今はもう迷ったりしない。

 真っ直ぐ、行く道は見えている。

 季節はあれから、冬へと移ろって行った。千冬にとってあまりにも大きすぎる出来事があった後でも、世界は何事もない顔をして回ってゆくのだ。

まだ、二度と彼と語らうことができないという現実が受け入れられない朝だってある。目が覚めた時に、あの日が夢だったのではないかと思いたい時が。そんな心情の中で、時だけが進んで行くのだ。

あの時は朝晩にだけ肌寒いと感じていたそれが、今では四六時中付きまとう。

 それは果たして、気温的なものなのか、彼と身を寄せ合うことができないゆえなのかはわからないのだけれど。

「いよいよ明日か……」

 膝の上に乗ってきた愛猫の背を撫でながら、つい独り言が零れ出た。

 明日は、大切な日だ。この先の東卍の未来を変えるかもしれない。

 この先の東卍がどうなってゆくのかについては正直、千冬にはわからなかった。けれど、わからないなりにやれることはあるだろうと信じていた。自分にできることは場地の意志を忘れない事と思って、それを曲げさえしなければ、彼の愛した東卍を守り続けることができるだろうと信じて。

 それが、彼を喪ってからひと月ほどで定まった、千冬にできることだと思っていた。

 しかし、今は違う。もう明確に見えている。

 今の千冬が誰を信じて、誰に付いていくべきなのか、はっきりと見えていた。

 明日の柴大寿との戦いは、そのために必要な最初の出来事となるだろう。

 正直、とんでもない話を聞いたと思う。思うじゃない。事実とんでもない話だった。千冬へそれを語る本人だって、信じてはもらえないだろうと、そんな様子を滲ませていたくらいに、現実味の一切ない話だった。未来から来たと言われて、はいそうですかと受け入れてもらえるだなんて、普通は思わないだろう。

 それでも、千冬は信じると決めたし、疑う理由なんて全くなかった。

元来そういう性格なのだ。嘘偽りなく真っ直ぐしている人を、見抜く才能が千冬にはあったのだから。

 過去、一人。たとえ何があっても信じ続けると誓った相手がいた。

そして、その誓いは未だここにある。捧げる相手は変わったし、向かい合いたい理由もあの時とは違うけれど。千冬は武道を信じ、ついていくと決めた。

一つはそれが亡き憧れの人の意志であるから。……というのは、本人に対しての照れ隠しのための理由だということすら、理解している。だから、今千冬が武道を信じる理由なんて、決まりきった話だ。

彼が花垣武道であるから。

 とにかく千冬は武道についていくと決めていて、そんな彼が必死に話してくれたことを、信じないわけがないのだ。

(非現実的なのは、わかるけどさ)

 それでも、ふとした時と様子が違うことくらいとっくに気づいていたから、ああそうだったのかと、すとんと落ちたのも事実。それを千冬が知ってよいと思って貰えたことが嬉しかった。

 これが数日前の話。

 武道は、千冬に未来を語ってくれた。この先に何が起きるかを、共有してくれた。

 まさか場地の意志が継がれるどころか最悪な結末へ向かっているだなんてと、柄にもなく絶望的な気持ちになったりもしたけれど。だからこそその未来を変えたいと語ってくれた武道の何を疑うというのだろうか。

 だから決めたのだ。

 これは、千冬の覚悟でもある。

 深く頭を下げることで、想いを伝えることもできるのだと知った。

「オマエに託す!」

 ずっと考えていたのだ。千冬がすべきことは何だろうと。東卍の未来を見ている武道へ、千冬ができることは何だろうかと。

 そしてその結論が、出たのだ。

 それが、襷を継ぐことだった。

 場地の母からこれを受け取った日の、受け取ることが許されたその喜びは生涯忘れることがないだろう。彼女からしたら、生前の息子と仲良くしていた少年にそれを渡しただけの出来事かもしれないけれど、特攻服に重きを置く自分達不良からしたら、襷を受け取ることがどれだけ重いことか。

(喧嘩の時に、これを結うのが好きだった)

 今日もこの人を勝たせたいという気持ちを込めて、これを結んだ日々を思い出す。

 いつかこれを継ぐ人間が現れるのかなんて冗談めかして言われた時だってあったっけ、と。

 あの時は一生そんな日が来るなんて思っていなかったし、仮に東卍が二代目三代目となっていったとしても壱番隊隊長が彼でないのであれば、自分が副隊長であるわけがないのだとさえ思っていた。

 それでも現実は不思議なもので、壱番隊隊長は二代目となったし、彼以外が隊長を務めるその横に今もこうして在る。何よりも、千冬自身が武道と並び歩いていくこれからを楽しみにしているのも事実だった。

 全て、場地が繋いでくれたもの。

(場地さん、行ってきます)

 心の中で出発を告げる。もう、行きましょうと言う事はできないから。

 そしていつか、お帰りと言って欲しいなんてちょっとした願いを込めながら、千冬は一歩を踏み出した。

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